4.二年後の再会
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そして、店主がやってくる日が訪れた。
その日は町一番の建物を貸し切り、ささやかなパーティが開かれた。
店主を歓迎する意味もあるが、この機会に、面会希望を一気に消化してしまうらしい。そんな事が必要なほど、今の彼女は人気者だった。
主催者は彼女の支援者でもある伯爵家で、彼女の熱烈な信奉者だという。彼女とは懇意の間柄で、何かと面倒を見ているらしい。
こんなに忙しくなったというのに、未だに一対一でも会ってもらえる。その気さくな態度が受けて、彼女を悪く言う者はひとりもいない。
ハロルドも首尾よく招待状を手に入れ、意気揚々と会場に乗り込んだ。
中は豪華で、おいしそうな料理とたくさんのお茶が並んでいた。
さすが薬草茶の店を営んでいるだけの事はある。数種類の果実水と酒を除き、残りはすべてお茶である。その斬新なもてなしも、面白いと好意的に受け止められていた。
店主はどこだろうと、ハロルドは辺りを見回した。
平民だけかと思ったら、ちらほらと貴族の姿もある。どうやら彼女のファンらしい。一目見るために、わざわざ足を伸ばしたようだ。
貴族さえも虜にしているなんて、本当にすごい女だ。
けれど、見たところ、自分に勝っている男はひとりもいない。
この日のために新調したスーツは、ハロルドの体にぴったりと合っていた。
その時だった。
ざわっとどよめきが起こり、小さな歓声が上がった。
「おお、あれが……」
「なんと美しい。噂以上だ」
「まだ十八とは信じられない。素晴らしいですな」
ひそめた声の中に、嘘偽りのない賞賛が混じる。
慌てて目を凝らした先に、華やかなブルーのドレスを身にまとった女性の姿があった。
彼女はにこやかに微笑みながら、次々に挨拶を交わしていた。
遠目にしか分からないが、確かに美しい女だった。
彼女は何やら楽しげに話し込み、嬉しそうに手を打った。その仕草は思ったよりも子供っぽかった。
横にひとりの男性を連れている。
二十代半ばほどの彼は、彼女をやさしげに見つめていた。その姿に周囲の女性が見とれている。
一瞬不安になったが、ハロルドは胸を張った。
相手もそこそこだが、自分の方がいい男だ。おまけに同じ商売をしている者同士、ハロルドの方に分がある。とにかく声をかけようと、ハロルドは彼女に近づいた。
近くで見た彼女はますます美しかった。
輝くような金髪に、はっとするほど鮮やかな瞳。ドレスの色にも負けない、澄んだ空色だ。今は金髪を片側に流し、髪飾りで留めてある。そんなさりげなさも、彼女の持つ魅力を引き立てている。
装飾品は最小限、けれど質のいいものだ。もしかすると、誰かからの贈り物かもしれない。隣にいる男性が何事か話しかけ、彼女は小さく笑みをこぼした。
(ああ、いいな)
アマンダなどとは比べ物にならない。
彼女こそ、ハロルドにふさわしい。
あの美貌なら、ハロルドの隣に立っても見劣りしない。おまけに貴族なんて、妻としては申し分ない。
彼女と結婚すれば、そのすべてが手に入る。
それだけでなく、国中の店も、その販路も、秘密にしている製法まで、何もかもがハロルドのものだ。
何がなんでも彼女を手に入れて、一発逆転しなければ。
そんな事を思っていると、彼女の声が耳に入った。
「この町に来るのも久しぶり。なつかしいわ、本当に」
「久しぶりって、旅行でも?」
「いいえ、ここに住んでいたの」
彼女はちょっと苦笑した。
「あまりいい思い出がなかったから、ずっと来る気になれなくて。お店も人任せだったのだけれど、一度見ておきたかったの。でも、来て良かったわ」
昔の事なんて全然気にならなかったと彼女は笑った。
「住んでいた? この町に?」
驚く声に、周囲の人間もざわめく。
ハロルドも内心で驚いていた。
だったらハロルドの事も知っていたはずだ。何せ、この町で一番有名だったのはエイマール商会なのだから。
もしかして、以前に会った事があるだろうか。いや、あんなに目立つ女性を忘れるはずがない。
「恥ずかしい話だけれど、婚約者に捨てられてしまったの」
彼女が屈託なく教えてくれた。
「今思えば、彼が必要なのは私じゃなくて、私の家の技術だったんでしょうね。それが分かるまでは辛くて、悲しくて、私、何度も会いに行ってしまった。今思えば、本当に愚かだったわ」
子供だったのねと彼女は笑った。
