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ピカレスク  作者: 木こる
1/2

実行犯

   1 『空虚』


ほっかむりの上から被っている帽子に汗が染み込み、

つばからポタポタと滴り落ちる。

体温よりも高い気温の中で屋外作業をしていれば、

当然そうなろうというものだ。


先輩たちは昼にコンビニ弁当とカップ麺、

それに加えておにぎりや菓子パンなどを軽く平らげていたが、

本格的な肉体労働を始めてから日が浅い俺には、

まだそのような食べ方は真似できそうになかった。

あれだけの物量を腹に収めて苦しくならないのだろうか?


ここの人たちとは話が合わない。

彼らは俺にとって興味のない話題しか口にしないのだ。

パチンコ、スロット、競馬、パチンコ、麻雀、競馬、風俗……。

親睦を深めるにはそれらについて勉強するべきなのだろうが、

そこまでして仲良くなりたいとは思っていない。

彼らにとって、俺という人間はつまらない奴のままで構わない。



最近は仕事帰りにコンビニで500mlの缶ビールを購入し、

店先で飲み干してから家路に就くのが日課となっている。

健康に悪いだろうし、世間体もよくないのはわかっている。

だが、他に楽しみがないのだ。


休日にゲームセンターでスロットを試した事はあるが、

これがまあ、なんともつまらない。

絵柄が横1列に揃ったからなんだというのだ。

だが、何時間も座り込んで熱中している人たちも存在するのだ。

彼らは何かしらの楽しみがあるからこそ入り浸っているのだろう。


ひとえに、娯楽を楽しめない理由は俺自身にある。

俺には情熱というものが備わっていない。ただそれだけだ。

ただ生命活動を維持するためだけに日銭を稼ぎ、食べて、寝る。

叶えたい夢や成し遂げたい目標などは持ち合わせておらず、

将来の自分がどうなっているかも真剣に考えようとしない。

理想も不安もない、空っぽの日々を消化するだけの人生。

俺という人間は本当につまらない奴なのだ。




   2 『再会』


ある日の仕事帰り、なんとなく違う店で酒を買おうと思い立ち、

いつもとは違うルート上にあるコンビニに立ち寄った時の事だ。


「伏見君?」


不意打ちだった。

レジに立つ女性店員が怪訝そうにこちらを窺っている。

彼女の顔を見つめ返しても名前が出てこなかった。

まあ、苗字を言い当てたのだから俺の知り合いなのだろう。


太縁の眼鏡が特徴的だが、それだけでは思い出せない。

髪は自然な茶色で、うなじの部分で縛って垂らしている。

しかし髪型や色は簡単に弄れるので判断材料としては弱い。

そもそもマスクで顔半分を隠しているのでわかりづらい。


「渡部……」


最初から名札を見ればよかったのだ。

なぜそんな簡単な事に気づけなかったのかと自分を責めたくなるが、

とりあえず相手の正体は把握できたので良しとしよう。



彼女は中学時代の同級生だ。

入学から卒業まで校内一の美人の座に君臨し続けた女で、

容姿に恵まれただけでなく頭の回転が早くスポーツ万能であり、

更にはどのグループの女子とも仲が良いという隙の無い存在だった。

月に2〜3人の男子から交際を申し込まれていたようだが、

とうとう彼女の心を射止める者は現れなかった。


俺はこの女が苦手だった。

当時の俺は水川という女子に恋心を抱いていたのだが、

この女、渡部は悉く俺の恋路を邪魔してくれたのだ。

俺が水川に声を掛ける際にはいつもこの女が横槍を入れ、

いかに俺がろくでなしのダメ人間であるかを水川に吹き込み、

それを水川が真に受けるせいで一向に距離が縮まらなかったのである。


まあ、現状を見れば渡部が正しかったのだが。

ろくでなしのダメ人間。まったくその通りだ。

だが、それでも、当時の俺は未来に希望を持って生きていた。

こんな大人になろうと思ってこうなったわけではない。

水川を絶対に幸せにしてやろうという気概があった。

しかし、それは実現しなかった。




   3 『失恋』


俺は渡部に妨害されても、めげずに水川へアタックし続けた。

他の女子も一緒になって犯罪者予備軍だのなんだのと罵倒してきたが、

それでも俺は内なる炎をかき消す事ができなかった。


いつしか男子も敵になっていた。

彼らは集団で俺を取り押さえると寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加え、

少しでも反撃されると「何もしてないのに殴られた」と教師に吹き込み、

その嘘を信じた学校側から何度も謹慎処分を言い渡された。


親も敵だった。

