少年時代の終わり 続々々々……完
「…………て、手強い……相手だった」
死の恐怖が収まるまでしばらく声を発することができなかった。今、ようやく体の震えが止まり、額にこびり付いていた冷汗を腕で拭う余裕が生まれた。地面には死んで横たわったオークの死体がある。強い相手だった。それはこのオークが特別ステータスが高かった為だったのだろうか、それとも奴自身の気迫と技のせいだったのか。
「何にせよ、久々に、こ、この世界の、危険性を、実感したよ」
「もっと落ちつた後で喋るといいのです。薄皮一枚の勝利だったのですから」
まったくだ、俺は地面に座り込み大きく一息入れた。一歩間違っていれば死んでいたのはこちらだっただろう。しかし、生き延びたことをいつまでもここで噛み締めているわけにもいかない。ここの奥には地面に落とした松明があるのだ。さて、火が消える前に、早く松明を拾いにいかなくてはな。
再び奥の方へと足を運び、地面に倒れ燃え続けていた松明を拾い、さらに奥へと進んだ。そして、それほど時間も掛からずに終点へと辿りついた。
そこには骨で作られた玉座と思わしき椅子が鎮座していた。おそらくオークの族長の間なのだろう。椅子の背後には物資がたっぷりと詰め込まれて置いてある。麦袋らしき袋や、銀貨や銅貨などが詰まっているらしき血のついた袋。村の富裕層から奪ったらしき装飾品。
――そして、足が折れているらしきオークの子供。
怯えているオークの子供を見ながら俺は心が冷めていくのを感じる。これはアレか、さっきのオークは、この子の親だったというわけか。先ほどまで溢れ出していた生き残ったという高揚感が去り、胸に苦いものが込み上げてくる。
「まあ、よく考えれば分かりそうなもんだったな」
ファンタジー物のお約束でよくゴブリンやらコボルドやらの巣を襲っているが、巣を全滅させるということは当然、女子供も殺しているということだ。もっとも、そのあたりは基本はぶられている事が多いし、今までモンスターの子供を見たことがなかったので、俺はそんなこと想像したことさえなかった。
ふと、頭のどこかで「このまま放っておけ」などと卑怯な考えが囁かれる。だがそれは、あまりに偽善的な発想だった。どの道ここへは村の者が来るだろうし、そうなれば結局この子は殺されるのだ。そもそも逃げたとしてもこの足では一人で森を生き残れない。さらに言えば、例え生き残ったとして大きくなったこの幼いオークが人を殺した場合、その責任を俺は取ることなどできようはずも無い。ならば選択肢は一つしかなかった。
腰に差していた小剣を抜き、部屋の隅で震えているオークの子に近づく。
「ごめんな」
俺は罪悪感を押し殺した。
◆◆◆
ものを運ぶのに邪魔になる槍を捨て、俺はパンパンに膨らんだズタ袋と共にオークの子供の死体を肩に担ぎ洞窟の外へと向かっている。親の方は洞窟の隅の方に隠してきたので、今背負っているものを運び終わったら、もう一度戻ってこなければならない
ズタ袋とオークの子の重さは客観的に見れば同じくらいなはずだ。だが何故か歩いていくとオークの子を担いだ肩がずっと重く感じる。
――歩く。
歩いているとジャラジャラとズタ袋の中から音が鳴る。その音を聞くと足がずしりと重くなる。出口へと足を進めるが、一歩、一歩と進むうちに足取りが重くなっていく。
『肩がこんなにも重いのは、後悔が肩にずっしりと圧し掛かっているからだ』
『足がこんなにも重いのは、罪悪感がべったりと足に絡みついているからだ』
「……何を馬鹿な事を考えているんだ」
出口の明かりが見えてくる。だが俺は走ろうとは考えられず、ズタ袋と冷たい死体、そして後悔と罪悪感を背負い、重い足取りで出口への坂道を登り始めた。あのオークの親子への罪悪感がとても重くて坂道を上ろうとしてもその重みでろくに足が上がらない。
オークの子供を殺したことを俺の日本人的な部分が責めたてる。胸にぽっかりと穴が開いたように感じる。自嘲的な虚無感に襲われながら俺は重い足を引きずり、咎人の如く坂道を登る。まるで処刑台へと向う死刑囚のようだと思った。
――歩く。
ははは、可笑しいな。つい最近に何を犠牲にしてでも成り上がろうと覚悟を決めたばかりだというのに、村の誰かの不幸の上に立っても気にしないと誓った筈なのに、何でモンスターの子供を殺したぐらいで落ち込んでいるんだよっ!
