次期公爵のお礼(1)
ビュープレット子爵邸から帰った次の日は大変だった。何せ、予告もせずに突然1週間も休んだのだから。
もちろん、担任のモモ先生は事情を知っていたし、それ以外の先生も校長から大まかな説明は受けていたので、授業中に俺が休んでいたことが問題になることはなかったが、事情を知っていたのは先生たちだけで、生徒たちは何も聞かされていなかったのだ。
まず、文句を言ってきたのはユキだった。朝登校していると、俺を見つけた途端に駆け寄ってきて、小声で囁いてきた。
「ねえ、レン!」
「ユキ。おはよう」
「おはようじゃなくて。今まで何してたのよ」
「何って、ちょっと野暮用で」
「はぁ? 何言ってんの?」
適当に誤魔化そうとすると、ユキはあからさまに不審な表情で詰め寄ってきた。とはいえ、依頼の内容や依頼人の素性を話してしまうことはできないので、なんとか言い繕わないといけない。
「ちょっと詳しいことは言えないんだけど、仕事の依頼で」
「仕事? レンが? ハンターでも始めたの? 悪いことは言わないからやめといたほうがいいよ。レンには向かないって」
「誰もそんなこと言ってないだろ」
「じゃ、何よ。一週間も掛かる仕事って。あ、試合が嫌になってサボってたな」
「違うよ。仕事だったんだよ」
「まあまあ、そういうことにしておいてあげる。レンには借りがあるからね」
ユキはそう言って、独りで納得して去っていった。結果的には言い繕ったことにはなったものの、何か納得いかないと思った。
教室に入ると、俺の顔を見るなりひそひそという話し声が聞こえてきた。内容は、俺が一体この1週間何をしていたのかという話だ。一向に姿を見せないので、一部ではとうとう落第したのではという話になっていたみたいだ。
確かに俺の実技の成績では、1週間も休んだら出席点が足りなくて落第しかねないところではある。でも、今回は貴族、しかも次期公爵の依頼だったので実技点には加点が付くはずで、俺の成績は逆に落第から遠ざかったまであった。
「カンニング野郎がのこのこと来やがったな。そのまま消えりゃよかったのによ」
語彙の少なそうな悪態をついてきたのは例によってアバート男爵家の跡取り息子のトーマだ。男爵家を笠に着て、何かというと平騎士を見下してくるトーマにとって、家が貧乏で実技が落第すれすれの俺は格好のいじめのターゲットなのだ。
「俺はカンニングはしていない」
それに対して、俺が言うことはいつも1つだ。俺がやっているのはカンニングではない。俺の持つ固有スキルを使っているだけだ。それがカンニングだというのなら、生まれつき頭のいい奴もカンニングだし、家の財力でいい装備を使っている奴もカンニングじゃないか。
「黙れ、この糞カンニング野郎が。そもそも貴様のような下衆がここにいること自体が許されないことを忘れるな」
と言ったところで、この差別主義者のトーマが聞く耳を持とうはずがない。案の定、さらに頭の悪そうな罵倒を投げかけてきた。これ以上話しても無駄なので、言われた通りに黙ってさっさと背を向けて去ろうとすると、後ろから筆箱を投げつけてきた。もちろん、トーマのものではない別の誰かの筆箱だ。
後ろを向いていても警戒を解いていなかった俺の視界には、全知書庫が示す回避行動が映っているので、頭を軽く振るだけで避けることができた。というか、トーマの奴は頭を狙ってきてたのか。
後ろでトーマが不機嫌そうに周りに当たり散らしている音が聞こえる。これは、今日の試合の相手は大変だなと思った。まあ、俺じゃないのなら別に関係ない話だけど。
「おう。何か、大変そうだな」
休み時間に俺を見つけて声を掛けてきたのはタスクだ。
「何のことだ?」
「トーマが荒れていたけど、あれはお前じゃないのか?」
「知るか」
確かにそれは俺のせいだが、俺の責任じゃない。
「ところで、お前、1週間も何してたんだ?」
「ちょっと頼まれごとでな」
「ちょっと頼まれごとで1週間学校を休むというのは、お前の成績じゃ考えられんな」
「うぐ」
こいつは何気なくいいところを突いてくるから油断がならない。スキルに頼っている俺とは違って、実は本当に頭がいいのかもしれないが、残念ながら学校の成績は特別パッとした様子はなかった。俺のように落第すれすれの成績というわけでもないが。
「そうだな。お前にだけは本当のことを教えてやるか」
そう言って、俺はタスクを手招きして内緒話をするために顔を寄せた。
「実は次期公爵様からの直々の秘密の依頼があってだな、詳しくは言えないが大切な人の命を救わなければならなかったんだよ。しかも、俺が失敗したら他に頼れる人がいないということでな」
「わはははははは」
俺が真剣に話すと、タスクは突然爆笑した。
「それは素晴らしいな」
「しーっ。声が大きい! 他の奴らに聞かれたらどうする!!」
「分かった、分かった。それにしても、ごまかすならもう少しましな嘘をつけ。公爵様の名前をそんなことに使ったことがバレたら大事になっても知らないぞ」
タスクは完全に俺の話がごまかしのために急に思いついたでっち上げだと思ったようだ。ご丁寧に声のトーンを下げて忠告までしてくれた。
「嘘じゃないぞ。本当に……」
「しーっ。お前、声が大きいよ。分かったよ。お前は公爵様を助けたんだな」
「次期公爵様だよ」
「はいはい」
これでタスクはそれ以上この話を聞いてこなくなった。タスクは勘がいいから下手な嘘を吐くと余計に勘ぐってくるので、あり得ない真実を教えてやれば自分から否定してくると思ったのだ。
これがタスクでなくユキだったら、公爵様の名前を出したりすれば大騒ぎを始めてしまうに違いない。タスクが相手だからこういうやり方が通用するのだ。
さて、こんな調子で初日はいろいろあったのだが、2日もすればすっかり落ち着いて日常を取り戻して、周囲も俺に対する興味を急速に失っていった。もともと、俺に興味のあるやつなんてほぼいないのだから、それが自然な姿のはずだった。
変化が起きたのは3日目の放課後だった。
下校時刻になって窓の外を見ている生徒たちが騒ぎ始めた。何かと思って見てみると、校門のところに誰か立っていた。小柄で褐色肌の女の子で、純白のワンピースを着ているのが見て取れた。
その瞬間、俺は慌てて校舎の壁に隠れた。褐色肌で純白のワンピースと言えば王族か公爵家のどちらかしかありえない。それであの年ごろの少女となれば、この間、悪魔の呪いを解いたお嬢様以外にはあり得ないのは、チートスキルがなくてもすぐに分かることだ。
そんなお嬢様がわざわざ騎士学校に姿を見せた理由に、思い当たることは1つしかない。できれば外れてほしいと願いながら、わざと千里眼も使わずに、大きな身体をできるだけ小さくしながら下校しようとした。
「ルーパイン様!」
が、そんな俺の願いもむなしく、カレンお嬢様は俺の姿を見つけると、人目も憚らずに声を上げて俺の傍に駆け寄ってきて、あろうことかいきなり抱き着いてきた。小柄なお嬢様と高身長の俺の組み合わせだと、お嬢様の頭が俺の胸元にあたって髪のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
「レ、レ、レ」
運悪く、ちょうどユキが近くを通りかかっていたところで、目の前で起きた異常事態に、ユキはハトが豆鉄砲を食らったような顔でレレレのおじさんのように語彙を失っていた。
最悪だ。