2019年5月11日(土)
俺が高校卒業と同時に眼鏡を捨てたのは他でもない。
君との思い出を忘れるためだ。
実は俺は、高校時代には自分が眼鏡であることに格別の思い入れがあった。
というのは君も知ってのとおり、俺が弓道部員であったためだ。
高校に入って初めて弓道の道へ進んだ俺は、中学にはなかった部活だからと安易な理由で入部を決意したにもかかわらず、存外弓に入れ込んだ。入学したての頃に部活見学で目にした袴姿の先輩たちが、凛と背を立て弓を立て、まっすぐ的を見据える眼差しに、気づけば強い憧れを抱いていたせいだと思う。
高校を卒業するまでには自分もぜひあのような佇まいを身につけたいと、俺は躍起になって弓を引いた。が、何とも不運なことに、俺は父親の血を濃く受け継いだ近眼で、小学校を出る頃には既に眼鏡なくては生活できず、始終耳の上に居座るこれと運命を共にしていた。おかげで眼鏡の存在が体の一部のようになり、いつしかあってもなくても気にならない境地へ至っていたのだが、それが弓道を始めてからというもの、不意に行く手を阻む障害となって立ち現れたのだ。
というのもわざわざ口で説明するまでもなく、弓を構えると自然弦は的を見据えた顔の横合いで引き絞られる。すると矢を放つ瞬間に、きりりと張った状態から解放された弦がうなりを上げて耳もとまで迫ってくる。そしてそのうなりが容赦なく耳を打つ。頬を打つ。眼鏡を打つ。おかげで俺も一年目には何度も弓に眼鏡を飛ばされ、ついには中学の頃からずっと目の前にいたメタルフレームの相棒を失った。
が、先輩曰くこうした悲劇は初心者にはよくあることで、練習を積めば次第に正しい射形が身につき、弦も眼鏡に当たらなくなるさと言う。事実、先輩の中にも眼鏡をかけたまま射をする人が数名いたが、彼らは自分の弓で自分をしばき上げるという自虐を俺のように晒すことなく、道場の庭にいつも美しい弦音を奏でていた。
そうした諸先輩方の勇姿に触発された俺は、とにかく野暮な射癖を叩き直して、セルフレームに成り代わった二代目の相棒まで失わずに済む実力を手に入れようと誓ったわけだ。ゆえに危険と分かっていながら眼鏡をかけたまま練習に臨むことにこだわり、君にもちょっと心配をかけた。
弓道場での俺の狂態をどこからともなく聞きつけた君は、部活帰りの俺と会う日には、いつも気遣わしげな様子で眼鏡の裏を覗き込んできたように思う。
彼女の前では常にいい格好をしていたかった俺は、部活での情けない失敗談を決して君には語るまいと固く口を閉ざしていたのに、恐らくはお調子者でお節介焼きの望あたりの差し金だろう。あいつは昔から口が軽くていけない。
けれどもそんな友人の差し出口が、高二の春、俺に僥倖を運んできた。
何しろ高校総体の地区予選会で、白高弓道部の射手として初めての出場を飾った俺を、君がこっそり応援に来てくれたのだから。
あのとき、試合の会場に君の姿を見つけた瞬間ほど気分が昂揚したことは、恐らくあとにも先にもない。総体の試合会場は競技ごとに男女同じ学校が指定されることが多かったから、君は白女弓道部の応援に来たふりをして、その実、観覧席から俺にエールを送ってくれたのだった。
おかげで地区総体を勝ち抜き、県総体まで出られたのは、中学の頃から数えてもあの夏きりだ。地区総体当日、試合の全行程が終了すると生徒は現地解散となり、俺は俺の県総体進出を俺より遥かに喜びながら走り寄ってきた君と、ふたり並んで白石までの帰路に就いた。
「本当にかっこよかったよ、優星くん! 袴姿もそうだけど、何より弓を構えたときの横顔が! 一年の頃は、いつか弓で怪我しそうって聞いて心配してたけど、優星くんも眼鏡も無事だったし……本当にたくさん練習したんだねえ。県大会出場が決まってよかったね!」
なんて、会場となった岩沼の竹駒神社からの帰り道、君が終始はしゃぎながらそんなことを言うものだから、俺は例によってしきりと眼鏡の位置を気にする羽目になった。とにかく誇らしいのと照れ臭いのとで、自分でも奇怪なにやけ面をしていたのではないかと推察されて、思い出すだにいたたまれなくなる。
本当は、君に応援に来てほしいと頼むのは、県総体への出場が確定したらにするつもりだったのに。あの日の地区総体が射手としての初舞台だった俺は、中学の卒業式の日と同じように姑息な予防線を張り巡らせ、県総体なら敗退しても仕方がないと、君の前でもそれらしい言い訳が立つだろうという算段でいた。
少なくとも地区総体敗退などという無惨な結末よりは、そちらの方が遥かに傷が浅くて済むはずだ、とも。
しかしそんな卑しい動機であったにもかかわらず、君に試合を見てもらいたいという願望は何よりも優れた燃料となり、俺のやる気に火をつけた。二度と眼鏡を飛ばさないための猛特訓に励みながら、何度失敗しても気持ちが折れなかったのは、大会で君にいいところを見せたいという純粋な下心のあったおかげだ。
つまるところ俺にとっての眼鏡とは、高校時代の汗と涙と青春の結晶だった。
同時に平凡の二文字が眼鏡をかけて歩いているようだった俺にとっての、数少ない誇りのひとつでもあったのだ。少なくとも翌年の冬、君を永遠に失うまでは。
だから俺は神様と同じくらい眼鏡が嫌いだった。かつての気のいい相棒は、いつしか過去の傷を穿り返して俺を責める、無慈悲な獄卒へと変貌した。
ゆえに俺は大学に合格するや否や大急ぎで眼科へ飛び込み、合格祝いというもっともらしい名目を取りつけて、亡き祖母にコンタクトレンズをねだったわけだ。
そうして高校時代の思い出と共に眼鏡を封印した。何だか目の調子が悪く、コンタクトが合わない日があれば、無理をして裸眼で過ごす程度には厳重に。
この眼鏡をかけると今も、レンズの向こうに君とのまばゆい思い出が見える。
君を失ってからというもの、陰鬱の二文字がコンタクトを嵌めて歩いているだけの存在に成り下がってしまった俺には、それがあまりにもまぶしすぎた。
網膜が灼ける痛みに悲鳴を上げて、泣き出したくなるほどに。