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5.メイベルはいなくなった


「!!」


 ハロルドの呼吸が止まった。

 しまった!! と内心で叫んでしまった。


 こんな場所で再会したら、大騒ぎになってしまう。


 先ほどの彼女の話を聞いて、ハロルドの事を思い出す人間がいたら最悪だ。いや、思い出すに決まっている。あの噂を広めまくったのはハロルド自身だ。


 まさに自業自得、因果応報とはこの事だ。

 まずい、まずい、まずい。


(どうしよう)


 なんとかごまかさないと。

 別人の振りをする? それとも逃げる? もしくは気づかなかった事にして、普通に挨拶を交わしてしまえば――。


「や、やあ、あの――」

「こんにちは」



 だが――彼女はそのままハロルドの横を通り過ぎた。



「…………」


 え?


 メイベルは微笑んでいたが、初対面の人間に対する礼儀の範疇を出なかった。

 そもそも、自分を見て笑えるはずがない。それだけの事をした自覚はあった。


 だったら、本当に気づかなかった?

 婚約者だった自分に。気づかなかった? 少しも? まだ二年しか経っていないのに?


 捨てないでと懇願し、何度も足しげくやってきて、ハロルドが好きなのと泣いていた、あの少女は、一体どこに。


(待て……待て待て、落ち着け。まだ終わったわけじゃない)


 むしろこれは幸運だ。彼女が覚えていなかったなら、ハロルドの身は安全。素性がばれる心配はない。


 恨みもないなら、改めて関係を築くのもアリだ。

 それに、彼女はああ言っていたが、本当は忘れていないのかもしれない。

 傷ついた本音を隠すための、ただの見栄。そういう可能性も考えられる。


 もしそうなら、ハロルドから婚約を申し出るのはどうだろう。

 王都に本店を持ち、国中に薬草茶の店舗がある。それだけでも十分なのに、彼女の持つ知識と技術、たぐいまれな開発力。どれを取っても素晴らしい。


 そう、今の彼女なら、ハロルドの隣にふさわしい。

 そう思って声をかけようとした時、「失礼」と呼び止められた。


「突然すまないが……君は彼女の知り合いかな?」

「はい?」


 振り向くと、先ほどメイベルの隣にいた青年が立っていた。


「先ほどから視線が気になって、注意していたんだよ。失礼だが、招待状は正式なものかな? 今日この場にいるのは、それなりに選び抜いた者ばかりのはずなんだが」

「あ、いや、僕は……」


 知り合いに頼み込み、強引に招待状をもぎ取ったのだ。彼女に会えれば解決だと思っていたので、見つかった場合の事は考えていなかった。

 それを知ってか知らずか、青年は淡々と話を続けた。


「申し訳ないが、彼女にはしつこい面会依頼が入っていてね。名前を明かさず、文面だけを伝えたのだが、彼女は会う気がないようだ。だというのに、何度も何度も、くり返し手紙を送ってくる。こちらの迷惑も考えず、一方的に、無遠慮に」


