お兄ちゃんは心配性
うちの妹が、この街に住む魔法使いに突然つきまとわれるようになったのはちょうど半年前のことだった。
正直、僕より五つ年下の妹は、かつて美人で有名だったかつての母方の祖母(いまはしわくちゃの梅干しのような婆さんである)に似て、かなり可愛い。
くすみのないストレートの金の髪に、透き通った青い大きな瞳、ぬけるような白い肌。
まあ、性格がおてんばで多少男勝りなとこが難点ではある。兄バカって思われてるかもしれないけれど、いやそれでもいい線いってると思うんだ。テレビや雑誌の子役よりうちの妹のほうが絶対可愛いし。
いつかは、きっと僕の手を離れて他の男のもとに行っちゃうんだと理解はしていた。結婚式とか想像しただけで学校の授業中でも泣けてくる。
けど…まさかこんなに早くにその日が来るなんて思いもよらなかった。
だって
うちの妹はまだ十歳なんだから。
お兄ちゃん、遊びにいってくるね」
うちの妹、リリアは僕が学校から帰ってくるなり近所の友達の家へ遊びに行った。放課後は小学校のクラスメートと一緒に、夕方まで遊ぶのが毎日の妹の日課である。
「夕飯までには帰っておいで。ところでリリア。」
「なに?」
「一緒に遊ぶの、男じゃないよね?」
リリアはきょとんとした目で僕を見た。吸い込まれそうなほど大きな瞳に、僕の怪訝な顔が映し出された。
「違うよ。お兄ちゃんも知ってるでしょ、ビアンカとターニャだよ、同じクラスの。」
その淀みない答えにほっとする。その言葉に嘘はない。妹は嘘をつくのが下手くそなのですぐわかる。遊び相手が、僕の知る近所の女の子だとわかると、妹を送り出した。
できる限り、悪い虫を排除するのが僕の使命である。最近なんか、とびきりでかくて目障りなドラゴン級の害虫が現れやがったので僕の警戒レベルも常に最大なのだ。
静かな古いレンガづくりの住宅街の道を駆けていくその背中を見送りながら、今日の夕飯は何にしようと考えていた。うちは両親共働きなので、平日の半分は僕が夕飯を作るのだ。結構長くやっているのでかなり同世代と比べたって料理の腕は悪くないほうだと思う。
冷蔵庫の中身から妹の好きなクリームソースのパスタにしよう、と考えていたときだった。
コンコン
うちの玄関の扉を叩く音がする。この時間だと郵便屋か、なにかお裾分けに来てくれた近所のおばさんだろうか。
そう思って扉を開ければ、そこには案の定人がいた。
そいつは、だいたい見た目は僕とそう変わらない年頃で身長もだいたい同じくらいだった。
ただ異様なのはその装いだ。こんなまだ明るいうちから黒いローブを頭からかぶっていやがる。
僕は瞬時に理解する。こんな変人は、この街でひとりしかいない。頭のなかで某帝国の黒づくめの男のテーマが鳴り響き、警戒レベルを最大にまで引き上げ、ドアを閉めようとした。が、その間際に足を挟まれてそれは叶わなかった。
そいつは、僕のほうを見ながら明るい声音で言った。
「リリアちゃん、います?」
それは、僕が恐れていたドラゴン級害虫のおでましだったのだ。
なんだかぼんやりと精気のない一対の灰色の眼とは対照的な、きれいな赤い花を持っているのが見えて、さらに僕は背中に冷たいものが走るのを感じた。
「帰れええええ!」
僕は近所迷惑だなんて言葉も忘れて叫んだ。
「ひどいですね…私はリリアちゃんに会いに来ただけですよ、お義兄さん。」
「だまれ、おまえにお義兄さんなんて呼ばれる筋合いない!」
傷ついたようなリアクションをしても無駄だっていうんだ。一見、格好以外は普通の少年に見えるそいつは、「黒龍の魔法使い」と呼ばれる、この国いちばんの魔法使いだった。戦争に行けば、敵軍を一晩で壊滅させたり、最も難しいといわれる黒龍への変化術を自在にできるという凄腕の持ち主。
「自分の花嫁に会いに来ただけなのに…ああリリアちゃん、私は眠っていても君が恋しくて起きてしまうんだ…」
胸に手をあてて陶酔するようにつぶやく魔法使いの姿に顔がひきつる。でもどうしてかしっくり来るのは、魔法使いがひどく美しい容貌を持っているからかもしれない。
「ていうか、なんなのその姿。元の姿に戻りなよ。」
僕がそう言うと…ローブが縦に伸びた。事情を知らない奴が見ればホラーだ。ほら、ノリスさんちの猫が毛を逆立ててこっちを見ている。
ローブの中からは、だいたい二十代半ばの灰色の目を持つ男が現れた。線が細くて、病的なほどの白い肌を持つそいつこそ、いつもの僕が知る魔法使いだった。一見、きれいな女の人のようにも見える。うちの母さんいわく「絶世の美青年」らしい。
妹だってそれは可愛いけど、やっぱり「可愛い」止まりなのだ。数年後はわからないけれどね。でも魔法使いは、奴の伝説級に美しかったという母親に似て、とても美形だと評判だった。おかげで奴がこの街に来る前にいた王宮では、多くの貴族の婦人からご令嬢まで骨抜きにしていたらしい。が、こんな変態に女性の扱いに長けてたとはなんとも怪しいものだ。そうだ、こんな変態なんかにっ!
