【アップ】男山教会2023年7月23日礼拝説教/讃美歌やMynoteもあります
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/my/works
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Q5t9iLMTRM0&feature=youtu.be
【ブログ記事】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12813934977.html
こちらから聖書と讃美歌を閲覧できます。
前奏
招詞 イザヤ書 40 章 10,11節
・頌 栄 たたえよ、主の民[こ改 25]
・開 会 祈祷
・主 の 祈り(週報裏面)
・十戒(週報裏面)
・祈祷
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 45
「イエスさまの復活の日」
・こどもさんびか
めぐみうけて[改 9(1 節)]
牧 会 祈祷
・讃美歌 228番
聖書
使徒言行録 16 章16~24節 (新約 P245)
イザヤ書29章9~16節 (旧約P1105)
説 教
「パウロたちの投獄
〜真偽を見分ける日にも」
宮武輝彦
祈祷
・讃美歌 360番
・みことばの交読文
テモテ二2章 11~13 節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
・頌 栄 542番
・祝 祷
報告
讃美歌~♬
讃美歌228「ガリラヤのかぜ」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=iVzRH2XUs8Y
1
ガリラヤの風 かおるあたり
「あまつ御国は 近づけり」と のたまいてより
いく千歳ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を
2
たたかいの日に いこいの夜に
御国をしたう あつきいのり ささげられしは
いく千度ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を
3
憎み、あらそい あとを絶ちて
愛と平和は 四方にあふれ みむねの成るは
いずれの日ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を
讃美歌360番 Japanese Hymn No.360 【つかれしこころを】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=RK1x8jJDMxw
(ブログを見てくださると歌詞も閲覧できます)
2023年7月23日 礼拝説教 中心聖句
パウロは…その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
使徒言行録16章18節
災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか 誰が我らに気づくものか」と。
イザヤ書29章15節
はじめに
様々な混沌と不安の中、キリストにある確かな希望を求め、確かめたい。
1
「わたしたちは、祈りの場所に行く途中」とは、フィリピで、習慣的に「祈りの場所」で、福音を宣べ伝えたことを証しする。ここで「占いの霊に取りつかれている(持つ)女奴隷(少女)に出会った」。それは、一つの試み(悪の誘惑)。「この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」。主イエスが、カファルナウムで安息日に会堂で教え始められたときにも、汚れた霊に取りつかれた男が、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫んだ(マルコ1章23,24節)。悪魔は絶えず、機会を伺い、福音の真理に対峙し、疑いと迷信に引き込もうとする。この少女も、「パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫」んだ。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」。まるで、パウロたちの良き協力者が与えられたように見える。しかし、その実態は、迷信を売りにした詐欺であり、悪徳商法。パウロたちからの直接的な金銭的な利益のみならず、パウロたちの評判の高まりに便乗し、自分たちも言わば同業者としてその名声を得ること(コリント二11章15節)。
2
「彼女(少女)がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて(困り果てて)振り向き、その霊に言った」。それは、主イエスが、「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊がその人から出て行った(マルコ1章25節)のと同様、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」。パウロは、キリストの権威によって、悪霊を追放した。聖霊は、ただ、キリストの権威のもとに、御言葉によって働く。「ところが、この女(少女)の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場で引き立てて行った」。偽善的良心に火がついたとき、少女の主人たちは、パウロとシラスを捕らえ、偽証により、ローマの官憲に訴える。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております」と。しかし、その内実は、福音の真理によって、悪魔のとりことされていた者たちの方に大きな動揺が生じたため。さらに「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されていない風習を宣伝しております」と、理由を捏造した。それは、人々の反感をあおり、「群衆も一緒になって二人を責め立てた」結果を見た(マタイ27章22,23節)。