前世でも、かつては他民族を虐殺しているまわった歴史があった、ある民族を奴隷に落とした奴等がいた。黒人だけではなく、スラブ人などの白人さえ奴隷となってきた。その名残が奴隷という英単語の「slave」がスラブ人(slav)を語源にしていることからも判ることだ。前世、今世を問わずそうだ、これがこの時代の現実だ。なら多種族との生存競争で一々落ち込んでいてどうするというのだ。俺は何を犠牲にしてでも守らねばならないものがあるんじゃなかったのかよ!
だが、感情は理性を凌駕する。口惜しさに噛みしめた唇から血が滲んだ。
「いくら噛みしめても唇には涙腺はないので涙はでませんよ」
「……ちょっと切れただけだ」
「目から汗を出すならいいですが、唇から悔し涙を出してはいけないのです」
「アニスに何がわかるんだよ」
俺は続けてアニスに文句を言おうとしたのだが目の前のアニスは突然俺の視界から消え、ちょっと間を空けて頭の上に何かが乗った感覚を感じた。
「いいから泣きたいときは泣けばいいのです。内側に溜め込もうと外に出そうと終わったものは終わったものなのです。なら、楽になれる方向に生きればいいのですよ。生者は死者に足を引かせる罪を負わせていけないのです」
「泣いて楽になって、それでいいのかよ」
「もうどうにもならない事に対して思い悩んで、自分は善人なんだと言い訳するよりは。
ハッキリ言わせもらうと鬱陶しいのですよ。殺されて怨まない奴などいないことはジャン、貴方が一番よく判っているはずでしょう。なら堂々としていなさい。貴方は生死を賭けた勝負に生き残って今立っているのですよ。怨み辛みなど跳ね除けて自分が欲するものを掴みなさい」
――出口まで辿り着いた。出口を覆う筵の隙間から暗闇を挿す一筋の光が見える。
外に出て太陽の光を全身に浴びていると、俺の頭の上から逆様になった顔が伸びてきた。その小さな顔には慈愛に満ちた笑顔を浮かんでいた。
「少なくとも私は貴方が優しい人だと知ってますよ」
その言葉を聞いた時、何故か俺の目から一滴の涙が頬を伝った。それが恥ずかしくて俺は思わずアニスから顔を背けようとした。だがアニスは俺の頭の上にいるので、いくら首を振っても逃れることができない。そんな俺をニヤニヤと笑いながら見ているアニスの顔を見てられなくなったので思わず言い訳が口に出た。
「……これはきっと日の光が眩しかったからだ」
「そういうことにしときますよ~」
遠くから怒号と悲鳴が聞こえたような気がした。音がした方へと振り向き、耳をすませると村の者とオークが戦っているらしき音が聞こえてきた。なんだまだ終わっていなかったのか。仕方が無い、加勢に行くとしよう。
出入り口近くにある草むらや茂みが生い茂る、人目に付きそうも無い場所にズタ袋とオークの子供の死体を隠しておく。
「あとで、親父さんの方の仏さんも持ってきて一緒に埋めてやるからな」
これもまた偽善だろう。だがこれくらいは勘弁してもらいたい。もう後ろを振り返ってグダグダとイジケなどしないから。ただひたすら前を向いて目標へと走る。自分の望みを叶えるために走りきる。
誰かの犠牲になどならない。俺は礎にされる側から礎にする側へと駆け上がる。それが自分が多くのものの犠牲と死の上に立つことを意味しているとしてもだ。
俺とアニスは戦場へと駆け上がる。小さい丘の頂点まで登りきって頂上より戦場を俯瞰して眺めてみると、もう戦局はオークの負けへと傾いているのが分かった。オークから逃げ惑っている者もいるがそもそも人間の方が数も多いのだ当然の結果といえるだろう。
