シェアハウスをしよう!
「都会に出るってどういうこと?」
俺は本当に動揺した。子役時代に一世を風靡した女優が結婚を発表したときぐらい動揺した。
「ここに300万あります」
ドン、と札束が汚ったないテーブルの上に置かれ、後輩が平然とした顔で言った。
俺はただただ驚くしかできなかった。扇風機の音が妙に大きく聞こえる。
「い、いつ出るの…?」
俺がかろうじて絞り出せたのはその一言だけだった。後輩はさらに続けた。
「明後日です」
*
俺はバイトを辞めた。俺は真面目な青年だったので、店長は俺をしきりに心配していた。
いい人だと思った。
何だかどうでもよくなってしまったのだ。これは運命のようなものであり、そしてそれは大きな流れのように俺たちを飲み込んでいる気がする。
川の流れには逆らえない。リンゴを重力に逆らって宇宙に打ち上げようとしても、人間の膂力では無理だ。
多分そういったものなのだろう。
荷造りは驚くほど早く済んだ。独身フリーター男の部屋なんてそんなもんだろう。荷物はあとから配送してもらう。
「ズバリ言うとですね」
都会行の新幹線の中で、さきいかをつまみながら後輩は言った。男二人分のキャリーケースが並んでいるので上手く身動きが取れない。背もたれに無理やり体を押し付けた。
「YouTuberになりたいんすよ」
「ウソでしょ」
ウソでしょ?
「いやマジっす。大マジのマジ」
「マジかよ。どのくらいマジなの?」
俺もさきいかをつまんだ。
「小学校の卒業文集には既に書いてましたね。youtuberって。そのくらいマジです」
「クレイジーな先見の明だな」
「いつの時代も社会の闇系の話はウケるじゃないですか」
「うん」
「だからゲイ向けパパ活の実情を喋ったり。俺生配信やってるでしょ?」
「そうだね」
「ある程度の固定ファンは付くと思うんですよ。上手くいかなかったら死にましょ」
「うん」
さきいかがなくなった。
*
新幹線は音もなく止まった。いや音はあった。あれなかったかな?あったような気がする。ごめんわからないわ。確信がないから言うのやめとくわ。
後輩がキャリーケースの中身を確認しながら言った。
「家行きますか。」
後輩は途端にキリッとした顔になった。顔が整っていて、ギリシャ彫刻のような感じだ。ちなみにギリシャ彫刻は見た事がない。
「ほぇー借りてんだ。さすがに用意周到だな。」
「もちろん。ちなみにシェアハウスでゴンス」
???????????????????????????????????????????????????????????????????????????
NHKの教育番組に出てくるキャラクターみたいな語尾で居住地を指定されてしまった。
そのシェアハウスとやらは新幹線を降りて3時間駅をさ迷った挙句(都会の駅には無限に〇番線が存在する)、電車に乗り継いで2駅、大橋駅から徒歩3分のところに存在した。
大橋は都心も都心である。俺はテレビの中でしか大橋を見た事がない。
そこにそのシェアハウスはあった。閑静な住宅街の真ん中にと書きたいところだが、残念無念おじいおばあがゲートボールに興じており閑静ではなかった。
高齢者でもあんな声が出せるのだなあ、というのが俺が初めて都会に出て「人すげ〜」「建物やべ〜」の次に出た感想である。
すごい、というのが第一印象だった。
都会の住宅街の真ん中にある、都会らしい洗練された、シックな、新興住宅企業のモデルルームにありそうな家であった。
三階建てて、屋上には屋根が付いておらず、バルコニーには草が植わっている。草が…草というと貧相なイメージがあるが、とにかく草がオシャレなのだ。瑞々しく、つまりそのなんというか、西洋絵画の、
もう草の話はやめる。
そうだ。問題はもうひとつあったのだ。それはシェアハウスのインターホンを押す前の後輩の一言(さすがに口でピンポンとは言わなかった)。
インターホンを押そうとして、後輩が手を止めて言った。
「そういえば、先輩は俺のアシスタントって設定なんでよろしくお願いします」
「設定ってどういうこと?」
「このシェアハウスオシャレじゃないですか?」
「うん」
「なんで俺借りれたんでしょうね?」
「なんでだろう。わかんないな。ぴえん」
「ぴえんですね。ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
「中原中也おるやん。それでどうして借りれたの?」
「ここ、俺の生配信でのツテを使って借りたんですよ。だから先輩もアシスタントとして行かなきゃ都合が悪いんです。ほら俺経歴が独特じゃないですか。北朝鮮生まれだし」
「脱北者の中原中也おるやん」
後輩の冗談はわかりにくい。とりあえず突っ込んでおいた。
「まあいいや。それで破格の安さなんですけどね。そのかわり仕事というか、ツテとか人脈をルームシェアしてるメンバーはお互いに提供しなきゃいけないんですよ。」
「なるほどそういうことか。」
合点がいった。
「それでそのメンバーがですね、色々個性強いメンツでですね…まあ会えばわかりますよ」
「わかった」
ピンポーン。
「はい」
ガチャ。出てきたのはイケメンで、髭の濃い精悍な長身の男ーーーーーTOSHIFUMIだった。
「え」
「はじめまして。今日からお世話になるにゃんにゃん王子こと成瀬です。」
後輩が挨拶した。ハンドルネームのセンスが壊滅的なことには今さら触れない。
「成瀬くんね。よろしくな。そちらはアシスタントの?」
「あ、相川です」
「よろしくな。俺は徳田…まあTOSHIFUMIの方がわかりやすいか。入ってよ。」
TOSHIFUMIは俺たちを案内し、初めて俺たちはシェアハウスの中に通された。
まさかTOSHIFUMIに案内されるとは思わなかった。案内されるならHARUNORIが良かったと、ふと思った。