「そのたびに冷たくされて、彼の家族にも脅されて。ひどい噂を流されたから、家族全員、この町にはいられなくなったの。だから一念発起して、王都に出たのよ」
「ひどい人間もいたもんだな、まったく」
「もう気にしてないわ。二年も前のことですもの」
彼女は朗らかな口調で言った。今の言葉通り、当人の中では笑って話せる過去らしい。
(そんな男がいたのか……)
ひどいなとハロルドは思った。
もし自分だったら、そんなもったいない事はしない。彼女の才能は、神様が与えてくれた贈り物だ。自分がその男だったら、きっとものすごく大切にして、一生愛すると誓うだろうに。
そうだ。それを彼女に告げたら、悪い気はしないだろう。
うまくすればそこから交流が生まれて、彼女と親しくなれるかもしれない。
そんなハロルドの思惑を知ってか知らずか、彼女の話は続いていた。
「王都に出てすぐ、偶然貴族の方と知り合って。その方が薬草茶を気に入ってくださって、王都にお店を持つことになったの。まさか、こんなに大規模になるとは思わなかったのだけれど」
「結果オーライってわけか。よかったなぁ、本当に」
「ええ、ありがとう」
「それにしても、驚いたな。この町に、そんな人でなしがいるなんて」
招待客のひとりが憤った顔になる。そうだそうだと周囲も頷いた。
「もう忘れたわ。それに、噂によると、今ではすっかりお店も寂れてしまったそうなの。もしかしたら、罰が当たったのかもしれないわね」
ちょっと微笑んで肩をすくめる。その仕草まで匂い立つようだった。
「それで、相手の男の名前は?」
「それも忘れたわ」
くすっと彼女が笑みをこぼす。
「じゃあ、商売は? 薬草茶ってことは、薬関係か? それともお茶? まさかとは思うが、医者とか治癒師の関係か?」
「全部忘れたわ」
「でも、名前くらいは……」
「もういいのよ。怒ってくれてありがとう、みなさん」
彼女は本当に気にしていないようだった。
それを聞きながら、ハロルドは妙な気持を味わっていた。
話の内容もそうだが、彼女の声に、聞き覚えがある気がした。
二年前。婚約者に捨てられた。何度も会いに行って、そのたびに冷たく追い返された。相手の家族にも脅されて、悪い噂を流された。そのせいでこの町にいられなくなって、王都に引っ越した――。
心当たりがある。というより、身に覚えがありすぎる。
まさか誰かからハロルドの話を聞いたのか。いや、彼女の話しぶりでは、そういうわけでもないようだ。
それに――あの声は。
どこで聞いたのだろう。思い出せそうなのに、思い出せない。
心臓がバクバクするのを感じながら、ハロルドは彼らの話に耳を澄ました。
「ところで、薬草茶ってのはおいしいなぁ。自分でも作ってみたんだが、すぐに臭いが出るんだよ。どうしたらいいのかな?」
「おいお前、それは秘密に決まってるだろう」
「何聞いてるんだ、まったく」
すぐに突っ込みが入ったが、彼女はいいのよと首を振った。
「薬草茶はね、扱いを間違えると臭いが出るの。でも、個人で楽しむくらいなら、よく日に当てるだけで十分よ。売り物にするには駄目だけど……」
「どうしてだい?」
「売り物にするには、別のやり方があるのよ。これはあくまでも個人で、その日のうちに飲み切る分」
配合を間違えるだけで、臭いが何倍にもなってしまうから、気をつけないといけないと彼女は言った。
「私を捨てた婚約者も、表面だけの技術を手に入れて、全部知った気になったみたい。配合も、製法も、そんなに単純なものじゃないわ。それが分からなかったのね、きっと」
「ということは……やっぱりお茶の関係か?」
「いや、薬草かもしれないぞ」
「臭いといえば、香水だってあり得る。もしかすると、酒や料理の関係かも……」
「そういえば、二年くらい前に婚約破棄したって噂が流れたな。あれは誰の話だっけ?」
「!!」
ぎくりとハロルドは息を呑んだ。
もしこの場でそんな事が暴かれれば、ハロルドはおしまいだ。
婚約していた事はほとんどの人間が知らなかったが、一方的な婚約破棄を正当化するため、ある事ない事噂を流した。あの噂は、それなりの人間が知っているはずだ。
(まずい……)
生きた心地もしなかったハロルドだが、「本当にいいのよ」と彼女が苦笑した。
「余計なことを言ってごめんなさい。今さら蒸し返しても、嫌な気持ちになるだけだもの。今日はなつかしくて、つい口がすべったみたい。このお話はもうおしまい。もっと楽しい話をしましょう?」
「でも、メイベル!」
「――――!!」
その名前を聞いた瞬間、ハロルドの息が止まった。
メイベル。メイベルだって?
