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4.二年後の再会


    ***



 そして、店主がやってくる日が訪れた。


 その日は町一番の建物を貸し切り、ささやかなパーティが開かれた。

 店主を歓迎する意味もあるが、この機会に、面会希望を一気に消化してしまうらしい。そんな事が必要なほど、今の彼女は人気者だった。


 主催者は彼女の支援者でもある伯爵家で、彼女の熱烈な信奉者だという。彼女とは懇意の間柄で、何かと面倒を見ているらしい。


 こんなに忙しくなったというのに、未だに一対一でも会ってもらえる。その気さくな態度が受けて、彼女を悪く言う者はひとりもいない。


 ハロルドも首尾よく招待状を手に入れ、意気揚々と会場に乗り込んだ。

 中は豪華で、おいしそうな料理とたくさんのお茶が並んでいた。


 さすが薬草茶の店を営んでいるだけの事はある。数種類の果実水と酒を除き、残りはすべてお茶である。その斬新なもてなしも、面白いと好意的に受け止められていた。


 店主はどこだろうと、ハロルドは辺りを見回した。


 平民だけかと思ったら、ちらほらと貴族の姿もある。どうやら彼女のファンらしい。一目見るために、わざわざ足を伸ばしたようだ。


 貴族さえも(とりこ)にしているなんて、本当にすごい女だ。

 けれど、見たところ、自分に勝っている男はひとりもいない。

 この日のために新調したスーツは、ハロルドの体にぴったりと合っていた。


 その時だった。


 ざわっとどよめきが起こり、小さな歓声が上がった。


「おお、あれが……」

「なんと美しい。噂以上だ」

「まだ十八とは信じられない。素晴らしいですな」


 ひそめた声の中に、嘘偽りのない賞賛が混じる。

 慌てて目を凝らした先に、華やかなブルーのドレスを身にまとった女性の姿があった。


 彼女はにこやかに微笑みながら、次々に挨拶を交わしていた。


 遠目にしか分からないが、確かに美しい女だった。

 彼女は何やら楽しげに話し込み、嬉しそうに手を打った。その仕草は思ったよりも子供っぽかった。


 横にひとりの男性を連れている。

 二十代半ばほどの彼は、彼女をやさしげに見つめていた。その姿に周囲の女性が見とれている。


 一瞬不安になったが、ハロルドは胸を張った。

 相手もそこそこだが、自分の方がいい男だ。おまけに同じ商売をしている者同士、ハロルドの方に分がある。とにかく声をかけようと、ハロルドは彼女に近づいた。


 近くで見た彼女はますます美しかった。

 輝くような金髪に、はっとするほど鮮やかな瞳。ドレスの色にも負けない、澄んだ空色だ。今は金髪を片側に流し、髪飾りで留めてある。そんなさりげなさも、彼女の持つ魅力を引き立てている。


 装飾品は最小限、けれど質のいいものだ。もしかすると、誰かからの贈り物かもしれない。隣にいる男性が何事か話しかけ、彼女は小さく笑みをこぼした。


(ああ、いいな)


 アマンダなどとは比べ物にならない。

 彼女こそ、ハロルドにふさわしい。


 あの美貌なら、ハロルドの隣に立っても見劣りしない。おまけに貴族なんて、妻としては申し分ない。


 彼女と結婚すれば、そのすべてが手に入る。

 それだけでなく、国中の店も、その販路も、秘密にしている製法まで、何もかもがハロルドのものだ。


 何がなんでも彼女を手に入れて、一発逆転しなければ。

 そんな事を思っていると、彼女の声が耳に入った。


「この町に来るのも久しぶり。なつかしいわ、本当に」

「久しぶりって、旅行でも?」

「いいえ、ここに住んでいたの」


 彼女はちょっと苦笑した。


「あまりいい思い出がなかったから、ずっと来る気になれなくて。お店も人任せだったのだけれど、一度見ておきたかったの。でも、来て良かったわ」


 昔の事なんて全然気にならなかったと彼女は笑った。


「住んでいた? この町に?」


 驚く声に、周囲の人間もざわめく。


 ハロルドも内心で驚いていた。

 だったらハロルドの事も知っていたはずだ。何せ、この町で一番有名だったのはエイマール商会なのだから。


 もしかして、以前に会った事があるだろうか。いや、あんなに目立つ女性を忘れるはずがない。


「恥ずかしい話だけれど、婚約者に捨てられてしまったの」

 彼女が屈託なく教えてくれた。


「今思えば、彼が必要なのは私じゃなくて、私の家の技術だったんでしょうね。それが分かるまでは辛くて、悲しくて、私、何度も会いに行ってしまった。今思えば、本当に愚かだったわ」


