2.奪い取ったもの
***
家に戻ると、ハロルドは工房に顔を出した。
「ハロルドさま!」
「坊ちゃま!」
「お帰りなさいませ!」
すぐに従業員一同が声を揃える。
気分良く頷くと、ハロルドは「ただいま」と笑みを浮かべた。
「作業に戻って構わない。納品は?」
「問題ありません。いつも通り、カザックの葉が一袋、レダの葉が一袋、ココリスとファンレルの葉が一袋……」
リストを手に読み上げる男性に、ハロルドはもういいと手を振った。
「いつも通り、きちんと調合してくれ。配合は分かってるな?」
「もちろんです」
ハロルドの家は、茶葉の売買を専門としている。
庶民向けの安価なものから、貴族向けの高級なものまで、この町での取引を一手に担う。特に人気なのは薬草茶で、芳醇な香りと豊かな味わい、そして何よりもその美容効果が抜群に受けて、今では王都から買い付けが来るほどだった。
店とは別に、専用の工房も保有しており、いつもフル稼働している。ここ最近はその忙しさに拍車がかかり、休む暇もないくらいだ。二年ほど前から需要が増えた関係で、商売はいたく順調だった。
薬草茶に手を出すようになったのは、メイベルの実家がきっかけだ。
メイベルの実家も小さな薬草茶の店を営んでおり、その効き目の高さが評判となって、知る人ぞ知る人気店となっていた。それに目をつけたハロルドの両親が声をかけたのだ。
原料も秘密、配合も秘密、発酵の仕方も秘密。元々、家族三人で回していた店だ。必要以上の儲けは求めていない。
そんな彼らに婚約の話を持ち掛けたのはハロルドの両親だった。
ハロルドは当時二十二歳、十四歳のメイベルとは少し年の差があるが、それほどおかしなものではない。
自分で言うのも何だが、ハロルドは艶やかな銀髪に、アイスブルーの瞳を持つ美形だ。当然、女性からの人気は高く、夜会に出ればあっという間に囲まれる。どうしてあんな小さな店の、おまけに冴えない田舎娘と婚約しなければならないのかと思ったが、両親の意見は一致していた。
――今は茶葉の秘密を探る事に専念しろ。なに、婚約は形だけで構わん。
――そうよハロルド、利用できるものは利用しないと。
その言葉通り、婚約から態度を軟化させたメイベルの両親は、少しずつ製法を開示するようになった。それに伴う技術もいくつか。それはハロルドの家にとって、非常に有益なものだった。
ただし、もっとも肝心な原料や、その配合の仕方は秘匿していた。結婚したら明かすという約束だったが、それまでは絶対に言えないと。
それでも、分かる事もある。
漂ってくる薬草の匂いや、内緒で覗き見た配合の内訳、今日は会えないという日の仕入れ。
いつなら時間が取れるのかと聞くと、言いにくそうに「夜ならば」と答える。その翌日、こっそりと自宅の周辺を探ってみれば、原料と思しき薬草の切れ端が落ちていた。
それらの情報をつなぎ合わせ、根気よくメイベルからも話を聞き出し、あれこれ調べ上げた結果、つい先日、ようやく薬草茶の再現に成功したのだ。
試飲した両親も、これならばと納得していた。
今は着々と在庫を増やしており、この間は販売もしてみた。結果、文句を言う客はひとりもおらず、思わず快哉を叫んだものだ。
これでもう、メイベルを婚約者とする理由はなくなった。
あとは――。
「ハロルド、機嫌が良さそうね」
鈴を転がすような声に、ハロルドは顔を上げた。
「アマンダ!」
「どうしたの? 何かいいことがあったのかしら」
立っていたのは赤毛の美女だった。
ハロルドの店と同じ規模を持つハミルトン商会の娘、アマンダだ。
砂糖や香辛料などの買い付けを得意とする彼らは、国内外を問わずに商売している。そのひとり娘であるアマンダは、美しい巻き毛と、宝石のような緑の瞳を持っていた。
