魔女に恋した日
ウィルは今日も森の前に来ている。目的は、森の中に住んでいる少女。少女、と言ってもただの女の子ではない。魔法を使える、つまりは魔女だ。
誰もいなかったこの森に、自分より歳下の魔女、彼女はいつの間にか1人で住んでいた。
それをウィルが知ったのは、彼女ーーリリーと出会った日に遡る。
♪
その日、ウィルは森に仕掛けていた罠を見に来ていた。罠にかかっていたウサギを持ち帰るためにはずそうとした時、ウサギが逃げ出した。
逃げ出した、とはいえ罠で怪我をしている。すぐに捕まえられるだろうと追いかけていたウィルは、近くに崖があったことに気付かずに、崖から落ちてしまった。
幸い、骨折はしていなかったが右足を捻ってしまい、長時間歩くことは難しそうだ。
だからといって、このままここにいて猪などにでも遭遇すれば、ほぼ丸腰子状態のウィルには危険だ。
どうしようと思っていたところに、崖の上から空色の髪の毛をした少女が顔を覗かせた。
見たことのない女の子だった。少女は、丸い紫色の瞳をこちらにウィルに向ける。
「あなたね」
まるで、ウィルがここにいることがわかっているかのような言葉。そう言うと、彼女は上からロープを垂らして崖を降り、ウィルの側にやって来た。
「あの、君は……」
誰、どうしてここに、と疑問を投げ掛けようとした。そのとき、少女の肩からこの森に入る前に会った風の精霊がいることに気がついた。精霊は涙目でウィルに抱きついてきた。
この精霊が、彼女を連れてきてくれたのだろう。助かったことにウィルは安堵の息を吐いて、自分に引っ付く精霊に礼を言った。
そして、初めてあった自分以外に精霊を見ることのできる少女に目を向けた。
少女は手際よくウィルの状態を確認して、肩にかけているポシェットから薬屋包帯らしきものを取り出して手当てをしていく。
「あの……ありがとう」
お礼を言っても、何を考えているか分からない無表情の少女は何も答えない。答えてくれるかは分からないが、ウィルは一番気になることを聞いてみることにして。
「君も、精霊が見えるの?」
その言葉に、少女は一瞬手を止めるものの、またすぐに作業を再開した。
「えぇ」
「俺も、生まれてからずっと見えてるんだ」
「そう」
「自分以外にこの子達が見える人に初めて会った」
「へぇ」
「どうなるんだろうと思ってたら、君と風さんが来てくれたから助かったよ」
「風さん?」
短い相槌しか返さなかった少女が、ウィルの言葉に反応を返す。ちゃんと話を聞いてくれているようだ。自分と同じ存在が見える少女に会えたことが、純粋に嬉しかった。
「うん。風の精霊だから風さん」
少女はその紫の瞳に飽きれの色を浮かべた。
「風って、そのまますぎ。なんにも勉強してないのね」
少女の言葉の意味が分からず、ウィルは首をかしげる。そんなウィルの姿に、少女は言葉を続ける。
「精霊の種類や総称についてとか」
「まぁ、知らないは知らないけど、本人たちに嫌がられたことはないし……」
ウィルはちらりと風の精霊に目を向ける。ウィルの視線に気がついた精霊は声を出した。
『ウィルが呼びやすいなら、私はそれでいいよ』
「でも、可愛くない」
精霊の答えに、少女は不満そうだ。先程までは無感情な様子はもう見られない。
「こんなに綺麗で可愛いのに、自由に呼ぶにしても風さんとかネーミングセンス無さすぎ」
『リリーが可愛く呼んでくれるでしょ? 私はそれでいいの。多分、みんなもそう言うと思うよ』
「むぅ……あなた達が良いのなら、何も言えないわね」
でも、納得いかないと言った顔で、少女は頬をふくらませた。
そんなふたりのやり取りの中で、ウィルは目の前の少女の名前が【リリー】だと知った。
「納得しては貰えないけど、認めて貰えたみたい、かな?」
「この子達がいいのなら、それでいいわ。よし、こんなものね。捻った足は流石にここではどうにも出来ないから、痛み止めの魔法をかけるわ。一時的なものだけど、痛みがない分少し動かしやすくなるでしょう。今日一日は持つと思う」
