公爵令嬢の危機(6)
慌てて子爵が光を失った魔法陣の上に飛び乗ってお嬢様の下へと駆け寄ろうとしたところ、お嬢様が自力で起き上がって子爵の方へと駆け寄ってきた。
「お父様!」
「カレン、無事か!?」
子爵の問いかけに、お嬢様は無言でブラウスの胸のボタンを外し始めた。そして、自ら胸元を広げて子爵に見せつけた。
「見てください」
「おお。胸の痣が」
「はい」
そう言って2人は感極まって抱き合ってお嬢様の方は泣き出した。子爵も涙をこらえているようだ。それを傍で見ているガリソンも、手にハンカチを握っていた。
胸の痣というのが悪魔の呪いに関係していて、呪いが解けたので痣も消えたということみたいだ。いきなり胸元をはだけたので何が起きるのかとびっくりした。
これでようやく全部終わったと思うと、急に睡魔が襲ってきた。
考えてみれば、ここに来てから6日間、朝から夜までパズルを解き続け、睡眠時間は平均6時間未満だったのだ。頭と体に限界が来てもおかしくない。
さすがに子爵がいるところで寝てしまうわけにはいかないと頑張っていたが、まるで泥沼に引きずり込まれるように睡魔に飲み込まれて、いつの間にか意識を手放していた。
次に気が付いた時には、ふかふかのベッドの上だった。ここ1週間ほど、毎朝目覚める場所だ。いつも朝早く起きて時間を惜しんで朝食を食べていたが、今日はすでに日が高く昇っているようだ。
「お目覚めでいらっしゃいますか?」
ふと気づくと、そこにはメイドの姿があった。着替えを運んできて、ついでに花を変えてくれていたようだ。そもそもこの部屋に花が活けてあったということに、いまさらながらに気が付いた。
そういえば、昨日は子爵の目の前で寝落ちしてしまったのだが、いつの間にかベッドに移動させられて服も着替えさせられているようだ。
「子爵様は?」
「もうご出発なされました」
「ご出発?」
「はい。ご朝食の用意ができておりますので、お着替えが終わりましたらお申しつけください」
そういうと、メイドはさっと部屋から退出していった。出発とは何かと思ったら、千里眼が出勤のことだと教えてくれた。今日は朝から王城へ出かけていったのだ。
お嬢様の方はどうしたのだろうと見てみると、そちらは貴族学校へ登校したようだ。どうやらもうすでに昼前になっていて、この屋敷の中には2人ともいなくなってしまった後のようだった。
俺はすぐに服を着替えると、メイドを呼んで食堂へと案内してもらった。
朝食が終わった頃合いを見て、ガリソンが現れて深々と首を垂れた。
「この度はお嬢様のお命を救っていただいて、大変感謝しております」
「私は私にできることを行っただけです」
「それが今までできる方がおられなかったのです。ありがとうございました」
これほどまでに感謝されて、俺はくすぐったい気分になった。こんなに感謝されたのはいつ以来のことだろうか。
「上様も直々に感謝の言葉を述べられたいとおっしゃったのですが、生憎、陛下からのお召しがあり、今日はお会いなされないとのことでしたので、日を改めて感謝を伝えたいとおっしゃっております」
「分かりました。お気遣い感謝いたします」
偉い人と話をすると気疲れするから、いないのはむしろラッキーだったとも言えるけど、後で呼び出しが掛かるのなら同じこととも言える。まあ、心の準備をする余裕くらいはできるかな。
「報酬については、その場で話がなされることになりますが、希望がおありでしたら、事前にお聞きしておきたいと思います。いかがでしょうか?」
「希望ですか?」
以前、子爵は「褒美には望みの物を何でも1つ叶えてやる」と言っていた。その言葉を真に受けるわけではないが、これは案外大きく出ても怒られないかもしれない。
「それでは一つだけ」
「はい。上様は可能な限り希望に沿いたいとおっしゃっておいでですから、何でもおっしゃってみてください」
「では、騎士学校を卒業した後、上様に就職の際の後見人になっていただくことは可能でしょうか?」
「……」
俺の希望を聞いて、ガリソンは黙ってしまった。しまった。これはヤッてしまったか!?
「それだけですか?」
「え?」
「あ、いえ。想像していたよりも控えめなご希望でしたので」
控えめと言っても、ただの貧乏騎士の息子が、騎士学校を卒業したばかりで次期公爵の後ろ盾を得られるとしたら、その威力は測り知れないものがあるのだ。ガリソンも出自は隠されていたとはいえ王家の血を引く身分なので、そのあたりの事情には疎いのだろう。
「私のしたことを考えれば、これ以上は望みすぎというものです」
「分かりました。ルーパイン様のご希望とあらば、そのように上様にお伝えしておきます」
その後、ガリソンは魔動車で俺を自宅まで送ってくれた。初日に迎えに来た魔動車は、身分を示すようなものは隠されていたが、今日のはビュープレット家の家紋が分かりやすいところに掲げられていた。どうやら、もう立場を隠すつもりはないようだ。
が、俺は敢えてそのことには触れずに子爵邸を後にした。もう、一刻も早く帰って羽を伸ばしたいのだ。
ルーパイン家、つまり俺の家にビュープレット家の家紋付きの魔動車が横付けになった時、貧乏騎士の狭い家は大騒ぎになった。公爵家の人間に粗相があってはならぬと、父がおっとり刀で一張羅を着て飛び出して来たのだった。
もちろん中にいるのは俺なので、そんな慌てる必要はないと止めることもできたのだけど、慌てる様子が面白かったのでわざとゆっくりと出て行った。
「レン! なんでお前が!?」
「あれ、言ってなかったっけ? 貴族様の依頼でしばらく家を空けるって」
「貴族様って、お前はこのお方がどなたか分かってないのかっ!!」
「親父こそ、貴族様は身分を明かしたがっていないって言ったよね」
「いや……、でも……」
親父は口を魚みたいにぱくぱく開けたり閉じたりしたが言葉が出てこないようなので、俺は隣を素通りして家の中へ入った。
家の中では、やはり一張羅を着て、母と妹が待っていた。外の騒ぎは中にいても聞こえたようで、俺が入ってきたら母は目を丸くして口を開けていた。
「あ、あ、兄貴!」
「ん?」
通り過ぎたところを、妹のリカが声を詰まらせながら呼びかけてきた。俺は何気ない風を装って振り返った。
「あ、えと、な、何でもないわよ、バカっ!!!」
結局、何も言うことがなかったのか、突然逆ギレして、俺にぶつかるようにして自分の部屋へと駆け込んでいった。全く、リカが何を考えているのか、自分の妹ながら時々分からなくなる。
首を振って自分の部屋に戻ろうとしたところで、再び、突然リカの部屋の扉が開いた。
「な、何だよ」
「これを見て、何か言うことはないの?」
「は?」
これって、どれのことだよ?
リカはさっきから自分の服を摘まんでいるだけで、これが何のことなのか一向に指し示す様子もない。
「……、バカーーーーーーーっ!!!」
答えに詰まっていると、リカは再び逆ギレして、音を立ててドアを閉じてしまった。
今のは一体何だったんだ。