とにかく人に出会いたい:1
「さ、さむい」
大きなくしゃみをした拍子に覚醒した。
寒さに震えながらうつ伏せの体勢から起き上がる。
「どこだここ」
苔むした固く黒い土、見慣れない形の葉をした草が生い茂り、見上げれば木漏れ日すら許さないほどに鬱蒼とした樹木。
空気はひんやりと湿気っており、ざわざわと葉擦れの音が聞こえる。
「なんで森の中にいんの、俺」
呆然と呟く。
「これもまだ夢なのか」
背筋にぞーっと怖気が走った。
あの輪郭すら定かではない闇のなか、意識が遠のきながらようやく目が醒めるのかと思ったのに。
呼吸もしてる、寒さも感じてる、いま覚醒したという自覚もあったのに、自分のベッドの上ではなく森のなかに倒れているだなんて。
「俺ってばどんだけリアルな夢みてんの。ある意味で才能ではないのか」
冗談混じりに言ってはみたが、明晰夢をみる才能ってなんだ。まったく笑えない。
腕をゴシゴシさすりながら自分の恰好を確認していく。
ドロドロに汚れたスーツ、靴下だけの両足、手荷物もない、ポケットにもなにも入ってない。
「さ、財布は。スマホは」
ーー俺すっかんぴんなのね、いま!?
あるわけがない、これは夢なんだから。
でも俺の夢なのに、なんでこんなに俺に優しくないんだろう。
俺の夢ならさ、もうちょっとこう、宝くじに当選してる場面とか、社内で一番美人って言われてる斎藤さんが照れながらお茶汲みしてくれるとか、憎きハゲ部長の前で社長に表彰されるとか、気分が晴れるようなもの見せてくれてもいいのにね。
現状、靴下は湿気を吸ってびっちゃり濡れてしまってるし、スーツの泥も叩いたって落としきれない。
そもそも手が泥だらけっていう時点で清潔に慣れきった現代日本人には厳しいだろ。
元から高くないテンションはガクッと落ちた。
しょうがない、と諦めて手をシャツの腹部分で拭う。
「とりあえず、あのドラゴンに食われた夢のつづきってことでいいんだよな」
それなら無一文にも裸足なのも納得がいく。スマホもバッグも革靴も、ぜんぶ吹っ飛んでいったのだから。
そんなところまで忠実に再現しなくても、とは思うけど。
それにさっきの夢のつづきなら確認しなければならないこともある。
再構築されたらしい、この体に与えられた文字化けギフトの正体だ。
王道はやはり超人的な身体能力だったり、特別な魔法属性の付与だろう。
「おっしゃ! それなら!」
とりあえずジャンプしてみた。
「いっっったい!!」
足の裏が尖った小石を踏んだだけだった。
マンガのように木の幹に飛び乗るなんて絶対無理な、標準的なジャンプだった。
ひーひー言いながら足裏をさする。
「岩を持ちあげる!」
近くにあった岩に抱きついて力を入れてみる。
「ふんっっぬ〜〜!!」
微動だにしない。
ひそかに期待した、岩を粉砕するなんてのも絶対無理な、標準的な膂力だった。
スーツがさらに汚れて泣いた。
「ま、魔法をつかえるとか」
そもそも魔法とは一体どうやって扱うんだ?
手のひらに気を集める?
腹の底に力をためる?
全身に巡る熱を意識する?
ひたすら気合い?
「いやそれこそ絶対無理だわ」
どんなファンタジー小説でも魔法は誰かに師事してもらっていたじゃないか。
夢の中ならと期待してみたけど、俺に厳しい俺の夢じゃやっぱり無理らしい。
がっかり項垂れた。
「でも、新しい体っていわれてもピンとこないよな」
確認したかんじ、シュッとした超絶スタイルのいい男になったわけでもないし、古い傷跡なんかもそのまま残っているようだし。
手を伸ばしたり跳ねてみたりしても違和感はない。
「なんなんだろうなー」
手を組んでぐーっと背伸びをして仰け反る。
「ひえっ」
息を飲んだ。
顔を仰向けた先、わずかな日光も厳しいほど重なりあった葉々に隠れた幹の上、無数の光る瞳がこっちを見つめていた。
視線はそのままに、伸ばした腕をそろり、と戻す。
頭のなかはパニックだ。
激しく脈打つ心臓、滲み出てくる冷や汗、あいつらから目をそらしたらダメだと本能が警鐘を鳴らしている。
ーー逃げなきゃ。
それでも体は思考に従順だった。
ひたすら前に、転げるように走りだす。
靴下だけの足の裏が木の枝や足を踏んで痛むのも我慢して走った。
後ろからは幹がしなる音がしていて、さっきの瞳の持ち主たちが木々の上を渡って追いかけてきているのだとわかる。
ーー足の裏痛え! 追ってくんなよ!
なるべく平坦な場所を選ぶつもりで走っても、太い根や草むらや岩のせいで全然まっすぐ走れない。
すぐに息が切れた。
突き出した枝にスーツが引っ張られ、肌が掻かれる。
ギャギャギャと猿のような鳴き声が、背後から左右から聞こえてくる。
ときおり木の実が投げつけられ、体に当たるとより鳴き声が大きくなる。
ーーこれ、追いつめられてないか。
ドキュメンタリー番組で見たライオンの狩りを思い出す。
数頭で後ろから追いかけ、左右に散って逃げ道を狭めて獲物の方から捕獲者の元に飛び込んでくるように仕掛けるのだ。
ーーだとしたらこの先は。
「ぅおっ」
木の根に足を掛けたら滑って転んでしまった。
それでも立ち上がろうと膝を立てると、足の裏から頭の先を貫くような痛みが走る。
靴下の底はすでに破け、足は血みどろ、振り返ると血色の足跡が残っている。
見てしまったらもう、立てなかった。
頭上から猿に似た鳴き声が騒音となって聞こえてくる。
見上げる勇気はなかった、ただ恐怖と痛みで体がガクガク震えている。
しゃくりあげながら太い根にしがみつく。
噛み合わない歯隙間から絞り出すようにたすけて、しにたくないとばかり繰り返す。
降ってくる硬い木の実から身を守るために縮こまる。
ーーあそばれてる。
木の枝を揺すってわざと大きな音を立てるのも、声をあげて威嚇をするのも、木の実を投げつけてくるもの、俺の反応をおもしろがってるんだ。
頭を抱えてひたすら耐える。
どれだけそうしてたのか、不意にすべての攻撃が止んだ。
鳴き声もしない、叩きつけられる木の実もない。
息を詰めて頭をあげた。
やけに腕の長い黒い猿のような生き物だった。
姿を確認できるほどに近い枝の上に群れて、金色の三つ目で俺を捉えていた。
ひときわ体躯の大きな奴が、まるで嗤うように歯をむき出して声をあげた。
「ギャギャギャーーー!!」
それを合図に、奴らは牙を剥いて、俺めがけ一斉に飛びかかってきた。
「ああああああああ!!!!」
錯乱した俺が振り回した腕は掴まれ、指先が食いちぎられる。
暴れる足は服の上から牙をたてられ、髪を引っ張られて露わになった首元に噛みつかれた。
今までに感じたことのない激しく鋭い痛みで全身を貫かれながら、視界が毒々しい光で明滅する。
見開いた目玉めがけて毛むくじゃらの複数の手が伸びてきたのを最期に、意識はブツンと途絶えた。
▼あなたの死亡を確認しました。
◼️◼️◼️を発動します。