 最後には引導を渡してしまったが、と青年が苦笑する。微笑んでいるのに、その目はちっとも笑っていない。たらりとハロルドの背中を冷や汗が流れた。


 まずい、と本能的に思った。


 けれど、まだハロルドの正体はばれていない。今ならなんとでもやり過ごせる。

 そう思っていたハロルドは、続く言葉に仰天した。


「まさかとは思うが……君、ハロルド・エイマール?」

「!!」


 なぜそれを!? と思ったのが伝わったのか、彼は平然とした顔で言った。


「彼女にしつこい面会依頼を出していたのがその名前だったもので、つい。図星だったかな」

「ぼ、僕は……」

「まあ、その気持ちも分かるよ。何せ人気者だからね、彼女は」


 そう言うと、青年はわずかに声をひそめる。


「だからこの場は見逃してもいい。君がおとなしく帰るなら」


 やたらと迫力のある人物だった。


 整った顔立ちに、品のある立ち居振る舞い。スラリとした体躯に、正装と白いシャツがよく似合う。

 黒い髪と青い瞳、王子様のような雰囲気は、ハロルドの少し上……いや大分上を行くかもしれない。彼は切れ長の目を細め、ハロルドをじろじろと眺め回した。


「それにしても……意外だったな。まさかこういう趣味だったとは」

「は? 何を……」

「いや失礼、気にしないでくれ。独り言だ」


 その割に、こちらに聞こえるように言っていた。絶対わざとに違いない。


「ひっ、ひとの名前を暴いておいて、自分は名乗りもしないのか? 失礼な男だな、君はっ」

「そうか、知らないのか。改めて自己紹介しよう。私はアルヴァン・ロズフリー。彼女の支援者であり、ロズフリー伯爵家の人間だ」


「はっ、伯爵!?」

「今日は彼女の付き添いでここに来た。当然、害虫駆除も仕事のひとつだ」


 分かったかな、と青年が微笑む。相変わらず、その目は少しも笑っていない。

 まさか相手が貴族だとは思わず、「失礼しました!」とハロルドは頭を下げた。


「構わないよ。こちらも手紙の件がある」

「お前……いや、あっ、あなたが手紙を握りつぶしていたんですか? ひどいじゃないですか、僕は真剣だったのに!」

「握りつぶしてなどいないさ。言っただろう、名前は伏せて、彼女に伝えた。断ったのは彼女の判断だ」


 もっとも、そうなるように仕向けさせてもらったがと付け加える。

 なんで!? とわめきたいのを抑え、ハロルドは「どういうことですか?」と聞いてみた。


「当然だろう。彼女を手ひどく捨てた元婚約者など、わざわざ近づけたいはずもない」

「それはっ……」

「給金も与えず働かせたあげく、技術を盗み、薬草を買い占め、彼女の実家を追い詰めた。そのあげく、町中に悪い噂を流して、暮らしていけないようにするなんて。元婚約者以前に、人間として最悪だ」

「なんで知っ……」


()()()()()?」


 うっすらと浮かぶ笑みに、ハロルドは背筋が冷えるのを感じた。


 これはまずい。

 よく分からないが、とにかくまずい。


 この場で貴族に目をつけられるのも、このまま会話を交わしているのも、非常にまずい。

 そう思ってはいたものの、足は地面に吸いついたように動かなかった。


 彼は自分の事を知っていた。おそらく、婚約破棄の際にしでかした事も把握しているだろう。メイベルに投げつけたひどいセリフは、今でもおぼろげに記憶している。誰かに知られたら身の破滅だ。


