公爵令嬢の危機(2)
家を出る前、一応、家族には話を通して、しばらく帰れないかもしれないと伝えておいた。手紙には、数日分の着替えを持ってくるように書かれていたからだ。それを聞いて、リカはまた不機嫌だったが、そもそも俺の話を聞いて機嫌がよかったことはないので、それもいつものことだった。
待ち合わせは学校で、校長先生が立ち会うとのことだった。待ち合わせ時刻よりも前に着くと、すでに校長先生は俺を待っていたようだった。
「お待たせしました」
「よく来てくれた」
今の校長先生と直接話をするのはこれが初めてだ。集会の時に演説しているのを遠くから見たり、逆に校長先生が俺の授業を見学に来たりということはあったのだが、近くに来てお互いに声を交わすということはこれまでなかったのだ。
ちなみに、今の校長に代わる前の昔の校長先生とは話したことがある。俺が全教科満点を取ってカンニング疑惑が持ち上がった時に、一度呼び出されたのだ。でも、それもその時限りで、それ以降も特になろうのテンプレにあるような個人的な付き合いが発生したわけではなかった。
「この後しばらくすると魔動車が来るので、それに乗ってもらいたい。ただし、行先は聞かないこと、これから見ること聞くことはすべて口外しないこと。いいかね?」
「分かっています」
魔動車とは魔石の魔力で動く自動車のようなものだが、見た目は馬のいない馬車といった風貌で、先頭に御者が乗って操縦する。魔動車自体が高価なうえに魔石の消費が大量なので、高位貴族と裕福な貴族しか所有していない。
つまり、魔動車が迎えに来るという時点で、ただの貴族ではなく、かなりの大物であることが推察されるのだ。
まあ、そんな頭を働かせずとも、俺の場合は依頼人が誰なのかすぐに分かるし、すでに知っていてここまで来ているわけなのだが。もちろん、そんなことをおくびにも出して面倒なことになったら嫌なので、知っていることも一切口にする気はない。
「いらっしゃった」
校長先生が言うや否や、独特の音を立てて魔動車が入ってきて俺たちの前に停まった。自動的にドアが開き、校長先生に促されて乗り込むと、またドアが自動的に閉まって魔動車は再び動き始めた。
魔動車の中は無人だった。前世で一般的な自家用車とは違って、御者は外に乗って客室は向かい合わせに座るようにレイアウトされていた。いわゆるリムジンというやつとよく似ているのではないかと思う。前世でも乗ったことはないけれど。
窓は目隠しされていて、どこを走っているのか分からなかった。「千里眼」を使えばすぐに分かるが、特に興味はなかったのでわざわざ使うことはなかった。それよりも、これから向かうところで、初めて会う高位貴族とうまくできるのかという心配の方があった。
これから俺が会いに行く相手、つまり、今回の依頼人は、「千里眼」で確認したらビュープレット次期公爵だと示されている。公爵といえば、この国では王家に次ぐ最上位の貴族だ。
この国の貴族の階級は、大まかな分類で、王家、公爵、伯爵、子爵と分かれている。公爵というのはこの国の貴族の最高位で、建国初期からの重臣であり、王家と深い姻戚関係にある。そして、ビュープレット家一家しか存在しないのだ。
現公爵は、現宰相閣下でもあり、名実ともにこの国の国王に次ぐトップである。次期公爵も若手ながら国の要職についていて、そんな方に俺みたいな貧乏騎士の息子で落ちこぼれ学生が会いに行くのだから、そもそも場違いにもほどがあるのだ。
向こうの身分は隠されて教えられていないので、無作法に目を瞑るというつもりがあるのではないかと思うけれど、それにしたってものには限度があるというものだ。どのあたりに限度があるのかくらいは教えてほしいものだけど、残念ながらそんなことを教えてくれる人はいなかった。
一応、正しい礼儀作法については「全知書庫」に頼ればリアルタイムで教えてくれるので、それで何とか取り繕ってやってのけるつもりではいるけれど。
そんなことを考えているうちに魔動車が止まり、ドアが自動的に開いた。降りてよいのかと少し戸惑っていると、身なりの整った初老の人物がドアの向こうに現れて、恭しくお辞儀をした。
「レン=ルーパイン様。よくいらっしゃいました」
「騎士ヤン=ルーパインの息子、レン=ルーパインであります。本日はお招きいただき、ありがとうございました」