ありえない、そんな事。同じ名前の別人に決まっている。
けれど、ハロルドの記憶は、二年前の泣き声を思い出していた。
捨てないでと泣いていた、か細い声。
(そうだ……)
あれは確かに、メイベルの声だ。
「私、薬草茶が大好きなの。だから国中に広まってほしい。体や心を癒して、素敵な気持ちになるお茶を、これからもたくさん作っていきたい。みんなに飲んでもらいたいの」
「そんなにひどい目に遭ったのに、仕返しは考えないのかい?」
「そんなことをする暇がもったいないわ」
考えてもみなかったという口調で彼女は言った。
「それに、さっきも言った通り、もうあんまり覚えてないの。誰かにひどいことをする人は、それがいつか返ってくる。そう思うだけで十分よ」
「でも、あんまりな話じゃないか」
「言ったでしょう。その人のお店は廃れて、今はどうしているかも知らないの。それに、私、今は幸せなんだもの。考えるだけ時間の無駄よ」
彼女はさばさばしたものだった。というより、本当にどうでもいいらしい。
その表情には屈託がなかった。ハロルドの事など忘れて、彼女は新しい人生を歩んでいる。王都での成功、国中に広まった薬草茶、貴族の位を与えられ、華々しく活躍するきらびやかな人生――。
それらはすべて、ハロルドが手に入れるはずだったものだ。
あのままメイベルと婚約していたら。
悪い噂など流さず、一家が町で暮らしていたら。
ちゃんと給金を払い、お洒落をさせて、いい関係を築けていたら。
彼女をもっと大事にして、一緒に仕事を続けていたら。
そうしたら、きっと。
「確かに、そんな男のことを考えるのも馬鹿らしいな」
彼らがなるほどと納得する。
「それよりも、新しいお茶を試してみない? まだお店には出していないけれど、自信作なのよ」
「そりゃあ楽しみだ!」
行こう行こうと、彼らはメイベルを中心に歩き出す。
その途中で、彼女はハロルドとすれ違った。
近くで見た彼女は、息を呑むほど美しかった。
顔立ちは確かにメイベルなのだが、そういう目で見ないと分からない。薄く化粧の施された顔は、驚くほど垢抜けている。別人といえば信じるほどだ。
麦わらのようだと思っていた髪は、しっとりと艶を帯びて光っていた。
長いまつげ、淡く色づいた唇。くすんだ空色に見えていた瞳は、目の覚めるほど美しいブルーだった。白い肌が光を浴びて、キラキラと輝き出すようだ。
(こんなに美人だったのか、メイベルは)
胸元と腰を絞ったデザインの、大人っぽいドレスがよく似合っている。今の彼女は、おそらくアマンダ以上のプロポーションだ。二年前はもっさりした格好だったので、スタイルの良さには気づかなかった。
ふわりと薬草の香りが漂う。
以前の香りと似ていたが、今は洗練された清々しさがあった。
彼女は何気なく横を見て、確かにハロルドと目が合った。