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■佐賀県立名護屋城博物館


-■佐賀県立名護屋城博物館


○佐賀県唐津からバスで一時間の所に名護屋城跡がある。大阪城クラスの広さ

の城であり、秀吉が朝鮮侵攻に築かせた城である。城といっても日本中の大名

を、周りに屋敷を作らせていた。いわゆる大本営であり、瞬時にひさたる時の

大城塞都市であった。当時10万人以上の人口。朝鮮半島はそれこそ眼の前にあ

り、入り浜で船の出入りにも便利だったようである。現在も大きな漁村です。


この時期、秀吉は世界王朝王者の一人に対抗意識を持っていたといわれている。

それは、スペイン・パプスブルグ・フェリペ2世である。パプスブルグ家は、

オーストリー出身であるが(実際にはスイス)婚姻政策によって欧州フランド

ル地方や、スペイン王家と血のつながりを持ち、南北アメリカを支配していた

当時最大級の帝国でした。オランダもここと独立戦争で戦いました。


日本の南にはフィリピン、太平洋の対岸ではメキシコがその中継基地である。

オスマントルコ帝国との地中海の覇権を争っていて、とりあえずレパントの海

戦で勝利をおさめていた。(この海戦では、セルバンテスが参加し、奴隷とな

る。「セルバンテス」という映画がビデオ化されているはずです。セルバンテ

スってわかりますよね。ドンキホーテの作者です。)


豊臣秀吉ではなくて、織田信長VSパプスブルグ家フェリペ2世のシミュレーショ

ン小説が、佐藤大輔さんの小説シリーズにあります。


話は戻って、この名護屋城の南側の地域を旅行すると、伊万里、有田など陶器

の大産地。わかりますよね。秀吉が、大名が朝鮮から連れてきた陶工の方がそ

の陶器を作りだし、江戸時代の陶器ムーブメントの一端を作ったわけですよね。

名護屋の跡地から北の海を見渡すと、そんな殺伐たる歴史を感じさせないほど

の無限の広がりがあり、快い風が吹いていました。


名護屋城の跡地には、佐賀県立名護屋城博物館があり、ここは必見です。

朝鮮侵攻の折、朝鮮人の捕虜を奴隷として売り飛ばしたのですが、その中の

1人がイタリアまで行き、今もその子孫の方が残っておられるという韓国新聞

記事や、最近の歴史の教科書に必ず載っている「名護屋城絵巻」を元にした城

の模型、当時の戦艦安宅船、対する朝鮮の亀甲船の模型など見ごたえたっぷり

の博物館です。模型はすべて数億円かかっているそうです。

▲ http://www.pref.saga.jp/syoukou/kankou/info100/i028/index.htm



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