第2話:お局聖女、リヴリー夫人の不条理なルール
世界ランク1位。
その数字がもたらした効果は劇的だった。
私の安らかなスローライフ(予定)は、翌朝から鳴り止まない通知音によって破壊されたのだ。
「……うるさい」
私は天蓋付きベッドの中で、不機嫌に眉を寄せた。
サイドテーブルに置かれた魔道端末が、まるで発作を起こしたかのように震え続けている。
画面を覗き込むと、そこにはSNSの通知だけでなく、個人宛のダイレクトメッセージ(DM)のアイコンが、見たこともない数字を表示していた。
ファンからの称賛? 企業案件の依頼?
いいえ、違う。
表示されているのは、もっとドロドロとした、粘着質な「感情」の吹き溜まりだった。
『挨拶がないとはどういうつもりですか?』
『新人がリヴリー様に顔を見せないなんて、常識知らずにも程がある!』
『今すぐ謝罪配信枠を取りなさい!』
『無視するな!』
『DM……』
画面を埋め尽くす罵詈雑言。
差出人はどれも、似たり寄ったりのアイコンだ。ゴテゴテとしたドレスを着飾った、名も知らぬ下級貴族の令嬢たち。
私はひとつ大きな溜息をつき、扇子を手に取った。
「……未読でいいわ。アポ無しはマナー違反よ。」
前世の記憶が蘇る。
忙しい業務中に突然かかってくる、面識のない業者からの営業電話。あるいは、件名も要件も不明瞭な「至急確認お願いします」というメール。
それらは全て、私の貴重なリソース(時間)を奪う害悪でしかなかった。
ビジネスにおいて、相手の時間を奪う行為には、それ相応の手順と礼儀が必要だ。いきなり個人の端末に土足で踏み込んでくる人間に、返信をする義理はない。
「コンプライアンス以前の問題ね。即、ブロック」
私は流れるような指捌きで、彼女たちを次々と「迷惑アカウント」リストに放り込んでいった。
◇
一方その頃。王都のギルド本部にあるVIPサロンでは、異様な空気が漂っていた。
サロンの主は、配信界の女帝、リヴリー夫人。
そしてその周囲を、色とりどりのドレスを着た取り巻きたちが囲んでいる。
「まぁ! 未読無視ですって!」
「ん~信じられない!」
「礼儀を知らない田舎娘ですこと!」
赤、青、黄色。信号機のように騒がしいドレスの令嬢たちが、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと騒ぎ立てる。
彼女たちは「リヴリー親衛隊」。夫人の威光を笠に着て、新人いびりを生き甲斐にしている連中だ。
彼女たちの視線の先には、怒りで震えるリヴリー夫人の姿があった。
今日の夫人の装いは、昨日にも増して攻撃的だった。
深紅のドレスは血の色のように濃く、そして何より目を引くのは、その頭上だ。
高く結い上げられたカツラの上には、色とりどりのフルーツ盛りが飾られ、さらにその頂点には――精巧な帆船の模型が鎮座している。
夫人が怒りで肩を揺らすたびに、帆船のマストが大きく揺れ、今にも難破しそうだ。
「キーッ! なぜ挨拶に来ないの!? この私がルールよ!」
夫人の金切り声がサロンに響き渡る。
彼女の論理はこうだ。
この業界で売れたいなら、まずリヴリー夫人の配信に出演(ゲスト出演という名の噛ませ犬役)し、彼女を立て、視聴者を彼女のチャンネルに誘導しなければならない。
それが「仁義」であり、彼女が定めた「法律」だった。
「あのマリーとかいう小娘、たまたまレアな魔獣を拾っただけで調子に乗って……! 私のチャンネル登録者数を一晩で抜くなんて、許せないわ!」
夫人は厚化粧がひび割れそうなほどの形相で叫ぶ。
「私の影響力を思い知らせてやるわ。あの子のコメント欄を荒らしなさい! 悪い噂を流すのよ! この業界で生きていけなくしてやるんだから!」
◇
そんなサロンでの騒動など露知らず。
私は優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。
今日の紅茶はダージリンのファーストフラッシュ。お茶請けは王都で人気のパティスリーから取り寄せたカヌレだ。
足元では、巨大なフェンリルのフェルゼンが、ふかふかの絨毯の上で丸くなっている。
彼は時折、ピクリと耳を動かし、私のスマホの方を嫌そうに見る。
「どうしたの、フェルゼン? 画面から漂う『負のオーラ』が臭い?」
「グルゥ……」
肯定するように喉を鳴らす彼を、私はよしよしと撫でてやる。神獣には、電波に乗った悪意すら感知できるらしい。優秀なセキュリティソフトだ。
端末には相変わらず、「コラボのお誘い」という名の「呼び出し状」が届き続けている。
『リヴリー様のサロンに来なさい』
『今すぐコラボ配信をセッティングしなさい』
『断ればどうなるか分かってるの?』
私はカヌレを一口かじり、冷めた紅茶で喉を潤す。
コラボレーション。聞こえはいいが、要は「合同会議」だ。
会議には目的が必要だ。そして何より、双方に「メリット」がなければ成立しない。
彼女たちは私の視聴者数を吸い取りたいだけ。私には、彼女たちと関わることで得られるメリットが一つもない。数字も、好感度も、何もかも。
私は独り言のように呟く。
「メリットのない会議はお断りよ」
私はそっと端末を裏返し、視界から遮断した。
前世では断れなかった、無意味な定例会議。
上司の自慢話を聞かされるだけの飲み会。
生産性ゼロの付き合い。
――それらを「NO」と言える。これこそが、私が求めていた貴族の特権であり、スローライフの醍醐味なのだ。
「さ、フェルゼン。お散歩に行きましょうか。今日は裏庭のダンジョンで『お昼寝配信』をするわよ」
私は優雅に立ち上がる。
嵐はまだ始まったばかり。
けれど、私の「定時退社スキル」は、伊達にブラック企業で鍛え上げられてはいない。
お局様がどれだけ吠えようと、私の平穏は、絶対に揺るがないのだから。
【次回予告】
既読すらつかないことに夫人がブチ切れ! 私のコメント欄にアンチコメントの嵐が! でも大丈夫、うちのフェルゼン(犬)が画面外のアンチを物理的に特定しに行きました。
第3話:麗しの近衛騎士、アレクシー参戦




