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十一話


 聖女とはつまり、呪いに対しての生贄だ。それがようやく分かった。

 人権無視も良いところである。国を興した初代国王は国民想いではあるが、聖女に対しての優しさは兼ね備えていなかったようだ。非常に残念だ。

 ……もちろん、大陸の中でもこの王国が一際広い領土を治めているのに、この呪いを集めるシステムが大いに関与している事は容易に想像がつく。

 大陸中に緩衝地帯がポツポツと虫食いのように点在しているのは、つまり多くの諸外国は呪いに対する答えを見つけられていないのだ。

 呪いとは、防ぎようのない病である。

 多くの人命を奪った黒死病や天然痘とは一線を画す発生源として、人の悪意から産まれてしまうというとても対策の打ちようのない病なのだ。

 当然人々は常に猜疑の心に蝕まれているだろう。他国に足を運んだことはないが、王国ほど余裕のある生活は送れていないはずだ。

 必然的に、呪いを制御している国が、広く大きく強くなるのだ。

 ……そこまで規模の大きな話となると、私にとってはどうでもいいことだ。国も、そこに住む大人達も、自分たちでどうにかしろとは思う。

 それでも今も世界のどこかで子供達が苦しんでいるかと思うと、胸が痛い。

 せめて私に出来ることは、一人でも多くの子供達を救おうと、呪いにこの身を鎮めることだけだ。

 私は子供達への愛を胸に、定期的に呪いの集合体へとダイビングする日々を過ごした。仕事なんで、仕方なく……。

 ちなみに呪いはすっごく痛い。

 最初に飛び込んだ時は、お役目を終えた後でも一週間は痛みで動けなかった。

 後遺症が残るというか、神経がずっと痛みにさらされて脳がおかしくなってしまうのだ。

 痛かった。

 あれは本当に。

 ただ、何度も経験してくると、人間とは恐ろしい物でだんだんと慣れていく。痛みが特別なものから、日常的なものに鈍化していく。

 痛みを感じなくなったわけではない。痛みに耐えられるようになったと言い表すのが正しい。

 それが慣れなのか、それとも身体が何か別のものに作り変えられていっているのかは分からないが、私にとって呪いの痛みは、非日常から日常に変わっていった。


 

 ――――――


 

 聖女の本当の仕事を知って、それから一年ほどだった頃だろうか。私の元に縁談の話が届いた。

 相手は王国騎士団第一軍隊長様のご子息――ライレオット様だ。王国騎士団とは、王国教会と国民、引いては国を守る王国の軍みたいなもので、警察と軍を兼ね備えたような存在だった。

 当時の私の年齢は十五、六だ。この世界的には見合い話の時期としては少し遅いくらいだが、それには理由がある。

 自分で言うのも気が引けるが……なんとそのライレオット様は私に一目惚れしていたらしい。いつからとかどこでとかそういう話はなかったものの、教会と聖騎士団の間では長い間その噂がヒソヒソと流れていた。

 その噂を裏付けるように、ライレオット様は父である団長に向けて私を嫁にしたいと懇願していたようだった。

 我が家のスタンスとしてみれば問題はなかった。話を聞くと父も似たような経緯で母と結婚したらしい。

 問題はライレオット様の方だった……というか、ライレオット様の父親だった。

 騎士が聖女の家に婿養子となると、その時点で『血が途絶える』。ライレオット様は一人息子であったし、それは何としても避けたかったらしい。

 もっとも、その時の私にはなんのこっちゃという話だった。思い当たる事もなく、聖女との間に成した子は教会に身を置かねばならぬとか、だから騎士としての血筋は終わってしまうから軍人系の血筋としては避けないといけないとか、そういう妄想で補完するしかなかった。

 理由が分かるのは少し後だった。


 さて、それまでの私はというと、縁談とか、婚約者になるであろう人物の事とか、まるで興味がなかった。ライレオット様がようやく父親を説得して親同士で婚姻が認められたとなっても、「ああそう」くらいのものだ。

 私の興味は、結婚のその先……つまり子供を産むことに向かっていた。

 ことここに至って自分が男と結婚するとか妊娠するとか、そういう点での違和感はない。私は元々リリシアとして生まれ、ただ前世の記憶を思い出しただけなのだから。

 とにかく、我が子をこの手に抱いてみたい。

 そんな思いで、日々の仕事をこなしていた。

 そんな遠くない未来のことを考えるだけで、呪いの痛みにも随分と楽に耐えられたように思えた。死ぬほど辛い痛みが、頑張れば耐えれるんじゃないかってくらいの変化だった。大きな変化だと思う。