「つーか、まじ帰れ、変態魔法使い。いま妹いないし。」
「えー、せっかく若い姿をリリアちゃんに見せてあげようと思ったのに。あれくらいの姿ならお似合いでしょう?あと変態はひどいです、私は魔法使いの中ではかなりまともなんですよ?」
一応、妹との年齢差は気にしていたらしいが変態は変態である。だってこいつ…
「うるさい!十歳の幼女に惚れる百十一歳のジジーがどこにいる!充分変態じゃないか!どんな姿だろうと似合うわけがない!」
そう、この魔法使いときたら俺の死んだ爺さんよりも年上なのだ。なんでも昔、大地の女神からかけられた呪いで若い姿のままらしい。
「もう少し若返ったほうがいいですか?」
「おまえ人の話聞いてないだろ!まったくもー脳みそはそのまま老化してるのか!?」
「失礼ですね、脳だって若いままですよ。いまだってひとつに一時間かかる超長文詠唱魔法をひとつの言葉も欠けることなく言えます。」
「うるさいうるさい!とにかくうちの妹はお前の嫁になんかやらん!お付き合いだなんてもっての他だ。」
「うるさいって…叫んでいるのはあなただけですよ。それに私の花嫁になるかは兄であるあなたよりリリアちゃんの意志を尊重すべきです。彼女はいいって言ってくれました。」
この街に、魔法使いがやってきたのは半年前だった。
奴に恨みを持つ同業者との戦いの末、傷ついて消耗した魔法使いは龍の姿のままこのあたりを飛んでいた。やがて力つきた魔法使いは、ここから南にある裏山に着地する。ここで死ぬのだと自覚したそのとき、現れたのはちょうど裏山で遊んでいた妹だった。心優しく純粋な妹は、他と違い龍を怖がることなく応急処置をしたという。そして威嚇する龍に妹がしたのは…
「リリアちゃんは私に、怖くないよと言いながら額に口付けをしてくれたのです。あんなに優しい口付けは生まれて初めてでした。私の変幻した姿を怖がることなく小さな体で抱き締めてくれて…私はそのときに決めました、リリアちゃんを花嫁にすると。この半年、リリアちゃんのことを知るたびに思いはつのるばかり。この街に引っ越してきたかいがあったというものです。」
そう、奴がこの街に来たのは妹がいるからだ。王宮魔術師の職を辞し、いまは適当に薬剤師っぽいこととか教師っぽいことをしている。
妹は動物好きで、なかでも無類のトカゲフェチだったのがこんなに災いするなんて誰が思ったことだろう。多分妹は変幻した魔法使いをでっかいトカゲだと思ったに違いない。なんなんだこの馴れ初めは。どこの童話だよ。
「そんなの知るか、このロリコン!帰れ!そして僕と妹の目の前に二度と姿を現すな!」
僕がそう言ったとき、目の前に魔法使いはいなかった。
「あ、今日はパスタですか。私もご馳走になってもいいですかね?大好物なもので。あ、花生けといてください。これは空気を綺麗にする効果があるのです。」
いつの間にか家に上がり込んだそのご機嫌な背の高い男の姿に、僕はひとしきり絶叫したあと膝をかかえてダンボールの中に入りたくなった。
「ご馳走さまでした。」
魔法使いは優雅な手つきで僕のつくったパスタを完食する。毒でもいれてやろうと思ったが、残念ながら平凡なわが家にはそんな物騒なものはない。今日は親たちの帰りが遅いので、僕らのぶんだけ先に作った。
「ねえ、一緒に遊ぼう!」
少し後に食べ終わった妹が、魔法使いにまとわりついた。
「勿論です。リリアちゃんから誘ってくれたのに断る理由がどこにありますか。」
魔法使いはそう言って、妹をその長い腕の中に閉じ込める。
「おい、リリアから離れろこの変態!」
僕がむしりとるように妹を魔法使いからはがした。
「ああ、嫉妬は醜いですよ。いい加減妹ばなれをしたほうが良いのです。」