敗色濃厚になりながらも決死の抵抗をしているオークの中に、魔法を使って奮戦しているオークの族長らしき者の姿を見つけた。時折、杖から炎を出していることからファンタジーRPG風にいうならばオークシャーマンというところだろうか。
村側の後方にいる村人の中には何やら大火傷を負ったらしき人の姿も見え、どうやら村人達はオークの出す魔法に腰が引けてオーク達にトドメをさしきれないでいるようだった。
父さんは前線でオークの戦士達と戦闘をしているし、俺はちょうどオーク達の後ろ側。奇襲して仕留めるなら絶好の配置といえる。
「アニス突っ込むぞ」
「これまで言ってきた無茶の中でも今回はとびきりなのですね」
戦闘技術は喧嘩慣れしたチンピラ程度、ステータスも常人の域から飛びぬけて優秀というわけではない。正直、オークの群れに突撃して生きて戻ってこれるか判らない。だが立ち止まっているわけにはいかないんだよ。
そんなことでは犠牲にしてきたやつらに申し訳がたたない。ただ自分だけ安全に誰かを犠牲にすることで成り上がる最低野郎でいたくない。どうせなら、犠牲にされた奴等に自慢できるぐらい素晴らしものを積み上げていきたい。所詮これも俺の心の平穏の為の言い訳だ。しかしだからどうした、俺は俺の好きにこれからやっていく。
腰の小剣を抜き、いつでも突撃できるよう構える。狙うはオークシャーマンの首、唯一つ。魔力を持ったモンスターを倒す機会などこれから先、いつあるか判らない、前も言ったが魔力持ちの魔物は素人が相手にできぬものか人型しかおらぬのだ。この千載一遇の機会をものにして俺のスキルを使える状態にしてやる!
「力使いすぎて消えんじゃないぞ!」
「それはジャン次第なのですよ!」
絶対に生きて戻る賞賛はないが、生き残れない状況ではない。アニスの力という保険をフルに使えば十分見込みはある。そして、勝ち取ったときの特典は危険を冒すのに十分なものだ。俺の命をチップにして、この勝負に賭ける。
「いくぞ!」
小剣を構え、地面を蹴りあげ、オークの群れの中に突撃をかける。
――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
俺の猛り声が戦場に響いた。丘の頂上から坂道を転がり落ちるように、まるで岩が転がるように俺は駆け下りる。猛り声が戦場に響く、それは剣を合わせる音、棍棒が空を切り裂く鈍い音を掻き消した。そして戦場は俺を除いて時が止まったかのように一瞬静止した。
そのまま俺はオークの群れの中を分け入り、オークの族長の首を取るべく走り続けた。徐々に最後方で杖を構え村人達に魔法をかけようとしているオークの族長の姿がはっきりと視界に映るようになってきた。村人側にとって最後方とは俺にとっては最前線にいるということだ。俺は猛り声を発しながらそのままオークの族長の方へと駆走る。
「 グギャ!?」
予想外の事態にこちらを唖然と見ていたオークの族長が驚愕の声をあげて俺を指差す。憮然としていた周りのオークも慌てて族長を守ろうと始めた。しかし、そんなオーク達に構わず俺はオークの族長に向って突進していった。
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それではボス、後はお願いします。




