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1.メイベルという娘


「そういうことだから、分かってくれないかな」


 ハロルドの目の前にいる少女は、たった今まで婚約者だった相手だ。


 名前はメイベル・アルスター。

 一言で言えば、平凡。

 今は目を見開き、かすかに唇を震わせているが、取り立てて目立つところはない。


 麦わらのようなパサパサの髪に、くすんだ空色の瞳。色合いも冴えないのに、顔立ちまで地味で冴えない。

 こんな女が婚約者だなんて、エイマール商会の名折れだ。


「君も知ってると思うけど、僕はエイマール商会の跡取りなんだ。将来ますます活躍するのに、君じゃ僕に釣り合わないよ。分かるだろう?」

「わ、私……」

「だから、婚約は破棄させてもらう。申し訳ないけど、これは君の魅力が足りなかったことが原因だから。慰謝料とか、責任とか、やめてくれよな」


 分かってると思うけど、と念を押しておく。


「余計なことを話したら、君のところの取引は打ち切るから。うちと商売できなかったら、君の実家みたいな小さな店、すぐに潰れる。そうしたら、困るのは君の両親だよ?」

「でも、ハロルド。こんな大事なこと、そんな一方的に決めるなんて……」


 ひどいわ、という言葉は口の中に呑み込む。

 メイベルという少女は、こんな時でも気弱なのだ。

 だからこそ、こんな横暴でも押し通してしまえるだろうという目論見がある。


 公の場に出されれば、糾弾されるのはハロルドの方だ。だからここできっちりと、脅しつけておかなければ。


「言っておくけど、誰に訴えても無駄だから。君が平凡なのは事実だし、僕と釣り合わないのも事実だろう。人に言ったら恥をかくのは君の方だ」

「だけど、そんなのって」


「幸い、僕らの婚約は内輪の話だ。正式な書類といっても、紙一枚のことだろう。結婚誓約書というわけじゃないし、さっさと破棄して自由になろう。というか、僕はもうそのつもりだから。君が何を言おうと関係ない」


 言外に、この決定は覆らないと宣言する。


「婚約破棄の書類は、明日にでも届けさせるから。それで君との関係は終わりだ」

「そんな……」

「君の両親には、君から伝えてくれ。くれぐれも、僕が悪いようには言わないでくれよ」


 もし破ったら、とメイベルをねめつける。彼女はびくりと身をすくめた。


「……どうしても、婚約をやめないといけないの?」

「ああ、そうだ」

「私……私は、このままがいい。あなたのことが好きなの」


 メイベルは必死な様子だった。


「魅力が足りないっていうなら、努力する。もっと勉強するし、お洒落だって頑張るし、社交も、店のことも、もっと、もっと、あなたのために……!」

「だからさぁ」

 うんざりした顔を隠そうともせずにハロルドは言った。


「そういうのが重いんだよ。それに、努力? メイベル、君、鏡見たことあるかい? 生まれて十六年もその顔なのに、どうやって綺麗になるっていうのさ? 無駄だって分かりそうなものだろう」

「そんな言い方……」


「どう言ったって同じだよ。勉強だって、別に大したことないだろう。社交? 店のこと? 君、何か勘違いしてないか? うちの店で働かせてあげてるだけで、何も特別なことはしてないだろう」

「……ひどい……」


「それに、もしも本格的な社交が必要になった場合、君みたいに地味で冴えない女、連れ歩けるわけがないじゃないか」


 そんな事も分からないのかと、鼻で笑う。


 メイベルはすでに蒼白になっていたが、かろうじて泣くのはこらえているようだった。

 空色の目がうるみ、ほんの少しだけ目を惹かれる。


 けれど、それだけだ。


 飾り気のないワンピースも、薬草の臭いが染みついた手足も、鼻の頭を赤くして唇を噛みしめるその姿も、ハロルドの心を少しも動かさなかった。


「じゃあ……じゃあ、せめて、お店に出ていた分のお給金をちょうだい。花嫁修業だっていうから、今までずっと頑張ってきたのよ」

「はぁ? 何言ってるの?」


 ハロルドは嫌な顔になった。


「僕の心が取り戻せないからって、お金の話? 君、ほんとにあつかましいね」

「ごっ、ごまかさないで。毎日無給で週三日、朝から晩まで働いていたのよ。服や靴が買えないのも、私が地味で冴えないのも、お金が全然なかったからだわ」


「君が冴えないのは、君自身の見た目と、その性格が原因だよ。そりゃあ、給金はあげてなかったけどさ。それもこれも経験だろう? それなのに金をよこせって、君、ちょっと図々しくないか?」


 婚約者になって二年。確かに無給というのはまずかったかもしれないが、将来のための投資である。それが無駄になったのは、単に運が悪かっただけだ。


 そう、これは、メイベル自身の責任。

 もっと言えば、メイベルの判断の甘さが原因なのだ。

 ゆえに、ハロルドには何の義務も責任もない。


「君に給金を払う気はないし、嫌ならさっさと辞めてくれ。……というか、僕の婚約者でなくなった以上、君は店で働くこともできないんだけど。ちょうどよかった、これで手間が省けるな」


 店の中で給金云々と騒がれては外聞が悪い。手切れ金を渡すのももったいないし、ここでクビにしておけば面倒がない。おまけに、今までの支払いも踏み倒せる。


 一石二鳥だとほくそ笑んだハロルドは、自らの賢さに酔いしれていた。

 これで辛気臭い婚約者とは縁が切れる。金も節約でき、この先の未来もバラ色だ。


 メイベルの店は小さくて、元々大した旨味もなかった。いくつか必要な技術があったから、それを融通してもらう関係で持ち上がった婚約話だ。この二年の間に、その技術も研究し尽くした。いくら技術を盾に婚約の継続を願おうが、同じ知識はこちらにある。おまけに、こっそり別の店を開拓しておいた。婚約破棄後の算段も万全だ。


 メイベルを含め、彼女の実家はもう用済み。たとえるならば、出がらしの紅茶のようなものだ。搾り尽くして捨てても、まったく胸は痛まない。それどころか、自分のような才能ある者に役立ててもらった事を感謝してほしいくらいだ。


「とにかく、話は終わったから。君とは婚約破棄、店もクビだ。分かったな?」

「ハロルド……」


 最後に見たメイベルは、泣き出す寸前のように見えた。

お読みいただきありがとうございます。割と短めのお話です。

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