「ねえお兄ちゃん、シットってなあに?」
腕のなかの妹が首だけ回して僕のほうを見る。さらさらの金髪がくびまわりをくすぐった。
「リリアちゃん、教えてあげましょう。嫉妬とは…」
「ぎゃあああああああ!」
魔法使いの得意気な声にかぶせるようにして僕は大声をあげた。多分、いや間違いなく僕は嫉妬している。何も知らない妹をたぶらかそうとする魔法使いの存在がひどく恨めしかった。
どうしてこんなに早く妹に悪い虫がつかなくてはならない?生まれたときからあんなに可愛がってた僕のリリアに。どうして…どうして…
「どうして・・・ぼくから離れていかないで・・・。」
僕の口から、思わずそんな情けない言葉が漏れた。
「お義兄さん。」
急にしんみりとした口調になる魔法使いに、僕は身構える。っていうかお義兄呼ぶなっていうに。
「私は、ずっとひとりぼっちでした。早くに両親を亡くし、千年に一度の天才といわれ崇められてきました。魔法使いになってこの国のために戦い、ますます孤独になっていきました。寄ってくるのは私の力を利用しようとする権力者か、うわべを着飾った貴族の娘ばかりだったのです。」
え?なに?いきなり身の上話ですか?
「本当の愛を知らず、ひねくれた私にかけられたのは恐ろしい呪いで、それを怖れたまわりにいた人々は私から離れていきました。どうせ人間なんてこんなものだと諦めて、ますます私はやさぐれいきました。しかし…リリアちゃんはこんな私を優しく受け止めてくれました。こんなに清らかな人がこの世にいたのかと…そう、私の荒んだ心を癒やしてくれたのです。」
魔法使いは俯きながら、今まで知らなかった自身のことを語り始めた。なんかこいつ友達いなそうだな…とぼんやり考えていた僕は、ここまで魔法使いが孤独な生き方をしてきたとは思わなかった。それなのに僕がしたことといったら、奴から唯一の心の拠り所である妹を引き離そうとするばかり・・・。
動揺した僕の腕から抜け出した妹は、魔法使いのもとへ駆け寄ると、ぎゅっと奴の手を握りしめた。
「大丈夫。これからはひとりじゃないよ。さみしくなんかないよ。」
「そうですね、リリアちゃん。」
なんだかいい感じに見つめ合う二人に、俺は居場所を失う。見た目こそ若い男と幼女で、実年齢にさらに開きがあるふたりだが…
「そう、一刻も早く私達は結婚するべきです。そう、明日にも!もう家にはいつでもリリアちゃんを迎える準備はできているのですよ!」
ベッドだってキングサイズに買い換えたんです、と拳をふるって熱弁する魔法使いの姿に僕は我にかえる。ちょっとまて、おまえはまさか本当に本当の犯罪を犯そうとしてないか?
さらにきょとんと首を傾げる妹の肩を満面の笑みで抱きしめながら、子供は五人がいいとか言い出している。たぶん…超箱入りで育てられた妹はわかっていない。すべての意味を。
「愛に年の差など関係ありません。ね、お義兄さん。心配しないでくだい、明日の結婚式にはお呼びしますから。」
一瞬でも同情しかけた僕が馬鹿だった。そしてとうとう僕の怒りは一気にマックスとなり、ゲージを破ったのだった。
「二度と来るなあああ!この変態魔法使いいい!!!」
おわれ(強制)
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。この作品は、昔正統派ファンタジー小説を書こうとしたら、作者がへそまがりなせいか、横道に逸れまくって間違っても正統派とは言えない物語になってしまいました。最後の方は登場人物が暴走しておかしなこと言ってるので、本当にすみません…。でも自分では、なかなかこの曲がり具合が自分らしいなぁと勝手に思っております。ではこれにて。