2020年12月24日(木)
君を殺した犯人は、名を熊谷沙也人といった。
事件当時、三十四歳。職業は高校教諭。
報道によれば既婚者で、同じ教員の奥さんと、幼い子供がふたりいたはずだ──いや、こんな持って回った言い方はよそう。そう、熊谷は他でもない白石女子高等学校に勤務していた国語教師で、君がいた演劇部の顧問でもあった。
やつが逮捕される直前まで同僚として働いていた父の言によれば、非常に気さくで仕事熱心で、生徒からの人気も高い教師であったらしい。
同校の教員の間では特に愛妻家としても知られ、とても殺人など犯すような人物には見えなかったと、父は憔悴した様子で語っていた。
ましてや教師として守るべき生徒の未来を、あんなどうしようもない理由でたやすく奪う男だったなんて、と。
「真剣に交際を申し込んだが、断られたのでカッとなって首を絞めた。生徒の方から誘惑してきたくせに、馬鹿にしているのかという怒りがあった」
と、当時の報道によれば、熊谷は殺害の動機についてこう供述したらしい。されど所帯を持つ若き教師が、生徒に不倫を迫ったあげく拒まれて殺害に及んだというセンセーショナルなニュースは、こんな山間の片田舎で起こった事件とは思えぬほどに世間を騒がせ、全国から他人の醜聞と悲劇に飢えた報道関係者を呼び集めた。
そのうちの大手週刊誌が報じたところによれば、熊谷は十代のうら若き女子高生たちから持て囃される自身にひどく陶酔して、事件以前にもたびたび教え子を食いものにしていた前科があったという。無論、真実よりも売り上げを重要視する彼らの報道のうち、どこまでが事実でどこまでが脚色であったのかは知る由もない。
けれども熊谷という男を、どうしても善良な教師の仮面をつけた極悪人として吊し上げたいと望んだ彼らの奮闘の甲斐あって、君に降りかかりつつあった謂れのない軽蔑と嘲笑は鳴りを潜め、むしろ前途洋々たる未来を摘まれた憐れむべき少女として日本中の同情と哀悼を集めるに至った。だが、この際だから正直に言おう。
少なくとも当時の俺にとっては犯人の来歴も、君が教師を誘惑したとかしないとかの話もどうでもよく、七十五日もすれば事件の存在ごと君を忘れ去ってしまうだろう全国の薄情者どもが、どんな無責任な言葉を並び立てようが勝手にしろという感想しか湧いてこなかった。そんなことよりも、テレビをつけてもネットを開いても目に飛び込んでくる君の名前を見ないようにするのにとにかく必死で、日本の全国民に向けて「もう放っておいてくれ」と叫びたい気分だったのを覚えている。
と言うと、まるで俺のところにも不躾で無神経なマイクの群が押し寄せたかのごとく聞こえるかもしれないがそうではない。幸いにして、と言っていいものか、とにかく事件発生当時、俺たちの関係は既に解消されて久しかったから、かつて恥ずかしげもなく君の恋人を自称していた俺のところにまで報道関係者が押し寄せるという事態にはならなかった。ただ、そうして誰にも君のことを尋ねられないという事実こそが、身勝手な俺の心を苛んだのだ。
おまえは平城歩叶の死にはまったくの無関係だと。清沢優星という存在はもはや君の人生において、何の意味も持たないものに成り果てたのだと。
まるで世界中からそう後ろ指をさされ、嗤われているように感じて、正直気が狂れる寸前だった。だからおまえは平城歩叶に捨てられ、彼女を救うこと能わなかったのだという現実を、来る日も来る日も鼻先に突きつけられるようで。
ゆえに俺は逃げ出した。
君に必要とされなくなった劣等感から。君を守れなかったという無力感から。
君を心底憎んでいながら、やっぱり恋しくてたまらなかったという本心から。
しかしこうして振り返ってみると当時の俺が捏ねくり回していた理屈はどれも、これ以上傷だらけにはなりたくないという保身の気持ちから生じたものだったというのがよく分かる。我ながらつくづく賤しく意気地のない男だ。
結局俺は自分が一番かわいかった。だから君よりも自分を取った。
その結果、君を失った。要約してしまえばそれまでの、至極当然な顛末だ。
だというのに今になって、君に会いたくてたまらない。
あのとき俺が何の値打ちもないちっぽけなプライドなど投げ捨てて、空いた両手で君を失いたくないと足掻いていれば、俺も君も、もっと違う未来を掴めたのではないかと思えてならないのだ。人はこういう感情を本物の後悔と呼ぶのだろう。
だから、俺は、




