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2019年10月13日(日)


 母親は北米大陸の反対側、西海岸の街サンフランシスコへ行ってしまったと聞かされて途方に暮れる真留子(まるこ)を救ったのは、シカゴ行きの列車で一緒になった三等客車の移民たちだった。彼らは宿に泊まる金もなく、街角でうずくまっていた真留子を見つけて、どうしたんだい、お母さんには会えたのかい、と声をかけたのだ。

 見知った顔に出会えた真留子は安堵と同時に失意の(せき)も切れたと見えて、涙ながらに自らの窮状を訴えた。すると移民たちは顔を見合わせ、極東から遥々やってきたこの()()を大変気の毒がって、ある提案を持ちかけたのである。


「そういうことなら、マルコや、わしらと一緒にカンザスシティへ行かないか?」

「カンザスシティは、ここから南に一六〇里ほどいったところにある町でね。ちょうどそこからカリフォルニアへ向かうキャラバンが出るんだ。我々のように鉄道に乗る金のない移民や開拓者が集まって、馬車で西を目指すんだよ」

「実はわしらも、シカゴまで来る金しかなかったのは同じでね。ここからは徒歩でカンザスへ向かって、キャラバンへ加えてもらうつもりなんじゃ。キャラバンの隊長をしているドナーという人が、まだ荷役を募集しているらしいでの」

「ただ、カリフォルニアはとても遠い。毎日毎日、何ヶ月も歩き続ける苛酷な旅になるだろう。君、それでも我々と一緒に行くかい?」


 彼らの話に真留子は大喜びで飛びついた。

 荷運びや家畜の世話など手伝えば、カリフォルニアまでの旅にほとんど無償で同行させてもらえるというのだから、渡りに船ならぬ渡りにキャラバンだ。

 真留子はどんなに大変な旅であろうと母に会えるのならば構わない、きっと耐えてみせますと誓って、早速移民たちと共に南を目指した。


 横山(ナレーション)によって差し挟まれた注釈によれば問題のキャラバン──以後、劇中では「ドナー隊」と呼ばれることになる──は大金を持たぬ者同士が小銭を出し合い、路銀に()てて未だ開拓が続く西部(フロンティア)を目指そうという有志の集まりであるらしい。

 開拓の最前線でわりのいい労働や商売にありつこうと画策する彼らは、一族郎党丸ごと西部へ移り住む算段をつけたはいいが、親類縁者全員を鉄道に乗せる金はない。だからこうして徒党を組んで、何組もの家族で助け合いながら西へ行こうという計画が持ち上がったようだ。


 鉄道開通以前の西部開拓時代には、上のようにフロンティアを目指した開拓者が大勢いたとかで、横山(よこやま)はそのあたりを参考にドナー隊を考案したのだとのちに聞いた。原作には主人公のマルコが遥か遠くの町へ移り住んでしまった母を追いかけるため、小間使いとして行商の一団に加えてもらい、共に旅するというシーンがあるから、ドナー隊はそれに対応するエピソードとして生み出されたのだろう。


 されどこのとき、原作既読の上で横山安里子(ありこ)版『母をたずねて三千里』の観劇に臨んだ俺には一抹の懸念があった。というのも原作のマルコは旅の途中、周囲の大人たちからひどくいじめられ、しまいには心身を病んで生死の境を彷徨(さまよ)うという体験をするのだ。とするとその原作を「児童文学的ご都合主義が目立つ」と評していた横山が、真留子に順風満帆な旅路など提供するはずがない。


 ともすれば原作のマルコが遭遇した苦難より、さらに苛烈な試練が真留子を待ち受けているのではないか──という俺の予感は果たして的中した。晴れて真留子がドナー隊に合流し、隊長のジョージ・ドナーなる紳士に気に入られ、さあ、いざゆかんカリフォルニアへ、と陽気な門出を迎えたかに思われた直後。

 突如舞台がふっと暗転したかと思えば、耳を(つんざ)くような銃声を合図に、烈火のごとき照明が壇上を赤く燃え上がらせたのである。


「敵襲ッ、敵襲ーッ! 男どもは武器を取れ! 先住民が攻めてきたぞォ……!」


 客席を震撼させるほどの大音量で(とどろ)(わた)る、けたたましい爆音と(とき)の声。場面を明るく盛り上げていたBGMも急転直下、混沌と緊迫を煽る音色を奏で、赤い明滅に包まれた舞台では真留子や移民役の部員たちが悲鳴を上げて逃げ回り始めた。

 ときを同じくして舞台(そで)から聞こえ出したのは「アワワワワワワワ……!」と甲高く独特な叫び声。雄叫びを上げながら激しく口を叩いているようなあの声は言わずもがな、西部開拓時代、土地を奪いに来た入植者たちに容赦なく蹂躙(じゅうりん)されたという先住民(ネイティヴアメリカン)の絶叫だろう。


『大変なことになりました。なんと真留子たちは旅の途中、待ち伏せしていた先住民の襲撃に遭ってしまったのです。この時代、北米大陸の先住民は、開拓者から自分たちの土地を守るべく血で血を洗う争いを続けていました。ドナー隊も必死に応戦しましたが、キャラバンの半分は戦えない女や子どもたち。彼らは先住民の攻撃から逃げ惑うしかなく、戦いの混乱の中で、隊はやがて散り散りになってしまったのです──』


 差し迫った口調で語られたナレーションの終わりに、ドーンと谷底へ突き落とされるようなピアノの低音が響き渡り、舞台は再び闇に包まれた。

 途端に訪れた静寂の中、客席に微か波立つような気配が走ったのを覚えている。

 劇はまだまだ終わらないと知りながら、あまりにも迫真の演出に、ここから一体どうなってしまうのかと観客たちが顔を見合わせ始めたのだ。


「今の演出、やべえ……今年の白女(はくじょ)、めちゃくちゃ気合い入ってない?」

「うん。脚本も凝ってるし、かなり力入れてる感じする。てっきりもっと童話チックな話かと思ったのに……」

「私も。どうせお遊戯会みたいな内容でしょって、正直ナメてた……役者も演出もレベル高すぎじゃん……」

「どうしよ、これ負けたかも……」


 と、俺たちの後列から聞こえたひそひそ声は、振り返って確かめるまでもなく、午前の出場校の生徒たちだと容易に知れた。

 それを聞いた隣の席の(のぞむ)が、まるで自分のことのようにフンッと威張って腕を組み、どっしりと座席に身を(もた)せた気配がする。俺はそんな悪友の得意顔をちらりと横目に見やりながら、されど望ほど事態を楽観視できてはいなかった。

 何故なら再びポケットから覗かせたスマホの画面。そこに表示された時刻が、あと十八分で制限時間の終わりを告げることに気がついていたためである──


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