 子供だったのねと彼女は笑った。


「そのたびに冷たくされて、彼の家族にも脅されて。ひどい噂を流されたから、家族全員、この町にはいられなくなったの。だから一念発起して、王都に出たのよ」

「ひどい人間もいたもんだな、まったく」

「もう気にしてないわ。二年も前のことですもの」


 彼女は朗らかな口調で言った。今の言葉通り、当人の中では笑って話せる過去らしい。


(そんな男がいたのか……)


 ひどいなとハロルドは思った。


 もし自分だったら、そんなもったいない事はしない。彼女の才能は、神様が与えてくれた贈り物だ。自分がその男だったら、きっとものすごく大切にして、一生愛すると誓うだろうに。


 そうだ。それを彼女に告げたら、悪い気はしないだろう。

 うまくすればそこから交流が生まれて、彼女と親しくなれるかもしれない。


 そんなハロルドの思惑を知ってか知らずか、彼女の話は続いていた。


「王都に出てすぐ、偶然貴族の方と知り合って。その方が薬草茶を気に入ってくださって、王都にお店を持つことになったの。まさか、こんなに大規模になるとは思わなかったのだけれど」


「結果オーライってわけか。よかったなぁ、本当に」

「ええ、ありがとう」

「それにしても、驚いたな。この町に、そんな人でなしがいるなんて」


 招待客のひとりが憤った顔になる。そうだそうだと周囲も頷いた。


「もう忘れたわ。それに、噂によると、今ではすっかりお店も(さび)れてしまったそうなの。もしかしたら、罰が当たったのかもしれないわね」


 ちょっと微笑んで肩をすくめる。その仕草まで匂い立つようだった。


「それで、相手の男の名前は?」

「それも忘れたわ」


 くすっと彼女が笑みをこぼす。


「じゃあ、商売は? 薬草茶ってことは、薬関係か? それともお茶? まさかとは思うが、医者とか治癒師の関係か?」

「全部忘れたわ」

「でも、名前くらいは……」

「もういいのよ。怒ってくれてありがとう、みなさん」


 彼女は本当に気にしていないようだった。

 それを聞きながら、ハロルドは妙な気持を味わっていた。

 話の内容もそうだが、彼女の声に、聞き覚えがある気がした。


 二年前。婚約者に捨てられた。何度も会いに行って、そのたびに冷たく追い返された。相手の家族にも脅されて、悪い噂を流された。そのせいでこの町にいられなくなって、王都に引っ越した――。