体の痣を見せても俺の主張をまるで信じようとはせず、

さも俺が急に暴れ出したかのように決めつけた。

事なかれ主義もここまでいくと逆に感心するしかない。


2年生に上がると、そこに水川の姿はなかった。

彼女だけでなく去年の同級生は1人も同じクラスにいない。

こんな問題児と一緒にするわけにはいかなかったのだろう。

ごく当然の判断だ。共通の敵さえいなければ平和なのだから。



俺の初恋はある日突然終わりを迎えた。

5月に入り、水川が妊娠したというニュースが舞い込んできた。

お腹の子の父親が誰かは結局わからずじまいだったが、

とにかく彼女は不特定多数の男と関係を持っていたらしい。


自分でも不思議だったのだが、俺はその重大事件を耳にして

怒るでも悲しむでもなく、特になんとも思わなかった。

それまでどんな手段を使ってでも手に入れたいと思っていたのに、

それが他人の物であると発覚した瞬間に熱が引いたのである。

むしろ全力で俺を止めてくれたみんなに感謝すらしていた。

そのおかげであんな馬鹿な女に引っかからずに済んだのだから。


結局それが俺という人間の本性だったのだ。

情熱なんて持っていないのに、あるふりをしていたにすぎない。

思春期には恋をしなければならないとでも思い込んでいたのだろう。

きっとサイコパスか何かだ。

普通の人間ならショックを受けるはずなのに、俺はそうじゃなかった。

1ヶ月も学校に来れなかった渡部のような反応が正しいはずだ。




   4 『誘惑』


かつての天敵であり、恩人でもある渡部が目の前にいる。

あれから10年以上も経っているのだから当然といえば当然なのだが、

今の彼女はなんというか地味な印象であり、あの頃の輝きがない。

仕事の都合上あまり着飾らないようにしているだけかもしれないが、

それにしても野暮ったい伊達眼鏡は必要なのかと疑問が浮かぶ。


聞けば彼女は母親と口論した末に高校を中退し、

家を飛び出して以降、アルバイトを掛け持ちする毎日らしい。

まさかあの完璧超人の渡部がそういう進路を辿っていたとは驚きだが、

世知辛い世の中なのでそれも仕方ないと納得してしまう。


かくいう俺は高校卒業後に就職先で大卒組から目をつけられ、

「ほんの冗談のつもり」で工場のプレス機に巻き込まれそうになり、

それ以来メンタルが安定していない事を打ち明けた。

きっと今の仕事も長続きしないだろう。世知辛い世の中だ。


まったく生きづらい。今も昔も。

俺のような社会不適合者には、普通の生き方とやらはことさら難しい。

賢い彼女はとうの昔にそれを見抜いており、ずばり言い当てた。

そして、その賢い彼女でさえも生活苦に喘いでいる始末だ。


だが社会が悪いのではないと理解している。

世知辛い世の中に適応できなかった俺の負けだ。

いっそ死んでしまえばこれ以上世界に迷惑をかけずに済むのだろうが、

生物としての本能がこの命を無駄に永らえさせようと抵抗するのである。


しかし本当は死にたいのではなく、生きる価値を見出せないだけだ。

我ながら、なんと面倒臭い性格をしているのだろうと思う。

こんなだから他人からも自分からも嫌われるんじゃないか。

ああ、消えてしまいたい。



渡部とそんな会話をするようになってから半年が過ぎた頃、

彼女はいつもの他愛もない雑談をするかのようなノリで、

なんとも魅惑的な提案をしてきたのだった。


「じゃあ、一緒に死のうか?」




   5 『救済』


俺たちはレンタカーを調達し、遠く離れた廃墟へと移動した。

だが2人だけではない。

連れてきた少女が失禁したおかげで後部座席はビショビショであり、

あとで掃除しなければならない人たちには申し訳なく思う。


目的地に着くと、粘着テープで口を塞がれた少女は

「んー!んー!」と興奮気味に何かを伝えようとしていた。

俺たちはその訴えには敢えて反応せず、少女を椅子に座らせると、

その小さな手足を拘束して身動きの取れない状態へと追いやった。


ああ、なんと素晴らしい光景だろうか。

こんなにも感情が昂ったのはいつ以来だろう。

早くこの全身に滾る熱を解放してしまいたい。

きっと彼女も同じ気持ちのはずだ。

誰に遠慮するでもなく欲望の限りを尽くせるのだから。



3日後、汚れた姿の少女を人里へと向かわせたので、

すぐにでも警察が動き、俺たちを捕まえに来るだろう。

しかし、残念ながらその頃にはもう俺たちはこの世にいない。

テントは厳重に密閉されており、練炭の準備も万全だ。


その日、俺たちは初めて手を繋いだ。

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