比翼の君よ、安らかに眠れ
「子供達のことをお願いね」
妻が、イルマが出産後、産後の肥立ちが悪く天に旅立っていった。
俺はどんどんと痩せ細っていく彼女を救うことできなかった。
遂に、イルマに覚悟していた現実に、俺は心の底の狼狽を必死に表に出さないようにするのがやっとだった。いや、覚悟などしていない。俺は子供たちにイルマの体調の具合を聞かれるたびに「すぐに良くなる」「大丈夫だ、問題ない」と繰り返し答えてきた。そう、自分に意いいきかせるように。俺はただ、茫然自失するしかなかった。
俺は、泣く子供たち、ジャン、セシル、ユーグに生まれて間もない末娘を預け、動かなくなった妻を担いで村の隅の丘にきていた。ここなら子供達を見渡すことができ、春には綺麗な花々が咲き乱れるので妻も満足するだろう。
今、俺はひたすら妻の墓を掘っている。
◆◆◆
少年時代、俺はこの村で、不満と共にくすぶっていた。
このまま一生、この閉鎖的な村で年老いていくのかと、ここに縛られ、老いて行くのかと。その思いに突き動かされた俺は森に入り、鳥を、獣を、モンスターを狩った。
ジャンには怒ったが、森に入り鍛錬を積むのは、村の生活に飽き飽きした若者にとっては、比較的スタンダートな道だ。野山を駆ることで足腰は鍛えられ、モンスターを退治することでステータスをあげる。危険な荒野が広がる村の外に出るにはどちらも有効な選択と言える。
そして、若い頃の俺もまた村を飛び出すべく森の中を駆け抜けた。幸い体格の良かった俺は生き残り、その過程で狩った獣の毛皮などを売り払い旅費を手にすることができた。
そして、俺は村を飛び出した。
俺は、最初、冒険者ギルドを頼った。出自を問わない冒険者となり成功したいと考えたのだ。だが、世間は俺が思っているよりも世知辛らかった。冒険者とは少数精鋭を基本とする。フットワークの軽さがうりである彼らが求めるのは即戦力であり、素人の田舎者が入れるものではない。
初心者同士でパーティを組む者達もいたが、そういう者達はなおさら余裕がない。自分達の身すら危ういというのに、素人に一から教える余裕は彼らにはない。
当然俺は相手にされなかった。
最終的に俺が辿り着いたのは傭兵団だった。
街の真っ当な職は、他所の者のどこの馬の骨とも知れぬ小僧では雇ってもらえない。
貧しい身なりの小僧では尚更のこと。都市には食うに困り農村から出てきた者達が山ほどいる。自分くらいな子供だとかっぱらいをしているものも大勢いる。
ようするに俺は街の者から信用ならない奴と思われているという事だ。いくら俺が働く熱意を訴えたところで、どうにもならないことは、俺は十二分に理解させられた。
傭兵にも色々あるが、基本的に集団に属し己の腕を頼りに自身を売り出す者たちだ。
そして大集団であれば、徒弟や丁稚のように、餓鬼が任される仕事もある。
俺はある傭兵団に潜り込み、そこの団長に自分を売り込んだ。生死問わず、褒賞なし。自分が一人前になったら改めて雇って欲しいと。熱意が通じたのか俺はその傭兵団の下っ端として働くことが決まった。
最初の2,3年は下っ端として怒鳴り、殴られる日々だった。だが、時折、先達の傭兵達に武器の使い方を教わったりもできた。
彼らの中には俺と似たような境遇で入団した者も大勢いたようだ。団の雑務をこなすうち、安いながらも賃金がもらえるようになっていった。そのうち、人を殺すのに十分な力量が身に付けたと判断され、俺は正式に傭兵として団に加入した。
