公爵令嬢の危機(1)
あのデートの日以降、ユキは登校時に毎日あいさつしてくれるようになった。これまでは登校時に姿を見ることすらほとんどなかったけれど、ユキは登校時間帯を変えたのだろうか? しかし、学校では相変わらずよそよそしい関係のままだ。……、強いて言えば、時々目が合うようになった気がするかもしれない。
今回のデートの影の功労者だと勝手に思っているメモを書いた妹のリカには、街歩き雑誌に乗っていた人気店で高級プリンを買ってきて持って行った。
前回の反省を生かして、今回はまずドアを開けずにノックして声を掛けて待つ。
「リカ、ちょっといいか?」
部屋の中からバタバタと音がした後で、ゆっくりとドアが薄く開いた。
「何?」
今日もリカは余所行きの服を着ていた。こんな時間からどこに出かけるつもりなのだろうか。
今日の服は前とは違う服だったのだが、うちは貧乏騎士でお小遣いもそんなに多くはないはずなのに、どうやって服を買っているのだろうかとちょっと思った。
「この間のデートでお前がくれた雑誌のおかげで助かったからさ、これ、やるよ」
「何、これ?」
俺はリカの質問に返事をせず、黙って袋ごと押し付けた。
「じゃ、俺は戻るから」
そして、リカの反応を待たずに自分の部屋に戻った。なので、リカがプリンを気に入ったかどうかは分からない。割と高いプリンで、デート代と含めてこれで俺の今月のお小遣いは空っぽになってしまったので、できれば気に入ってくれればいいのだけど。
「こんなのが欲しくてやったんじゃないのに、お兄ちゃんのバカ」
俺がいなくなった後、リカは袋の中身を見ると、袋を胸に抱いてドアにもたれかかり、頬を赤らめてにやにや笑みを浮かべながら呟いていた。
そんなことはあったものの、全体として俺の生活に大きな変化はなかった。相変わらず実技の成績は地を這っていて、座学の成績は満点を取ってはクラスで笑われている。怪我が治った後は試合も行ったが、最善手で防御し続けて負けるということを繰り返していた。リカの俺を蔑む目つきも変わっていない。
トーマは実戦用宝玉を使ったことでしばらく謹慎していたが、戻ってきてからは全然反省した様子もなく、以前と変わらぬ平常運転だ。むしろ、機嫌が悪いせいで当たりが強くなったくらいで、何かが改善したような雰囲気は全くない。
まあ、結局、人生なんてこんなものだよなと思い始めたころ、突然、担任のモモ先生から呼び出された。
「レン君、怪我の様子はどうですか?」
小さなモモ先生が椅子に座っているとさらに姿勢が低くなる。その隣に背が高い俺が立つと、モモ先生をほとんど真上から覗き込むような態勢になり、身長に不釣り合いな胸の谷間が緩めの胸元からばっちりと見えてしまって、全く目のやり場に困ってしまう。
「だ、大丈夫です」
「レン君、人と話すときは目を見て話しなさい」
そんなことを言っても、モモ先生の目を見たら、その手前のものもどうやっても見えてしまうんですが……。
「はぁ。先生だからいいですけど、他の人にそういう態度をとっていたら、損をするのはレン君なんですからね」
いや、先生だからこそ見れないんですよ。先生こそ分かってください。
「こんなことを言うのはですね、レン君のことを見込んでお願いしたいことがあるという人がいるからなんですよ」
「どういうことですか?」
モモ先生は返事をする代わりに封筒に入れた手紙を渡してきた。裏返してみても差出人の名前はなかった。
「これは?」
「実は先生も詳しいことは聞いていないんです。校長先生から手紙を預かっただけですので。でも、さる高貴なお方からの直々の依頼とか」
高貴なお方、ということは貴族様ということか。でも、一体、学校でも有名な落ちこぼれの俺に何をさせようと言うんだろうか。
「いいですか、レン君。どういう内容かはわかりませんが、くれぐれも粗相のないようにしてくださいね。いいですね。レン君の身を案じて言っているんですからね」
貴族様の相手ということで、モモ先生はとても心配しているみたいだ。それも無理はない。この世界は身分が上の人の機嫌を損ねれば、どれだけ能力があっても出世することはできないからだ。まあ、前世でも出世に偉い人の覚えが影響する点では、多かれ少なかれ似たようなものではあったが。
ちなみに、前世にあったファンタジーで時々見かけたような、貴族様に無礼を働けば即座に殺されたり投獄されたりしてしまうというほどこの世界は人権無視の殺伐とした世界ではないので、その点は心配しなくてもいい。もちろん、法律上にも、不敬罪というようなものは存在していない。
と言っても、トーマのようなただの男爵家ではない本物の貴族様が相手だと、その気になれば法律を無視していろいろと怖いことができるらしいので、機嫌を損ねないに越したことはないというのは間違いない。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
そう言ってモモ先生の下を辞し、人気のないところで手紙を開いてみた。
手紙には封筒だけでなく本文にも差出人の名前はなかった。それどころか、紋章や印章などといった差出人を示す類のものは何一つ記されていなかった。その時点で怪しさ満点なのだが、あるいは外部に漏れてはまずいほどのやんごとない相手なのだろうか。
手紙の内容は「貴殿の類稀なる知能を見込んでパズルを解いてほしい。報酬は望みの物を出す」というようなものだった。どんなパズルなのか、どうしてパズルを解かなければいけないのか、報酬は具体的には何なのか、と言った点は一切記されていなかった。
怪しすぎる。
それが手紙を読んだ直後の感想だった。普通に考えて、こんな手紙を受け取っても一顧だにしないでゴミ箱に捨てて終わりだろう。でも、この手紙はモモ先生が校長先生から預かった貴族様からの手紙であることを考えると、却下するということはためらわれた。
貴族様が相手ならば、却下するにしても何か相応の理由をつけて返答しなければ失礼になってしまう。モモ先生や校長先生の顔も潰すことになるだろう。
この依頼を受けるべきか、断るべきか?
こういう種類の問題の立て方をすると、俺の「全知書庫」は答えてくれない。個人の価値判断に「全知書庫」は踏み込まないからだ。
この依頼は安全か?
この問題の立て方もダメだ。なぜなら、「安全」という言葉の意味が曖昧だからだ。「安全」という言葉の意味をはっきりさせないと答えが得られない。
この依頼を達成することは可能か?
この問いには、「全知書庫」ははっきりとYESと出た。
この依頼を達成した後で、依頼人は満足するか?
これもYESだ。「満足」とは価値判断ではなく具体的な状態なので、「全知書庫」で回答を得られるのだ。
依頼を達成することができて、依頼人が満足するということなら、依頼を受けてもいいのじゃないだろうか。おそらく、悪いことにはならないだろう。
そう思った俺は、一度家に帰って準備をしてから、手紙で指定された待ち合わせ場所へと赴いた。