 改めて、私は子供が好きなんだ。

 それがよくわかった。


「――結婚相手が決まったらしいわね」


 マリアとは相変わらず定期的に会っていた。時間が合えばお茶会なんてするくらいだ。

 私の中ではもう完璧に頼れる先輩のイメージだった。実のところは先輩どころかもう社長とかそのレベルなのだが、彼女は暇を見つけては私との時間を取ってくれた。

 ありがたい事である。


「話によると一目惚れらしいじゃない。ロマンチックね」


「マリアまでその話を信じているの? そんなわけないわよ、私、ライレオット様とはお会いしたことないもの」


「でも乙女心をくすぐる話じゃない。その様子ならまだお会いしてないのね」


 彼女は一向に老ける様子のない笑みを浮かべると、一人納得したように頷いていた。


「なら、ちょうど良いタイミングね」


「なんの話?」


「……これから結婚するあなたには、絶対に知っておいてほしい事よ」


 世間話でもするような態度から一転して、マリアは佇まいを正した。

 このマリアを見るのは二度目だ。

 ちょうど一年前、彼女から呪いのことを教わり、そして聖女としての本当の役目を知ったあの日以来だ。

 顔が強張る。

 また、何か大変な役目でもあるのだろうか。


「――貴方は、子を成してはなりません」


「……は」


 言葉の意味が分からず、ポカンとしてしまう。

 この人は何を言っているのだろうか。

 マリアは今、私に子供を作ってはいけない、と。そう言ったのか?

 一体なんの権利があって、そんな事を口にしているのか。

 言葉を返すことすらままならず、マリアを見つめ返すのみとなってしまう。


「……なるほど、その様子だと本当に知らないのね? 全く、嫌な役目を押し付けてくれるわね」


「……ま、まって、な、なんの話? 子供を、私は子供を産んではいけないと、今、そう言ったの?」


「そうよ」


 にべもなく頷くマリアの姿に、この世界で生まれて初めて、どうしようもないくらいの大きな憤りを覚えた。

 訳がわからない。

 訳がわからない。

 そんな私を、マリアは嗜めるように見守っていた。


「だ、だってそんなの、なんで、マリアに……ぇ……?」


「……リリシア、貴方にお役目を伝えて一年。もう自分でも気がついてるんじゃないかしら?」


「……な、に……?」


「その身体が、普通の人間の身体ではなくなってしまったことに、よッ――!」


 突然、テーブルの下から銀閃が煌めいた。

 ざくりと、頬の辺りに深く鋭い痛みが走る。

 ナイフか何かで切り付けられたと気がついた時には、怒りよりも恐怖よりも、困惑が私の心の中を占めた。

 無論、痛みは感じた。切り裂かれたような痛みだったとは思う。

 だが何故だろう。

 身体が傷ついたという感じはしなかった。

 頬の肉がほんの少し撫でられたような、そんな感覚だった。


 触ってみると、ゾクリとした。

 垂れていたのは赤い血ではなかった。

 真っ黒な、炎のようなものが、私のほっぺから燃え上がっていた。

 黒く、黒く、黒い。

 呪いのようなものが、まるで出血の代わりと言わんばかりにメラメラと立ち上っている。


「なに、これ……」


 思わず尋ねる。

 自分の身体なのに、自分の体ではないような。そんな気分になる。

 おかしい。

 マリアの言動や行動よりも、自身の身体のおかしさに気が狂いそうになる。

 身体の中に、何十億もの真っ黒い羽虫が這い回っているような感覚。今すぐ全身の血液を洗い出して、身体の中を洗浄したいような気持ちに駆られる。

 血ではなく。

 こんなものが今の自分の体に流れているのかと思い。

 全身を掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。

 痛い。

 痛い。

 呪いは痛い、痛いのだ。

 ……痛い、はずなのだ。

 痛くない、はずがないのだ。

 だからこの感じる何かは、痛みなんだ。

 そうに決まっている。

 

「あなたの身体は、もう呪われた。聖女としては正常よ」


 聖女としてはという言葉に私は気がついた。

 そしてそこから導き出される答えを確かめるために、静かに問いかける。

 