手当を終えて、リリーはそう言った。ウィルはリリーの言葉の中で、本でしか聞いたことの無い言葉を聞いた。
「魔法って……伝説のものじゃないのかい?」
「伝説って、精霊がいるんだから、魔法くらいあるでしょ」
「昔話として話にでてきたくらいだよ」
リリーはウィルの足の捻った箇所に手を乗せて、知らない言語をつぶやく。足の見た目は変わらないが、不思議と痛みは引いていた。
「凄い……!」
「え、ほんとに、魔法ないの?」
ウィルの反応に、リリーは驚きを顔に浮かべる。
「精霊術って言って、精霊と契約して使えるものはあるけど、魔法はないね」
精霊術ーーこの国は、精霊の力を借りて不思議な力を使うことができる。しかし、使えるのは火、水、風、土の四種類に関する術だけで、治療系の精霊は存在しないので、先程リリーの行ったようなことは精霊術では出来ない。
リリーが魔法を使える、ということは確かなようだ。
「精霊と契約するのに、その姿が見える人は珍しいわけ?」
ウィルの言葉を思い出してだろう、リリーが問う。彼女の疑問は最もだろう。ウィルはリリーに精霊術のことを簡単に説明した。
精霊術は、その属性に対する特定の陣と契約者の血液を使用して精霊との契約を行ことで、契約精霊の属性術を使うことが出来る。
契約は基本的に手順を踏めば誰でも行う事ができる。力を借りるだけなので、精霊の姿が見えずとも契約はできるし、精霊術を使用することが出来るのだ。この国では、精霊の姿を見ることのできる者は数えるほどしかいないと言われている。
そんな環境であるため、面倒なことにならないようウィルは誰にも話していないが、生まれつき妖精が見えている。そして、妖精たちはウィルに非常に好意的であるということを知っている。
リリーは初対面ではあるが、精霊が連れてきてくれた助っ人であること、彼女自身見える人だということで、ウィルは初めて誰かに自分の特別な力のことを話した。
彼女の秘密の方がもっと上手だった訳だが。
リリーはウィルの話に少し考えるような表情をした。
「私のことは、誰にも言わないで」
「言わないよ、君が望むなら」
リリーの紫の瞳が、ウィルの顔を覗き込む。落ち着いてからゆっくり見ると、綺麗な瞳だな、と思った。まるで、アメジストのように深い紫色。ウィルはその瞳をじっと見返した。
長いと思えた一瞬の時間だった。もう少し見ていたいと思っていたのに、すぐにその瞳は逸らされた。
「あなたを信用するわ。精霊たちに好かれていることがその証明になるだろうし」
「精霊さんたちに感謝だね」
ウィルはリリーの言葉に笑った。
「ほら、行くわよ。森の出口近くまで送るわ」
リリーが手を差し出してきた。不思議そうに手を見返すウィルに、リリーは続けた。
「痛みがなくても足を怪我してるんでしょ。無理に動かすと悪化するから、歩く手伝いをしてあげるっていってるのよ」
リリーの言葉に、ウィルは納得してその手を握った。
柔らかい、自分より一回り小さい手。その手から伝わる体温が心地よかった。
森の出口についたウィルは、リリーにお礼を言う。
「ありがとう。助かったよ」
「別に。私のテリトリーで死なれたら、後処理が面倒くさそうだから助けたまでよ。シーちゃんの頼みでもあったし」
シーちゃん、というのが彼女の風の精霊の呼び方らしい。
「リリーちゃんは、いつから森の中に住んでるの?」
「答える必要ない。というか、名前。なんで知ってるの?」
「さっき風さんが呼んでた」
「盗み聞きとか、サイテー」
「目の前の会話なんだから、聞こえて当然だよ」
ウィルは笑って返す。
「今度、お礼に行くよ」
「来なくていい。ま、来たくても来れないだろうけど」
別れ際、リリーはいたずらっ子な笑顔を見せて、森の中に消えていった。
初めて会った、自分を助けてくれた少女。手当をして入口までおくってくれる優しい魔法使い。
ウィルはこの日、リリーに恋をした。