年齢は二十歳。現在二十四歳になったハロルドとは四歳差だ。
年回りも近く、店の規模も同程度。ハロルドとアマンダが親交を深めるのは当然の話だった。
「うん、うまくいったんだよ。だからね」
「ということは……とうとう言ったのね?」
婚約破棄、と言わずに聞く。ハロルドは得意げに頷いた。
「メイベルのやつ、顔面蒼白だったな。ああー、スッキリした。これでようやく身軽になった」
「あらあら、ひどい人」
言葉とは裏腹に、アマンダも意地悪く笑っている。彼女もこの計画を知っていたのだ。
「あんまり言い回るなって約束させてたから、町でも僕らの婚約のことを知っている人間は少ないと思うけど……。あんな田舎娘と婚約してるってだけで気がめいったよ、本当に」
「可哀想なハロルド。あたしと結婚したら、いっぱい慰めてあげるわね」
「その日が楽しみだよ、アマンダ」
顔を突き合わせ、共犯者の笑みを漏らす。
そんなひどい顔をしても、美女ならさまになる。
それに、アマンダの豊かな胸元は、吸い寄せられるほどの魅力があるのだ。
「でも、大丈夫なの? 薬草茶の製法は……」
「心配しなくても、この間完璧に再現できたよ。君も飲んだと思うけど、まったく同じ味だっただろう?」
「そうね、確かに」
「あれなら問題ないはずさ。実際、今日で二週間になるけど、気づいた人はいないじゃないか」
薬草茶は早めに売り切れてしまうので、常に品薄の状態だ。ハロルドがどんなに頼んでも、メイベルの両親は増産しなかった。
曰く、質が保証できないと言っていたが、蓋を開けてみればこの通りだ。
「作り方さえ分かれば、今までの五十倍近くの量が作れる。大儲けだよ」
メイベルにばれないよう、茶葉を置くのはメイベルが店にいない日を選んだ。メイベルも実家の手伝いをしなければならず、ハロルドの店に出るのは週三日としていたが、それが功を奏した。
メイベルの手ほどきにより、上手な発酵の仕方や配合、渋みの軽減などを学ぶ事ができた。美しい色合いが出るお茶の淹れ方を教えてくれたのも彼女だ。これ以上、彼女から学ぶものはない。
「ちゃんと売れるのか分かるまで、婚約を引き伸ばしたんだ。その甲斐はあったよ。これからはどんどん作って、どんどん売る。いずれは王都に店も出して、この国にエイマール商会の名を轟かせるんだ」
「素敵だわ、ハロルド!」
いちゃいちゃする二人は、己の事しか考えていない。
ハロルドには輝かしい未来しか見えていなかった。
***
それからしばらくの時間が流れた。
メイベルはあれからもハロルドの元を訪れ、まだ婚約していたい、別れるのは嫌だとごねていたが、ハロルドが冷たく突き放すと、傷ついた顔で帰っていった。
たまには涙をにじませて、「考え直して」とも言っていた。正直、うっとうしかった。
妙な噂を流されるのは面倒だったので、先に手は打っておいた。
メイベルがハロルドとの結婚を嫌がったので、婚約破棄になったと。
すべてはメイベルのわがままで、向こうから言い出した事なのだと。
ついでに、メイベルは身持ちの悪い娘で、隠れて悪い遊びをしていたとか、見かけによらず奔放だとか、ある事ない事言い広めておいた。
メイベルは必死に否定していたようだが、ハロルドの店の方が規模は上。信じる者はいないだろう。いたとしても、おおっぴらには言えなかったに違いない。
おまけに、メイベルの家が薬草茶を作れないよう、原料となる薬草はほぼ買い占めておいた。薬草がなければ茶は作れず、結果として、メイベルの店との取引はなくなった。
メイベルは最後の手段とばかりに、ハロルドの両親に訴えたが、彼らもまったく取り合わなかった。逆に、もう終わった婚約を蒸し返して金をせびろうとしていると言いふらし、メイベルの立場をなくしてやった。それが分かった時、メイベルは絶望の表情を浮かべていたという。
