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2023年7月27日(木)


 宮城県白石市(しろいしし)蔵王(ざおう)連峰を北西に望む福島県との県境にその町はある。

 人口三万人ちょっとの、盆地に広がる田舎町。

 戦国時代の大名として有名な伊達政宗(だてまさむね)──彼の腹心、片倉(かたくら)小十郎(こじゅうろう)景綱(かげつな)の居城だった白石城の城下町と言えばピンとくる人もいるかもしれないが、それ以外は山と(うー)(めん)くらいしか見どころのない小さな町だ。


 仙台でひとり暮らしを始めて三年目、久方ぶりに訪れるそんな故郷の景色はどこかうらぶれて、ずいぶん寂れたなあ、という印象を脳裏に植えつけた。

 いや、もともと過疎化の進む地域で、俺が住んでいた頃から徴候はあったのだろうが、当時はそこまで寂しい町だとは感じていなかったのだ。

 けれども仙台の水に馴染んで戻ってみると、やはり受ける印象がまったく違う。

 白石ってこんなに田舎だったのか、という驚きと、何やら自分が余所者になってしまったかのような喪失感。そうした感情を胸の奥底に押し込んで、俺は母親が運転する軽自動車(ミラココア)の窓に頬杖をつき、流れゆく景色をぼんやりと眺めていた。


「で、どう? 二年ぶりに帰ってきた感想は」

「……いや、感想って言われても、特に何も」

「はー、つまんない答え。ま、あんたならそう言うだろうと思ったけどさ」

「答えが分かってるなら()かなきゃいいじゃん」

「一応期待してみたんじゃない。二年離れて暮らすうちに、息子も少しは成長したかもっていう親心でさ」

「別に離れてたって言っても、結構頻繁に連絡取ってたんだから変わってないのは知ってるだろ。まったく会ってなかったわけでもないし」

「まあね。だけどまさか、五月の秋保(あきう)旅行があんたとおばあちゃんの最後になるなんてねえ……あの旅行券も、おばあちゃんがもう長くないって分かってたから、神様が懸賞に当たるよう都合してくれたのかしら」

「え。母さんって神仏の存在とか信じてる人だっけ?」

「私だって喪中(こんなとき)くらい敬虔な気持ちにもなるわよ。おばあちゃんにはちゃんと極楽浄土に行ってほしいし」

「そういうの、困ったときの神頼みって言うんじゃない?」

「いや、代わりにあんたが毎日教会でお祈りしてくれてるんだから大丈夫でしょ」

「俺はキリスト教学の単位取るために礼拝出てるだけだし、そもそも極楽浄土は仏教の概念だから、礼拝に出てようが出てなかろうが関係ないと思う」

優星(ゆうせい)。そういうものの言い方、ますますお父さんに似てきたわね」

「母さんが適当すぎるせいだよ」


 という何とも不毛な会話を乗せながら、母の車はJR白石駅前を離れ、青々とした稲が揺れる田んぼと畑ばかりが広がる田園地帯に入った。ガードレールも何もない、田んぼの畦道(あぜみち)にコンクリートを敷いただけのような車道の左手には蔵王山が、右手には大萩山(おおはぎやま)が青空のキャンバスにそれぞれの峰を描いている。

 背の高い建物に囲まれた仙台で暮らしていると、遠くの山影が視界に入ることは少なく、夏の緑を(たた)えた山がこれほど近くにあることに何だか妙な感慨を覚えた。


 七月二十七日、木曜日。母方の祖母が亡くなったとの知らせを受けたのは、つい昨日の朝のこと。俺は突然の訃報に動揺しつつも、夏休みの間に入れていたバイトの予定をキャンセルして、生まれ故郷の白石へと帰ってきた。

 仙台から福島行きの東北本線に乗っておよそ一時間。

 電車に乗るのが久々すぎるあまり、仙台駅でも少しどぎまぎしてしまったが、二年ぶりに住み慣れた故郷の地を踏んだ今もまだ、奇妙な非日常感は続いていた。


 そもそもゴールデンウィークに会ったときにはピンピンしていたあの祖母が、にわかに息を引き取ったという現実が未だに信じられていない。祖母とは俺が中学に上がった頃から同居していて、仙台でひとり暮らしを始めたあとも孫である俺をよく気にかけてくれた。九十近い田舎のばあさんにもかかわらず新しいもの好きで、スマホ(SNS)をも熟練の女子高生のごとく使いこなしていた姿が印象に残っている。


 されど昨日の朝、普段なら起き出してくる時間になっても姿が見えず、母が様子を見に行ったら布団の中で冷たくなっていたのだそうだ。亡くなる前日にも特に変わった様子はなかったそうだから、本当に突然の別れだった。しかし俺もこんなことがなければ、自ら進んで白石へ帰ってきたりはしなかっただろう。


 何故なら三年前の十二月、この町で歩叶(あゆか)が死んだ。以来俺は彼女との思い出が詰まった町を逃げるように離れ、今日まで頑なに帰郷を拒んできた。


 何しろ白石は狭い町だ。市としての面積はそこそこあるのだろうがその大半は山や田畑で、人が集まる場所というのは限られている。おかげでどこへ行っても歩叶との思い出があり、それが高校卒業間際の俺にはたまらなかった。だから大学進学を機に町を出た。もう二度とここへは戻らないくらいの気持ちで。


「あ、お(にい)、ほんとに帰ってきたんだ。おかえりー」


 されど現実がそんなに単純に運ぶはずもなく、俺はこうしてまたこの町へ帰ってきた。大萩山の麓に広がる閑静な──否、閑静すぎる住宅街の一角に俺の実家はあり、築八年が経った今も新築当時の真新しさを残す玄関をくぐれば、奥のリビングから気の抜けた声が出迎える。声の主は妹の(ゆい)だ。

 こちらも会うのはゴールデンウィークぶり。けれども「おー」と気のない返事をしながらリビングへ入ってすぐ、俺はぎょっとして足を止めた。


 何故なら白い対面キッチンのカウンターに座ったまま、スマホをいじる結の目もとが赤く腫れていることに気づいてしまったから。俺を迎えた声は平静だったし、あくまで目の周りが腫れているだけだから、恐らくは昨日のうちに散々泣いた痕なのだろう。そういえば結は昔から、俺よりずっとおばあちゃん子だった。


 しかし当人も泣き腫らした顔は見られたくないのか、スマホを眺めたままこちらを向く気配がない。一方の俺も何だか見てはいけないものを見てしまったような気がしてばつが悪かった。ゆえに早々に目を背け、キッチンも含めると十畳ほどもあるリビングに視線を巡らせれば、直前まで葬儀屋かどこかと電話していたらしい父が、コードレス電話の通話を切ってソファから立ち上がる。


「おかえり、優星。久々に一時間も電車に揺られて疲れたろ」

「……うん。ただいま」


 何だか知らない人の家にでも上がり込んだような気分で、意味もなく鼻の付け根を掻きながら、俺はよそよそしくそう答えた。そんな息子の決まりの悪そうな姿を映した父さんの双眸(そうぼう)が、眼鏡の奥でいたわしげに細められている。


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