公爵令嬢の危機(3)
「上様、落ち着いてください」
見かねた初老の使用人が興奮する子爵を押しとどめてなだめてくれた。子爵は今にも俺に掴みかかりそうで、身の危険を感じるほどだったので、割り入ってくれた時には正直ほっとした。俺の立場では次期公爵を無礼でない形で制する方法なんて思いつかない。
「ここはもう一度、上様の前でパズルを解いてもらって、上様ご自身の目で判断なされてはいかがでしょうか?」
「分かった。ガリソンに任せる」
初老の使用人の名前はガリソンというらしい。セバスチャンじゃなかったのか。見た目は完全にセバスチャンという感じだったのに。
余計なことを考えている間に、セバスチャン、ではなくガリソンが、別のパズルの箱を手に戻ってきた。もしかして、公爵家というのは無類のパズル愛好家なのだろうか。でなければ、どうしてこんなに何個も立派なパズルがすぐに出てくるんだ。
「では、ルーパイン様」
「失礼いたします」
俺は子爵に一礼をしてからパズルの箱を開け、再び同じようにしてパズルのピースを並べ始めた。両手にピースを持ってほとんど絵柄も見ずに並べていくと、子爵の表情が驚愕に染まっていった。ガリソンの方は2回目なので落ち着いているが、やはり信じられないという様子で俺の手元を見ていた。
「終わりました」
俺がそう言うや否や、子爵は俺の手をがっしりと掴んで力いっぱい握りしめてきた。正直、力が入りすぎて痛いほどだった。しかし、俺にはそんなことを考えているような余裕はなかった。
「私を、私の娘を助けてくれ。お願いだ」
次期公爵にこんなに必死な表情でお願いされると、逆に少し寒気がしてくる。そもそもこの身分の人たちは俺みたいな人間にはただ命令するだけでいいのだ。それなのにわざわざお願いするのは、背後に余程の切羽詰まった事情があるのではないかと思うからだ。
実のところ、依頼人が誰かには興味があったので確認していたが、依頼内容については依頼を達成して依頼人が満足すると分かった時点でそれ以上追及していなかった。もうちょっと詳しく確認しておけば心構えができたかもしれなかったが、いまさらなことだ。
「謹んでお引き受けいたします」
もっとも、先に知っていようがいまいが、俺にはこう返事をするより選択肢はないのだが。
「では、ルーパイン様。こちらへ」
俺が承諾すると、ガリソンが俺を別の部屋へと案内してくれた。ガリソンについていくと、子爵が俺の隣に並んで歩き始めたのだが、次期公爵の隣を歩くのは心臓に悪いからやめてほしい。しかし、俺の方から離れるのは失礼なので身動きが取れなかった。できれば、子爵の方から前か後ろにずれてほしいんだけど……
「私には娘が1人いる。なかなか子供が授からない中でようやく生まれた大切な娘だ」
離れてほしいのに、子爵はなぜか自分語りを始めてしまった。こういうとき、俺みたいな下々のものは口を挟まず黙って聞くらしいのだけれども、聞き流さずにきっちりと聞いておかないと突然発言を求められた時に困ることになってしまう。なんて面倒くさい。
「貴族の娘といえば政略結婚の道具のように思っているものもいるが、私は娘には自分の人生を自由に生きてほしいと思っている。結婚相手の格式にも、そもそも結婚するかどうかすら本人の意思に任せたいと思っているのだ。
万が一ハンターになりたいと言い出しても、それすら受け入れるつもりなのだ。もちろん、パーティーを組む相手には娘を絶対に守れるものを選ぶがな」
自由に生きてほしいと言いながら、案外しっかり口を出してきそうなタイプだなと思ったが、そんなことを口に出したりはしていない。とりあえず、子爵が娘を溺愛しているということはよく伝わってきた。
「それなのに、ある日、娘のもとに悪魔がやってきたのだ」
悪魔。前世にはおとぎ話にしかいない空想の産物だったが、この世界では現実に存在しているものとして知られている。が、それを実際に見たことのあるものはほとんどいないと言われていた。
「悪魔は娘に、残りの命は後1年と言い、元の寿命に戻すには魔法陣を完成させて魔法を発動しろと言って、パズルを1つ残して去ったのだ」
「……それはいつのことでしょうか?」
「11か月前。残された時間は後1か月だ」
マジか。11か月掛かっても解けないパズルというのは一体……?