「……人間としてはどうなの?」


「もう人間とは呼べないわ。貴方はこの国に身を捧げた聖女。それは聖女ではあって女ではないのよ」


 あまりにも納得のいかない話で、私は食ってかかった。恐怖を飛び越えて、噴火するような怒りが湧いてくる。


「なんで聖女が子を産んではいけないの!? 第一私は第一聖女の母から産まれたのよ!?」


 私の身体が呪いに満ちているからと言って子供を産んではならない理由も分からないし、何より私が聖女の母から産まれたのは紛れもない事実だ。

 ……そうに決まっている。

 マリアは落ち着いていた。まるで過去の自分を思い出すみたいに、ぼうっと私を眺めているた。


「一つずつ答えましょう。子供を産んではいけない理由は簡単よ、呪いが受け継がれてしまうから。呪いを無くそうとしている聖女が呪いを増やすなど……あってはならないの」


 うるさい黙れ。

 そう口にしようとして、しかし彼女の言っている事はそうなのだろうなと冷静に認める自分がいた。

 そうか……私は……私の身体は、呪われてしまったのか……


「そして二つ目。これは私の口から言うのは気が引けるけれど、敢えて伝えるわね。聖女の大半が養子を取るのよ」


「……!!」


 それは答えに等しかった。

 同時に、どこか距離のある母にようやく納得する。

 私達は、血の繋がった親子ではないのだ。

 ……いいや、そんな事はどうでも良い。


 母など、聖女の役目などどうでも良い。

 それよりも、私は子を産んではいけないのだ。

 その方が、私にとってはショックだった。

 聖女の身は呪いに蝕まれている。

 それはそうだろう、日々呪いの塊に身を落として、呪いを取り込み、消し去っているのだから。

 身体が呪われるのは、至極当然に思えた。

 だから、もし仮に聖女が子を産んではならないという誓いを犯して産んだとして、その子は恐らく呪われているのだろう。何せ呪いから産まれるのだから。

 そんな子が、幸せに暮らしていけるわけもない。呪いとは、それほど楽観視できるものではないのだ。


「少し時間がいるわね……また後で話しましょう」


「……」

 

 私は項垂れて、マリアが立ち去るのも構わず空を眺めた。

 なんというか、ぽっかりと穴が開いたような気持ちだった。

 夢だったらとか、聞き違いだったらとか。そういう事を考えては、脳内の記憶のマリアが否定する。

 聖女とは、人間ではないのだ。

 そんな化け物が、子を孕んでよい訳もなかった。

 見ないふりをしていた。

 着実に変わりつつある身体を、ただの慣れと思い込んで。

 本当は取り返しのつかないところまで来ているのに。

 馬鹿みたいに浮かれて。

 我が子を腕に抱くのが待ち遠しいなどと。決して叶うはずもない妄想を繰り返していたのだ。

 我ながら、実に滑稽だ。

 本当に。


「――初めまして、リリシア」


 それからどれくらい経ったのか。

 呆然とする私の前に、知らない男性が立っていた。


「……」


 ああ、挨拶をされている。言葉を返さないと失礼だ。

 そう頭では分かっているのに、私は発声する事が出来なかった。

 相手は特段気にした様子もない。


「僕はライレオット、君の婚約者だ」


 そうか、この金髪の優男がライレオット様なのか。

 しかし今は間が悪い、放っておいてほしい。

 時間を空いてから、相手をするから。だから今は……


「こんな事は初対面の淑女(レディ)に失礼とわかっているけれど、愛した人が傷付いているのを黙って見ているわけにはいかないからね――失礼」


「……?」


 薄ぼんやりとした意識の中、ライレオット様が優しく私を抱きしめます。

 王国騎士団として鍛えられた頼もしい肉体が、私を勇気づけようと、壊れ物のようにそっと触れてくる。


「――僕も、ついさっき知ったよ。ショックだったけど、それ以上に『子供好き』として知られている君の方が心配だった」


「……っ」


「だから、必死に探したよ。幸いにして、第一聖女様が使いをくれてね……こうして君の元に都合良く来ることができたんだ」


 ライレオット様は、私の肩を掴むと、まっすぐに目を合わせた。


「君の悲しみを埋めるのに、僕程度では役不足なのは分かっている。君はまだ十歳にも満たない頃から、多くの子供達を救ってきた。それは君が子供を愛し、大切に思っているからだ」


「……」


「そんな君が、自らの子を持てないのは、辛いと思う……僕もだ」


 金色の瞳が、私の心を見つめていた。

 澄んだ瞳だった。

 まだ吸いも甘いも経験していないような、若い瞳。

 私はそのお日様みたいな眼差しに、抱きしめられていた。


「――僕が君を幸せにする」


「……」


「これ以上、君にそんな顔はさせない。僕が君を守る。全ての悲しみと、苦しみから、君だけを守る」


「……王国、騎士団は……王国民を守るものですよ」


 ようやく返せた言葉がそれだった。

 自らの仕事を投げ出すのかと、私はなんとなしに言った。

 何かを考えての言葉ではない。むしろ何も考えていないからこそ、相手の気持ちや立場を無視して出た台詞だった。


「――僕は良いんだ。僕は父から第一軍を外され、第二軍に移された。第二軍は、君たち聖女を守る者たちだ」


「……」


「僕が、生涯をかけて君を守る。君の痛みも、僕がいつか癒してみせる」


 呪いに入ったこともないのに、何を言っているんだろうかこの青年は。

 そう思ったものの、身体は思うようには動かず。

 私は彼の胸で泣きじゃくるしかなかった。


 もう後戻りは出来ない後悔と。

 一生続くこの苦しみを考えて。

 涙が止まらなかった。



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