第三部 75話 新国側
深夜。
帝国軍の野営地で動く影があった。
すぐ隣の森へと入ろうとする動きである。
「急ぐぞ」
「おう! ちょっと待ってくれ!」
「……声がでけえよ」
二つの影は鬼だった。『赤鬼』『青鬼』である。
二代目に比べて随分と小柄になった『赤鬼』は荷物を抱えていた。
「おい、鬼。どこへ行く?」
そこに声が掛けられる。
姿を現したのは『エリーナ・コルト』だった。
すでに赤い本は二匹の鬼へと向けられている。
「ほーら、見つかった」
『青鬼』が軽口で応じる。
ついでに『赤鬼』を小突いて見せた。
エリーナは協力関係と言って良いはずの『赤鬼』『青鬼』を睨みつけている。
……その様子は誰がどう見ても夜逃げだろう。
「この期に及んで裏切るというのか? お前たちが話を持ち掛けたのだぞ」
「裏切るわけではないよ。敵対するつもりもないさ。
……ただ、用があるから席を外すだけだ」
エリーナの追求に『青鬼』が飄々と応じて見せる。
その様子は確かに散歩にでも行くような気軽さがあった。
「なるほど。では戻ってくると? 良い度胸だな」
「ははッ。もちろん戻るとも。全て終わった後もここが無事ならな」
それはつまり、ここが狙われることが想定済みだったという意味だった。
そして、狙われれば非常に不利であるということも。
「……最初からそのつもりだったわけだ。帝国の弱体化が狙いだな?」
「いやいや、帝国の末永い繁栄をお祈りしていますよ?」
ここで鬼が逃げれば戦力的な不安はさらに膨らむだろう。
対する『青鬼』は皮肉げに両肩を大きく竦めていた。
エリーナは鬼たちを強く睨みつける。撤退するきっかけがあったはずだった。
今日の昼に主力が進軍している。だが、それだけならここが襲撃されてから逃げても変わらない……。
「だとすれば――そうか、新国の差し金か。
ハーフエルフと仲が良いのは意外だった」
思いついたのは、新国から帝国への宣戦布告だった。
ちょうど今朝のことである。無関係とは思えない。
「酷いことを言うなよ。
ハーフエルフのあんたとも、ここまで仲良くやってきたじゃないか」
「は……では仲良しの青鬼君、お友達のよしみで教えてくれよ」
「…………」
「用とはなんだ? 誰を殺しに行く? あと何人か殺す必要があるんだろう?
そのために王国で混乱を起こしているんじゃないのか?」
「……忘れ物を取りに来ただけさ」
ここでエリーナは軽口の応酬に見切りをつけて、魔法を放った。
無数の氷剣が放たれる。卓越した発動速度だった。
「おっと!」
しかし、即座に『赤鬼』が『青鬼』を庇うように飛び込んだ。
氷剣は『赤鬼』の全身に突き刺さるが、次の瞬間には回復が始まっていた。
「相変わらず馬鹿げた能力だ。自分の研究が否定されている気分になるよ……!」
「ははっ」
そこで『青鬼』が『赤鬼』の背中に触れる。
そのまま二匹とも姿が消え去った。
「帰ったか……おそらくまだ近くにいるな」
エリーナが思わず呟く。彼女は『青鬼』のスキルを知っていた。
だからこそ、間違いなく代償があるはずだと考えていた。
『元の場所に戻る』という制限だけでは成立しないはずだ。
他者も移動可能ならば、いくら何でも『コスト』が安すぎる。
その仮定が正しければ、遠ければ遠いほど、人数が多ければ多いほど、代償が大きくなるのは道理だろう。『赤鬼』を連れての長距離移動は避けたいはずだ。一度、近くに逃げたのは間違いない。恐らく短距離の緊急避難だ。
「追手を……いや、無駄だな」
帝国は索敵を得意とするような人材が少ない。
腕力さえあれば良いと考えてる節さえあった。
エリーナは近くの木を軽く叩きつけた。
王国との差を意識せざるを得ない。上層部が鬼の口車に乗せられた結果、こんな敵国の奥深くまで踏み込んでしまっている。正常な判断を奪われていると言って良いだろう。
これは王国がよくやっているとも言えるだろう。
だが、その発端となったのはこちらの『城塞都市』奇襲が漏れていたことなのだ。
情報戦で完全敗北している。腕っぷし以外が弱すぎるのだ。
そして、その自覚がないのが問題だ。
ここを守っているのは五千に満たない兵とエリーナのみと言って良いだろう。
彼女の精鋭――どちらかと言えば生徒だが――も前線に送っている。
そもそも互角の戦いだ。
主力も削れるだけの余裕はないのだ。
「くそ……!」
いつの間にか彼女の愛した帝国は崩されかけていた。
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