これですべてがうまくいった。
ハロルドの計画は成功し、あとは軌道に乗せるだけ。
メイベルが店に現れたのはそんな時だった。
「どういうことなの……?」
メイベルの空色の瞳は、店頭に並べられた薬草茶の束に注がれていた。
「うちの店が出してないのに、どうしてこんなものがここにあるの。一体誰が作ったの?」
「ちょっと黙ってくれないか、メイベル」
「これはうちの薬草茶よ。なんであなたの店で売られているの?」
その日、やってきたメイベルはいつにも増してみすぼらしい恰好だった。
ハロルドの店との取引がなくなったのだ。おまけに今は、薬草茶を作る事さえままならない。たとえ作れたとしても、以前のような売り上げは見込めないだろう。何せ、ハロルドの店が大量生産しているのだ。
この先どうやって生活していくのか考えると哀れだが、仕方ない。商売とはそういうものだ。
「これは僕が配合した、うち独自の薬草茶だよ。君の店が作っていたものと、匂いは似ているかもしれないけど。それがどうかしたのかい?」
「ハロルド、あなた……」
「それから、赤の他人が気軽に僕を訪ねてくるのは迷惑なんだ。いい加減、立場をわきまえてくれないかな」
婚約破棄の書類には既に署名をもらっている。その足で役所に提出して、今は晴れて他人となった。ハロルドとメイベルのつながりは切れ、ハロルドの主張は正当なものだ。
「ふざけないで! こんなの――こんなの、ひどすぎる……」
気弱なメイベルには精いっぱいの抵抗だったのだろうが、あいにくハロルドには響かなかった。それよりも、うんざりしたようなため息が漏れる。
「これ以上面倒なことを言うと、この町にいられなくなるよ? うちの商会は大きいし、君の店に食べ物や生活用品を売らないように圧力をかけることもできるけど」
「ハロルド……」
「君が素直に帰るなら、今回の無礼は許してあげるよ。どうする、メイベル?」
メイベルはこぼれ落ちそうなほど目を見開いていた。
大声で叫び出すかと思うような沈黙が数秒、ややあって、彼女はがっくりと肩を落とした。
「……帰るわ」
「分かってくれて嬉しいよ」
勝った、とハロルドがにんまりする。
最初からハロルドに勝てるわけがなかったのだ。
自分の身のほどを知って、おとなしく引き下がっていればよかったのに。
男にすがりついて、みっともない。笑ってしまうほど哀れな娘。
「言っておくけど、次にまたこの店に来たら容赦しない。分かったね、メイベル?」
メイベルは何も答えなかった。
それから、メイベルの姿を町で見かける事はなくなった。
***
あれからメイベルの話は聞かず、彼らの薬草茶を扱う事もなくなった。
半月ほどして、メイベルの家が薬草茶の店をたたんだという噂を聞いた。
正直言って、ほっとした。これで薬草茶を扱うのはハロルドの店だけだ。余計な詮索をされない分、大っぴらに商売ができる。
彼らがどうやって暮らしているのか、ハロルドは知らない。正直言って、興味もなかった。
家族三人、細々となら暮らしていけるだろう。あとは勝手にやってくれ。こちらに関わらないでくれればいい。それが偽らざる本音だった。
ハロルドはといえば、無事にアマンダとの婚約が調い、今は幸せの絶頂だ。
それもこれも全部、自分がうまくやったからだ。そう思うと、顔がにやけて止まらない。
それはアマンダも同じらしく、にんまりと笑みを浮かべている。
美形の自分と美女のアマンダ、お似合いの二人だ。
今度こそ、自分に釣り合う婚約者を手に入れて、輝かしい未来を歩んでいく。
ハロルドはそれを疑いもしなかった。