民主の長
開始。
プルルルル。
『はい』
『ああ、もしもし』
『やあやあ檜木君。ようやく繋がってくれたか。僕はてっきり君がメアリの掌中に落ちたのではないかと心配してしまったよ』
『……はい? ちょっと言ってる意味が良く分かりません。何が言いたいんですか?」
『ああ、ではもう少しだけ簡潔に話そうか。昨日話した反メアリ派についての説明は要らないよね?」
反メアリ派……詳細な説明は覚えていないものの、メアリにとって都合の良い悪役だという部分は明確に記憶している。敢えて幼稚で単純な行動をとる事により、メアリの英雄性を高めるとか何とかかんとか……
『概要くらいは』
『それで十分だ。その反メアリ派だが、つい先程鎮圧された。元々が傍迷惑なマッチポンプだから厳密には暴走すらしてないんだが―――それを鎮圧したのはメアリでね。彼女はその功績を称えられて、彼女は今日から市長になった」
は?
つかささんの説明は分かりやすかったが、理解のしやすさと理解したいかしたくないかはまた別の問題だ。今月は夏休みで、昨日を凌いだ以上もう俺に地獄は訪れない。夏休み中は空花も滞在してくれるらしいし、三人で仲良く山の中で過ごそうとしていたのに……全ての計画が一瞬にして破綻した。
「つかさ先生ッ! どういう事ですかアイツが市長って! 頭おかしいんじゃないんですか!?」
「きゃあッ!」
ドアを蹴破る勢いで飛び込むと、最初に出会ったのはつかささんではなく助手の幸音さんだった。普段からは想像もつかない剣幕に押され、彼女は瞬く間に医院の奥へと逃げ去ってしまった。気持ちの切り替えは早かったと思うが、彼女の逃げ足に比べればあまりにも遅すぎる。
五分後、奥から気怠そうな声をあげながら彼が姿を現した。
「困るんだよ、幸音君を怖がらせるなんて。何考えてるんだい」
「そりゃこっちの台詞ですよ! どうしてアイツが市長になってるんですか! 昨日まで隣町に居たのに!」
その場に居ない奴を立候補させ、あまつさえ当選だなんて馬鹿げてる。彼の首を掴む勢いで尋ねるも、つかささんは薄ら笑いを浮かべながら鷹揚に手を広げた。
「……君が怒鳴るのもむべなるかな、酷い選択だと僕も思うよ。しかしだね、僕に言われても困るんだよ。何故なら梧つかさは犯罪者であり、選挙権なんてあっても使えない立場にある。仮にこれら二つの問題が解決されても、僕の一票で運命が変わると思うか?」
この国は殆どの場合において多数決が採用されている。その方が手っ取り早いし、何より多数の何かが集まるという事は、そこにそれだけの原因があるという事でもある。選挙で言えば、それだけ信頼・期待されている様なものだ。
だからつかささんに突っかかっても仕方ない。仕方ないのだが…………ああ、そうだ。八つ当たりだ。アイツは本体が関わらなくても俺の生活をぶち壊しにしやがった。それに腹が立って仕方がない。やはりアイツも、アイツを許容する社会も、アイツを肯定する奴も全員クソだ。ふざけやがって。何が民主主義だ。アイツが市長になったら独裁者そのものじゃないか。
他の独裁者と違うのは、俺みたいな特殊な事情を持った奴でも居ない限り決して反逆されないという点か。不満を持つ奴なんて一人も居ない。全員が全員、彼女の意見に賛同する。朱に交われば赤くなるどころの話ではない。普段が十人十色でも、メアリの前では単なる統一色。覆しようのない盤石の派閥が完成してしまう。
「…………済みません。先生に八つ当たりしても仕方ないですよね」
「そうそう。僕に八つ当たりしても仕方がない。ああ幸音君、コーヒーを二つ! ―――例によって普段からお客は来ないから、ゆっくりしていきなよ。幸いにして僕と君は知人程度の関係性がある。丁重におもてなしするよ」
「……有難うございます」
「まあ座って。君からも話を聞かせてくれたまえ。僕から言わせると君のその表情は―――何か収穫があったと見た。それを聞かせるんだ」