「こちらでございます」
ガリソンに連れられて来たそこは、明らかに屋敷の中でもプライベートなエリアにある一室で、本来なら俺のような来客は絶対に入れることはないところだった。
部屋に入ると、そこはテーブルすら置かれていない殺風景な空間で、隅の方に大きな木箱が置かれていた。
「パズルはこの中に入っております」
俺は子爵に会釈して木箱に歩み寄り、慎重に蓋を開いた。そこには1ピースの大きさが手のひらほどもあるジグソーパズルが大量に詰め込まれていた。
「4万ピース入っている。完成すれば10メートル四方の魔法陣が現れるはずだ。ただし、全部を正しい位置に配置しなければ、魔法陣が現れることはない」
子爵が言った。
なるほど。それでピースが全部真っ白なのか。完成させたときにだけ、この白い表面に魔法陣が浮かび上がるという仕掛けなのだろう。
4万ピースの巨大ミルクパズルで、しかもパズルのピースに厚みがあって切断面が立体的なので、ミニチュアを複製して解いてから並べようと思っても、まず複製することが難しい。確かにこれは難問だ。
「ちょっと待ってください。……残り時間は1か月ですか?」
「そうだ」
残り30日として、720時間、43200分。1ピース平均1分しか掛けなくても、1日2時間未満の睡眠時間に削って、ようやく1か月でぎりぎり解けるということだ。もう始める前からほとんど詰んでいると言ってもいい。
なるほど。だから、子爵があんなにも必死だったのだ。むしろ、あれはよく理性で抑えている方だったのではないかと思った。なにせ、これは命令すればできるというものではない。不可能を可能に変えられるか、という類のものなのだ。それはこの11か月で身に染みていたのではないか。
「もしこのパズルが解ければ、褒美には望みの物を何でも1つ叶えてやる」
「上様!」
何でも望みを1つ叶えると約束した子爵に、ガリソンが慌てた様子を見せた。確かに今のは不用意な発言だと思うけど、こういうところで「本当に何でもなんだな」と小学生みたいなことを言ってはいけない。黙ってスルーしておくのが大人というものだ。
「では、始めさせていただきます」
さて、この4万ピースのパズル、一つ一つ手に取って並べていくのでは、さすがに正解が分かる俺でも時間が掛かりすぎる。睡眠時間のことを真面目に考えたら、1か月掛かってもおかしくない。だから、時間を短縮する方法を考える必要があった。
1日6時間の睡眠を取って、食事や休憩の時間も取ることを考えると、1日の実働は最高16時間。7日間で終わらせることを考えると、使える時間は6720分。1分平均6枚のピースを置いていかないといけない計算だ。
俺の力を持ってすれば簡単な話のように聞こえるけれど、パズルのサイズは10メートル四方で、ピースを置くたびに部屋を動き回る必要がある。しかも、途中からピースが床に増えてくると足の踏み場にも困るようになってくるのだ。疲労もたまってくることを考えると、相当厳しい条件と言える。
なので、俺は考え方を変えることにした。10メートル四方で4万ピースの巨大パズルではなく、1メートル四方で400ピースのパズルが100個ならば、不可能な数字ではない。1メートル四方のパズルなら、すでに置いたピースを踏み荒らさずに、腕を伸ばすだけでピースを並べていけるからだ。
何せ俺は、普通のパズルなら1ピース1秒で並べることができるのだ。10秒もあれば余裕のはずだ。
問題は、普通の人なら4万枚のミルクパズルのピースを、400ピースのパズル100個に分類すること自体が難問ということだけれども、それは俺にとっては問題でもなんでもない。
俺は両手に一抱えのピースを持って、部屋中を歩き回りながら、ピースを100個のパズルに分け、それぞれのパズルのピースが並べられる当たりの場所にピースを配り始めた。正確な位置にピースを置いていくのではなく、1メートル四方の区切りの中に置くだけなので、ずっと早く配っていける。
途中から、気の利くガリソンがバスケットを持ってきてくれたので、さらに効率が良くなった。しかしそれでも、4万ピースを分配するのは手間のかかる仕事だった。