 心当たりがある。というより、身に覚えがありすぎる。


 まさか誰かからハロルドの話を聞いたのか。いや、彼女の話しぶりでは、そういうわけでもないようだ。


 それに――あの声は。


 どこで聞いたのだろう。思い出せそうなのに、思い出せない。

 心臓がバクバクするのを感じながら、ハロルドは彼らの話に耳を澄ました。


「ところで、薬草茶ってのはおいしいなぁ。自分でも作ってみたんだが、すぐに臭いが出るんだよ。どうしたらいいのかな?」

「おいお前、それは秘密に決まってるだろう」

「何聞いてるんだ、まったく」


 すぐに突っ込みが入ったが、彼女はいいのよと首を振った。


「薬草茶はね、扱いを間違えると臭いが出るの。でも、個人で楽しむくらいなら、よく日に当てるだけで十分よ。売り物にするには駄目だけど……」

「どうしてだい?」

「売り物にするには、別のやり方があるのよ。これはあくまでも個人で、その日のうちに飲み切る分」


 配合を間違えるだけで、臭いが何倍にもなってしまうから、気をつけないといけないと彼女は言った。


「私を捨てた婚約者も、表面だけの技術を手に入れて、全部知った気になったみたい。配合も、製法も、そんなに単純なものじゃないわ。それが分からなかったのね、きっと」


「ということは……やっぱりお茶の関係か?」

「いや、薬草かもしれないぞ」

「臭いといえば、香水だってあり得る。もしかすると、酒や料理の関係かも……」

「そういえば、二年くらい前に婚約破棄したって噂が流れたな。あれは誰の話だっけ?」

「!!」


 ぎくりとハロルドは息を呑んだ。


 もしこの場でそんな事が暴かれれば、ハロルドはおしまいだ。

 婚約していた事はほとんどの人間が知らなかったが、一方的な婚約破棄を正当化するため、ある事ない事噂を流した。あの噂は、それなりの人間が知っているはずだ。


(まずい……)


 生きた心地もしなかったハロルドだが、「本当にいいのよ」と彼女が苦笑した。


「余計なことを言ってごめんなさい。今さら蒸し返しても、嫌な気持ちになるだけだもの。今日はなつかしくて、つい口がすべったみたい。このお話はもうおしまい。もっと楽しい話をしましょう?」


「でも、()()()()!」


「――――!!」


 その名前を聞いた瞬間、ハロルドの息が止まった。


 メイベル。メイベルだって?

 ありえない、そんな事。同じ名前の別人に決まっている。


 けれど、ハロルドの記憶は、二年前の泣き声を思い出していた。

 捨てないでと泣いていた、か細い声。


(そうだ……)


 あれは確かに、メイベルの声だ。


「私、薬草茶が大好きなの。だから国中に広まってほしい。体や心を癒して、素敵な気持ちになるお茶を、これからもたくさん作っていきたい。みんなに飲んでもらいたいの」

「そんなにひどい目に遭ったのに、仕返しは考えないのかい?」

「そんなことをする暇がもったいないわ」


 考えてもみなかったという口調で彼女は言った。


「それに、さっきも言った通り、もうあんまり覚えてないの。誰かにひどいことをする人は、それがいつか返ってくる。そう思うだけで十分よ」

「でも、あんまりな話じゃないか」

「言ったでしょう。その人のお店は廃れて、今はどうしているかも知らないの。それに、私、今は幸せなんだもの。考えるだけ時間の無駄よ」


 彼女はさばさばしたものだった。というより、本当にどうでもいいらしい。


 その表情には屈託がなかった。ハロルドの事など忘れて、彼女は新しい人生を歩んでいる。王都での成功、国中に広まった薬草茶、貴族の位を与えられ、華々しく活躍するきらびやかな人生――。


 それらはすべて、ハロルドが手に入れるはずだったものだ。


 あのままメイベルと婚約していたら。

 悪い噂など流さず、一家が町で暮らしていたら。

 ちゃんと給金を払い、お洒落をさせて、いい関係を築けていたら。

 彼女をもっと大事にして、一緒に仕事を続けていたら。


 そうしたら、きっと。


「確かに、そんな男のことを考えるのも馬鹿らしいな」

 彼らがなるほどと納得する。


「それよりも、新しいお茶を試してみない? まだお店には出していないけれど、自信作なのよ」

「そりゃあ楽しみだ!」


 行こう行こうと、彼らはメイベルを中心に歩き出す。

 その途中で、彼女はハロルドとすれ違った。


 近くで見た彼女は、息を呑むほど美しかった。

 顔立ちは確かにメイベルなのだが、そういう目で見ないと分からない。薄く化粧の施された顔は、驚くほど垢抜けている。別人といえば信じるほどだ。


 麦わらのようだと思っていた髪は、しっとりと艶を帯びて光っていた。

 長いまつげ、淡く色づいた唇。くすんだ空色に見えていた瞳は、目の覚めるほど美しいブルーだった。白い肌が光を浴びて、キラキラと輝き出すようだ。


(こんなに美人だったのか、メイベルは)


 胸元と腰を絞ったデザインの、大人っぽいドレスがよく似合っている。今の彼女は、おそらくアマンダ以上のプロポーションだ。二年前はもっさりした格好だったので、スタイルの良さには気づかなかった。


 ふわりと薬草の香りが漂う。

 以前の香りと似ていたが、今は洗練された清々しさがあった。


 彼女は何気なく横を見て、確かにハロルドと目が合った。

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