診察室に移動するのかと思いきや、「面倒だから」と俺達は待合室のソファに座った。つかささんは白衣を脱ぐと、綺麗に畳んで後ろの方へ。遅れて入ってきた幸音さんがコーヒーと引き換えに白衣を回収。俺にお辞儀をして足早に下がっていく。
「収穫、ですか」
「何でもいい。話す事が大事だ。もし僕の見立てがまるっきり間違っていてストレスしかたまらなかったと言うならそれでも構わない。白衣を脱いだ以上、今は営業時間外。お金は取ったりしないよ」
「……はあ。まあ収穫って程の事かは分かりませんけど」
コーヒーを一口啜ってから、俺は昨日の内に起きた出来事、事実を無差別に話した。人に説明をするのはどうも苦手で、所々詰まったりもしたが、流石は精神分析も行える医者と言った所だろうか。かなり下手くそな説明だと自分でも思ったが、彼は遂に一度も聞き返してこなかった。
「…………ふむ。自らを呪う事でメアリの力を回避している……か」
「非現実的過ぎますよね? ……信じられますか? 先生的には」
「……現実的か非現実的かの二元論で何でもかんでも区別したがる馬鹿も居るがね。現実なんて飽くまで事象に対しての一見解にしか過ぎないんだ。分析は一方向からじゃ出来ない。多角的な視点から切り込み、総合して結論を出す必要がある。何より現実と非現実なんて我々にどう見分けられるんだ。非現実世界に行った事があるとでも言うのかね。どちらにも行った事が無い奴が、どうして見分けられるんだ…………実際問題、メアリの力は非現実的だが、彼女が市長になってしまった以上これが現実だ。市長は現実にある肩書だし、現実的に権力もある。その力に対抗出来ているのは事実なんだから、信じるしかあるまいよ」
つかささんは一気にコーヒーを呷り、勢いよく机に叩きつけた。
「ただ、医者としては到底看過できない理屈だ。是非その子を連れてきたまえ。解剖するから」
「駄目ですよ!」
「君なら言うと思った…………さて、僕の中にあった仮説が君のせいで弾けてしまった気がするなあ。これはまた一から組み直す必要がありそうだ」
「仮説ですか?」
「今はまだ言えないよ」
…………。
「言いたかっただけですよね?」
「おや、バレたか。そう、実はこの台詞、一度は言ってみたかったんだッ」
俺の知る限りその台詞を言う時は決まって真実を伝える前に死ぬし、言ったとしても何故か暈すのがセオリーだ。しかも後々になって見返すと、言わない方が良かった道理が見つからなかったりする。
一度は言ってみたかったと自白した所を見るに、つかささんもそれはネタとして承知している筈だが、一向に口を開く様子は無かった。
「……え、言わないんですか?」
「言わないよ。今はまだ言えないと言ったじゃないか。だから言わない」
「いやいやいや。言ってくださいよ。そんなもったいぶらずに。悪意があって事態を複雑化させたいなら話は分かりますけど!」
「事態を複雑化……まあ、普通の事件ならそうなるだろうねえ。七並べでカードの流れを止める様なものだ。だが君はともかく僕はやり直しが効かない。徹底してメアリとの接触を避けているのに、もしこの仮説が間違っていたらどうする。君はともかく僕は晴れて君の敵だ。信者共の仲間入りを果たすだろう。君だって数少ない協力者をそんな下らない事で失くしたくは無いだろう?」
そう返されると、俺は何も言えない。数少ない協力者なのは事実だし、その仮説とやらが合っている保証も出来ない。言わない方が良い道理が目の前で発見されてしまった。『言った方がリスクの高い場合』だ。
「ああ所で…………君の話に出てきた清華っていうのは」
「―――妹ですけど? 今は理屈上、絶縁中ですけど」
「――――――ああ、そうだよね。うん。そうか。分かった、うん」
つかささんは深くそれきり深く考え込んでしまった。ふと視線を感じたので何となくそちらを見遣ると、半分だけ開いた扉からこちらの様子を窺っていた幸音さんが、慰める様な視線で俺を見つめていた。
で落ち感ある。