 でも、まだ起死回生のチャンスがある。


 メイベルに自分を認識させ、あの時の気持ちを思い出してもらう。ハロルドに捨てられたくないと泣いたあの時の気持ちを思い出してもらえば、あるいは――。


 そう思った時、わっと歓声が沸き起こった。


「ロズフリー伯爵と婚約だって? おめでとう!」

「おめでとう。お似合いの二人だな」

「ありがとう。でも、まだ一部の人しか知らないの。内緒にしてちょうだいね」


 彼らの中心で、華やいだ声が聞こえた。


「よかったなぁ。そうか、だからもういいって言ったのか」

「確かに、伯爵とそいつじゃ勝負にならないな。おめでとう、メイベル」


 口々に祝福され、頬を染めているのは――メイベルだ。


「みなさんにお祝いされて嬉しいわ。ありがとう」

「元婚約者は悔しがってるだろうな、今ごろ」

「いやぁ、そんなことも知らずに、どこかで愚痴でもこぼしてるんじゃないか?」


 違いないと、彼らは陽気に笑い合う。


 その輪にハロルドは入れない。

 復縁どころか、彼女は別の男と婚約してしまった。一歩遅かったのだ。

 いや――そもそも、一歩で済んだ話なのか。


 呆然とするハロルドに目をやり、「今帰れば見逃そう」と告げて青年は立ち去った。ハロルドの横を通り過ぎ、彼女の隣に並び立つ。その姿はお似合いの二人に見えた。

 彼はメイベルの手を取り、愛おしそうに告げる。


「何度も求婚して、ようやく受けてくれたんだ。一生大切にすると誓うよ、メイベル」

「わっ、私はまだ申し訳なくて、恐れ多くてっ……」

「何を言う。国王陛下まで虜にした薬草茶の作り手だ。反対する者など誰もいない。君は我々の女神だからね」


 愛しているよと、甘い声で青年が囁く。メイベルは真っ赤になってうろたえた。


 そこに二年前の少女はいない。


 婚約破棄などしたくないと泣き、捨てないでと懇願し、まだ好きなのと訴えた。努力する、もっと勉強する、お洒落も店の事も頑張ると、彼女はハロルドに言っていた。


 それを突き放したのはハロルドだ。


 あのどれかひとつにでも心を動かされていたら、自分は。

 あんな噂など流さず、慰謝料を払い、誠実に対応していたら、あるいは。


 どちらにしても、今とはまったく違う未来が待っていたはずなのに。

 立ちすくむハロルドの肩に、女性がぶつかった。


「ごめんなさい。大丈夫?」

「あ……ああ、平気だよ」


 一瞬にらみつけたが、相手が若い女性である事に気づいて笑顔になる。メイベルにはとても及ばないが、そこそこ綺麗な顔立ちだ。

 そう思って得意の流し目を向けたが、相手は怪訝な顔をしていた。


「大丈夫ならいいんだけど……。ごめんなさいね」


(あれ?)


 いつもなら、すぐに女性が頬を染めるのに。

 おかしいと思って別の女性を見る。ハロルドが微笑みを浮かべると、向けられた女性はびくりとし、あいまいな笑みを浮かべて去っていった。


(変だな。どうしたんだろう、いったい)


 首をかしげるハロルドの耳に、先ほどの女性の声が飛び込んできた。


「なんなの、あの人。ニヤニヤして気持ち悪い」

「見たことない顔ね。ちょっとは身なりを気にすればいいのに」

「服だけ新しくても、全然駄目だわ。シャツもしわくちゃだし、着こなしもちょっとね。そもそも、あの顔! ちょっとたるみ過ぎじゃない?」


(顔?)


 言われた自分の顔を触ったが、そう変化はないだろう。

 確かに最近では不摂生がたたって、少し太ったかもしれない。皮膚にも張りがなくなって、少々……多少は下がり気味かもしれないけれど。


 それでも、自分は町一番の美形だったのだ。今でもその美貌は衰えていない。……はずだ、多分。


 ああ、でも、最近ではアマンダの見る目が冷たい。

 彼女の家も経営が苦しく、最近では別の男との縁談が持ち上がっているそうだ。相手は二十も年上の大金持ちで、アマンダが泣いて反対している。けれど、それもいつまでもつだろう。


 気づけばいつの間にか、ハロルドを取り巻く熱っぽい視線はなくなっていた。

 いつからこうだったのだろう。何も変わらないと思っていたのに。


 商売が傾き始めた時か、支店をすべて手放した時か、それとも、もっと前の。

 ふらりと足を踏み出したハロルドのそばで、「思い出した」と誰かが言った。


「さっきの話、聞いたことがある。確か……お茶の店だったかな? その店の跡取りが言いふらしてたのが、同じ話だったかも」

「なんだよ、それなら俺も知ってる。相手の子は知らなかったけど、ひどい噂だったよな」

「あれ全部嘘だったのか……。店の名前は、ええと……」


 おそらく、噂はすぐに回るだろう。


 メイベルの名前が広まる分だけ、ハロルドの事も話題に上る。二年前、そう仕向けたのはハロルドだ。


 今さら彼女に謝って、事態が改善するだろうか。

 それとも知らないと言い張って、ごまかした方がいいだろうか。

 どちらにしても、ハロルドの取れる道は多くない。


 メイベルの店はこの町にも根を張って、今では立派な人気店だ。やがては新店も出てくるに違いない。町の人がハロルドのしでかした事を忘れる日は、おそらく来ない。少なくとも、当分は。


 彼らがメイベルのお茶を飲むたび、ハロルドの事を思い出す。

 国中どこに逃げても、メイベルのお茶からは逃げられない。ハロルド自身と分からなくても、気が休まる暇もない。


 どうしてこんな事になってしまったのか、ハロルドには分からない。


 ハロルドはうつむいたまま歩き続けた。

 背後で歓声が起こり、明るい笑い声が重なった。


お読みいただきありがとうございました!


*メイベルは国王陛下の長年の悩みを解決したため、王都では「薬草茶の女神」と呼ばれています。王都にも彼女のファンは多く、伯爵が一番の大ファンです。


ちなみに、伯爵がハロルドを「元婚約者」と呼ぶ時、「元」だけ微妙に強調していました。大人げない……。

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