3
「高官たちは二人の衣服をはぎ取り、『鞭で打て』と命じた」。「そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた」。後に、使徒パウロは、その時、同行していたテモテへの手紙で、「しかし、神の人よ、あなたはこれらのこと(高慢から出る議論や口論、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間な言い争い、金銭の欲)を避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい」(テモテ二6章11節)と命じる。
おわりに
「誰が我らを見るものか」と指導者たちは、主の預言を軽んじ、人の思いに急いだ。今日、「主の御心」を求め「なすべき善」を行いたい(ヤコブ4章15節)。
(Mynote)
二〇二三年七月二三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守る事が出来、神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問四五』
「礼拝に集まるのは、どうして週の初めの日なのですか?」
「その日にイエス様が復活されたからです。神様に招かれ、毎週この日に集まる事によって、今も復活のイエス様が聖霊に於いて私達と共に居て下さる事を確信させて下さいます。」
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一六章一六〜二四節)
『イザヤ書』(第二九章九〜一六節)
「パウロ達の投獄〜真偽を見分ける日にも」
(本日は、日本基督教団東舞鶴教会の動画も共にアップ致します)
この『使徒行伝』の箇所は女占い師が登場する場面で、パウロ達一行に付いて廻る様になって、「この人達は、いと高き神の僕達で、あなた方に救いの道を伝える方だ」と叫び出して居た。
この女占い師は少女の様であり、非常に若く、女奴隷でもあった事から他に(人間の)主人があった。その主人は奴隷を買える身分に在る事からそれなりの権力を以て居り、又その占いにより彼女は(その主人達に)多くの利益を得させて居た。「主人達」と在る事から、この女占い師が仕えて居た先は複数の主人(権力者)であった事が分かるだろう。
その女占い師がパウロ達に付いて廻る様になり、こう叫んで居たのである。
一見、この女占い師は福音の為に良い事をして居る様に見える。パウロ達の事を肯定し、「この人達はいと高き神の僕達で、あなた方に救いの道を伝える方だ」と周りの人々に叫んで説いて廻って居たのだから、福音の点から見れば宣伝にもなり、パウロ達にとっても都合の良い助けに成って居た筈。
聖書に於いて「占い」という言葉はそれほど多く出て来ない。この占いに就いて、少し考える必要がある。現代でもこの占いは人々の間に在る。お金を払ってその占いを受ける人達もあろう。その占いを受けて、その占いが当たったかどうかをはっきり確認する事が出来るか?教会に於いてこの「占い」は好ましくなく、否定されるものである。
詰り先ず、この占い師がパウロの後に付いて廻った処に問題がある。占いも霊的なものを扱う。キリストの真実も世間では「キリスト教」と呼ばれ他の宗教と同じに捉えられる風習があり、占いと同じく、霊的なものを扱う教えとして知られて居るのではなかろうか。占いと言うのは、案外、我々の生活に浸透して居る。特に女性はこの占いを信じ易い傾向に在るのか、聖書に登場するこの場合の占い師も女である。
占いの霊は、悪霊である。これを人は自力で証明する事が出来ず、知る事が出来ない為、他の宗教と同じに見て捉えてしまい、自分がその時一番信じ易い(信じたい)宗教を自分の生活に取り入れる。それで占いもキリスト教と同等のものと見て、まるで真っ当な宗教を信じる様にその占いを信じるのである。そして同じ宗教同士と言う事もあり、その霊的繋がりで同じく人を信じさせる分野を併せ持ち、そして何等の利益を追う上で結託し、キリスト教に依る人気を利用して、自分達の本業である占いの教えの糧にする。この場合、女占い師とその主人達は、偽物の信仰によりキリスト教を自分達の内に取り入れ、恰もクリスチャンの様に(女占い師は)装い、パウロ達に近付いたのである。
ここでの大事は、占いの信仰は偽物の信仰であると言う事。その偽物の信仰である証拠の一つに、この女占い師が先ず奴隷であった事・自由の身に無かった事が挙げられる。またこの彼女の場合、トランス状態に陥って居た可能性も思われ、自分で自分をコントロール出来なくなった挙句、パウロ達の後に付いて行き、これだけの壮語を大喝した様にも見て取れる。自分の意思でそれをしたのではない可能性がある事。詰りこの女占い師は、日常生活に支障が出る状態・自分が何者かに囚われる事によって行動する状態に在った事が思われる。
精神疾患を決める場合、日常生活に支障が出なければ、それは精神疾患ではないとされる。アルコール依存症、ギャンブル依存症もそうである。人の間でもこの様に、その依存症の見分け方は非常に曖昧で難しく(個人差により)、これはそのまま「聖霊と悪霊のどちらの業なのか?」を見極める(見分ける)事の難しさに似て来る。この女占い師も、この依存症による束縛感の様なものを味わって居た?これが偽物の信仰の、典型的な特徴である。
占い(偽物の信仰)は、未来の事は当てる事が出来るかも知れないが、人を救う事は出来ない。テレビ等でやってる星占いもそうである。ラッキーな星座と、ごめんなさいの星座がある。その「ごめんなさい」の人を占いは救う事が出来ない。キリストの真実から外れた邪教は全て偽物の信仰に在る。
だから常に、本物の信仰と偽物の信仰とを見極める必要がある。