最初、死神が跋扈する戦場に恐怖した。次に、人を殺す事に苦悩した。さらに、次第に戦場になれると、親しい仲間が殺されることに怒りを覚えるようになった。戦場で、敵地で、罪のない村々で、殺し、奪い、嬲り、殺した者から身包みを剥ぎ、時には相手の腹を剣で割って、相手の隠した金目の物を漁った。略奪し、犯し、家々を燃やし、俺は手を血で染めた。
戦場は狂気に溢れ、人の本性を暴く、人は自身のうちに鬼をかっている。
そんな生活を続けていた時、あれにであった、イルマに。
◆◆◆
最初に会ったのは奴隷商のキャラバンでだった。奴隷といえど上物の商品とみなされていたイルマは他の有象無象の奴隷と違って格別に扱いがよく、休憩時に外に出歩くことを許されていた。もちろん、鎖付き、見張りつきで。その見張りの一人が俺だった。
最初出会った時は息が止まるかと思った。
彼女は波打つ金色の髪に、空のような蒼い神秘的な瞳をしていた。春の暖かい陽射しが彼女の金糸のような髪に降り注ぎ、その姿は罪深い自分を断罪に来た聖なる天使のようだった。仮にそうなら自分には懺悔することが山ほどあった。俺は何度か彼女と話そうとしたが結局一言も話せなかった。
翌日もその翌日も俺は彼女の見張りの任についた。仲間が俺に文句をつけてきたが、俺は色々手を回し、説得し、袖の下を使ってこの地位を保持した。
だがしかし、徐々に、徐々に、残り時間が短く、目的が近くなってきてしまった。俺は人生を変える一つの決断を迫られた。
目的地まで後、数日となったある夜、俺は見張りをしていた同僚を闇討ちにより失神させ、イルマを攫った。彼女はわけが分からなかったろう。普段、話しかけても一度も会話をしようとしなかった男が突然自分を攫ったのだ。
追っ手を振り切り、夜営した際に彼女に訳を話そうとしたが、その度に喉がカラカラに乾き上手く話すことができなかった。俺が右往左往し、必死に訳の分からない説明を続けることが滑稽だったのか、彼女はクスッと笑った。俺が初めて見た笑顔だった。
それから俺達は身を隠しながら、俺の故郷の村へ向かった。彼女を故郷に戻そうとも思ったのだが、すでに彼女の実家は無く、寄る辺もないらしい。
何時からかか、俺達は愛し合うようになり、ジャンを初め、子宝にも恵まれた。村の者達は彼女や子供達にとって、優しいものとはいえなかった。
村は閉鎖的で、貧しく、俺は妻と子供を奴らの魔の手から守らねばならなかった。実際、何人か奴隷商と手引きし、子供達を攫って売ろうと企んでいる愚か者共がおり、俺はそいつらを監視し、脅しつけなければならなかった。
特にジャンはやんちゃで、危うかった。その為、当初の予定より早く護身術を身に付けねばならなかった。
イルマも特にジャンの事を気にかけていた。
物心がついてしばらくして、ジャンは独特な価値観を持ってしまったことに気づいた。
深く付き合わなければ分かるまい、だが深く付き合ったものには、あの子の言動からそれに気づく事ができるだろう。
恐らく、今のような環境で育ててしまった俺達のせいだろうが、このまま、この閉鎖的な村で暮らしていけばいずれ異端者として排斥されるだろうとイルマは語っていた。それは俺も同感だった。
なので、俺達はあの子の為に、噂の芽を摘み、抑えきれなかった噂はジャンの耳に届かないようにした。なるべく、陽だまりの中で育ってくれるように。私達にとってあの子は大切なものなのだから。
あの子はいずれ村を発つだろう。そして、それがあの子にとって一番より結果となるだろう。俺はイルマとの約束を守ろう。子供達を守ろう。それが彼女を攫った俺の義務だろうから。
俺は掘り終わった墓穴に魂の抜けたイルマを横たえた。
昨日、口づけをかわした美しい顔がそこにある。
だが、今は、もう。
俺はイルマを抱きしめて泣き続けた。