本来ならこちらが先にあいさつしなければいけないところを、向こうに先を越されてしまった。公爵家の使用人ともなると、貴族の縁者も含まれる。騎士家当主ならばいざ知らず、まだ騎士学校の学生の身分では、こちらの方が使用人より目下であることもあり得るのだ。
正解が分かっていると言っても、実際に行動するのは自分なので、タイミングを取り損ねると正しくできないこともある。ここからは油断しないように行かないと。
「こちらへどうぞ」
魔動車を降りると、横合いからさっと手が伸びて、着替えなどの入ったカバンを取られてしまった。こちらにはあいさつをする必要なく、素直にカバンを渡しておけばいい。
初老の使用人の後をついて立派な屋敷の中に入ると、俺は部屋の一室へと通された。そこには中央にテーブルが1つだけ置いてあり、椅子はなく、テーブルの上に箱が1つ置かれているだけだった。
「ルーパイン様。依頼といいますのは、あちらにある箱の中身のパズルを解いていただくことになります。よろしいでしょうか?」
「拝見させていただきます」
俺は恐る恐るテーブルに近づいて、箱を手に取った。何せ、テーブルも箱も、あからさまに高級品なのだ。しかもぴかぴかに磨き上げられている。俺なんかの手で触ったら指紋がついてしまってけがれてしまいそうで、箱に手で触れるのすらおっかなびっくりだった。
箱のふたを取ると中にはジグソーパズルが入っていた。
「これは……?」
「はい。それがパズルでございます」
これだけの大掛かりな手間をかけて招待しておいて、このジグソーパズルを解くだけというのは、大山鳴動して鼠一匹で拍子抜けだと思ったが、もしかしてこのジグソーパズルに何か仕掛けがあるかもしれない。とにかくさっさとやってしまってそれから考えようと箱の中のピースを1つ手に取った。
ジグソーパズルを解くことは、俺にとっては何の労苦も必要としない作業だ。何せ、ピースを手に取れば、完成図のどこのピースなのかが即座に視覚化されるのだから、俺はただ正解に重ねるようにピースを置いていくだけでよいのだ。
普通のやり方だと、ジグソーパズルのピースを角や辺、さらには模様のパターンなどで分類して、分かりやすいところから固めてピースを合わせていくのだが、俺の場合はただランダムにピースを手に取ってランダムにおいていくだけで、ものすごい速度で自然にパズルが完成していくことになる。
この異様なパズルの解き方に、近くで見守っていた初老の使用人は、最初不審な表情をしていたのが、途中から驚愕の表情になり、テーブルの近くに歩み寄って手元を覗き込むように見つめてきた。
俺はその慌てた様子に内心同情しつつ、一瞬も手を止めることなくわずか数分で箱に一杯に入っていたピースをすべて並べ終えた。1ピース当たりにかけた時間は1秒もない。最後の方は腕の方が疲れて少し痺れてしまった。何せ、数分間休みなく腕を振り続けたことになるのだ。
「終わりました」
「こ、このまま、少しお待ちください」
完成したパズルを見せると、初老の使用人は慌てた様子でそれだけ言い残して、慌てて部屋を出て行った。
待つといっても、椅子も何もないこの部屋で何をして待てというのかと思ったけれど、公爵家で待てと言われたら直立不動で待つべきかもしれないと思い直し、とりあえずテーブルの前に立ったままじっと待つことにした。
ちなみに、俺の前に置かれたこのテーブル、値段を見てみたら200万₲だった。トールの壊した実戦用宝玉より高い。
と、部屋の外からバタバタという音が近づいてくるのが聞こえた。何事かと思ったら、部屋のドアが勢いよくバッと開かれ、恰幅の良い男性が大股で入ってきた。
「お初にお目にかかります。騎士ヤン=ルーパインの息子、レン=ルーパインであります。本日は……」
「そのパズルを解いたのはお前か!?」
「は、はい。その通りでございます」
この男性こそが、ビュープレット家次期当主で次期公爵のビュープレット子爵だ。御年52歳。単に血筋が良いだけでなく、実力も伴った若手貴族としても有名である。ちなみに、52歳で若手というあたりで、貴族の平均年齢というものを推察してほしい。
しかし、目の前の子爵様はその評判と肩書に疑問を感じるほどに慌てふためいている様子だった。
「どうやって解いた? 言え、どうやったのだ?」
子爵は恐ろしい剣幕で俺に詰め寄って問い詰めてきた。
「えっと、あの、……普通に……?」
勢いに押された俺は、どう答えたらいいものか分からず、全く回答になっていない返事をしてしまった。