そして女占い師を雇って居た主人達の事であるが、彼等は自分達の利益が無くなった事を知ると、立ち所にパウロ達を捕え、役人に引き渡し、広場まで引きずって行った。そしてパウロ達二人を長官達の前に引き出して「この人達はユダヤ人でありまして、私達の町を掻き乱し、私達ローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝して居るのです」と尤もらしい理屈を並べ立て、パウロ達を確実に罰して貰う様に頼み込んだ。この主人達は、女占い師の占いにより(偽物の信仰により)多くの利益を得て居た者達である。この点に、人間の強欲と主観・感情が(主人達を始め人の)言動を支配して居る様が認められる。そしてパウロ達は何回も鞭で打たれた後、獄の中でも一番奥の獄に入れられ、足には足枷までしっかり掛けられた。
悪魔は人を遣わし、まるで強い信仰を持つ者を装い、人を騙して誑かす。この主人達の状態を一言で言えば善悪の区別が付かない混乱状態に在ると言え、自分達の利益にそぐわないからと他人をその感情で訴え、嘘を吐いてでも「自分達の利益を損なう者」を除外する・粛清する言動に出て居る。子供に聞いても、その善悪の区別は判るものである。自分の欲望の為に他人を攻撃し無き者にする、この事が果して良い事かそうでない事か。この違いすら全く判らなくなった状態が、この時の主人達が在ったその状態である。おそらくこの時この主人達に「あなたの行動は正しいものですか?」と訊いても、明確な答えは返って来なかったろう。現実に置き換えてこの時の主人達の答えを想像してみれば「うるさい!俺の生活が掛かってるんだぞ!」「ちょっかいを掛けて来たのはあっちが先だろう」と答えたのではなかろうか。詰り「あなたの行動が正しいか否か?」に対して「はい・いいえ」ではなく、「俺の生活が掛かってるのにその生活を守って何が悪い!皆も俺達の立場なら必ず同じ事をするだろう!」と感情による理由を現実の道理と共に並べ、やはりその「正しいか否か?」に対する明確な答えは返らない。詰りその場合、人によって答えが変わると言う事である。その人はそう言うが、あの人は別の答えをすると言う事で、その事は歴史にも夫々の人の生き方により証明されて居る。イエス様が果して、この時の主人達と全く同じ行動を取ったろうか?ペテロやパウロが全く同じ行動を取ったろうか?
例えばこの二つの行動を正しく区別する為に、絶対に揺るがない正しい信仰が必要と成る。
悪魔は巧みな業を以て人々の生活と心に入り込み、そのとき必要な人を動かし(遣わし)正しい信仰…即ち神様の側から引き離す事を試み企て、その通りに実行する。それにより惑わされるのが人間であり、アダムとエバの時、また新約の時代に於けるイエス様に臨んだ悪魔の言動を見ても、その事が良く分かるだろう。荒野で断食されて居たイエス様に対し悪魔は「石がパンに成る様に命じてみよ」「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りてみよ。『神はあなたの為に御使い達にお命じになると、あなたの足が石に打ち付けられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう』と書いてありますから」「もしあなたが、ひれ伏して私を拝むなら、これ等のものを皆あなたにあげましょう」等と試み、悪の側へ誘おうとした(『マタイによる福音書』第四章一〜一一節)。
悪魔はこの様に、時に聖書の御言葉も引用して人を誑かし、自分の側へ引き込もうとする。悪魔が人に近付く時はもちろん悪魔の顔をして居らず、いかにも信じさせ易い装いと内実とを以て来る。言葉通り隙を突き、人を一人でも多く自分の側へ導ける好機を狙って来る。そしてその悪魔の惑わしに容易く陥る人の姿と内実が、正しい信仰を以て居ない人が辿り着く姿と内実である。
全ての人は、神様と共に居なければ、どんどん混乱して行く。周りに在る様々な情報・誘惑に絆されて迷わされ信じさせられ、初めに以て居た信仰を見失い、別の信仰へと足を踏み入れて行く。この主人にしても女占い師にしてもそうであろうか。女占い師は、パウロから「イエス・キリストの名に依って命じる。その女から出て行け」と言われた事によりそれまで自分を支配して居た霊が出て行き、救われた(『使徒行伝』第一六章一八節)。詰りこの主人達も正しい信仰を持つ者から同じ事をされ、自分達を支配して居る霊が立ち退かなければ救われない…とも見て取れるのである。
人は誰でも、正しい信仰と間違った信仰とを見分ける力を身に付けなければ成らない。この力は人が自力で身に付けられるものになく、神様に常に依り頼み、信仰に常に縋り付き、祈り願い、その力が神様から聖霊を通して与えられなければ成らない。この事は人がするのではなく、神様がなさる事に在る。神様と共に歩む事に依り、神様が人に教えられた視点を持つ事が出来る。この視点に依り見出す道が正しい信仰の道に在り、全ての事が神様に成就される。この事を知る程に信じる事が大事に在る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎 ちいろば牧師
https://www.youtube.com/playlist?app=desktop&list=PL8KCKaKra_aYWbpUw2b-jccg2eIg696Vx
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
【説教】2023年5月7日使徒言行録 16:16~24
「既得権益の魔力」【日本基督教団東舞鶴教会】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=IrE4bUJTp3o
イエス・キリストの生涯をたどる旅・2
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tzfLoBiw_zA
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




