自縛少女と水鏡
「いや、おはよじゃねえよ! 何でここに居るんだ!」
「んー………………」
念のために言っておくと、襲った事実は無い。体つきはどう考えても中学生ではないが、中学生は中学生だ。襲っている筈がない。俺の倫理と道徳に懸けて。もし襲っているとしたらそれは命様だ。一〇〇パーセント安心して良いのに、変に言葉を伸ばして悩む空花を見ていると、妙な不安が沸き上がってくる。
「おにーさん」
「何だよ!」
「顔洗ってきていい? 眠い」
「あッ―――どうぞ」
不自然な敬語が追及される事はなく、許可を得た空花は洗面所の方へと行ってしまった。あの元気だった彼女が寝起きだと非常に低いテンションなのが意外だ。まあ寝起きからハイテンションでもこちらが合わせられなくて辛いが…………いや、気にしない方が良いだろう。寝起き特有の上擦った声に色気を感じたなんて間違っても言葉に出しちゃいけない。相手は中学生だ。
彼女が戻ってくるまでの間に軽く瞑想する。極短時間の瞑想など効果のたかが知れているが、しないよりはマシだ。不純になりたくない。
「おっまた~せ」
洗面所から出てきた時、空花はいつもの調子に戻っていた。
「改めて聞くぞ。何でここに居るんだ?」
しかも水着姿。パーカーを上に着ているが、谷間付近でチャックが止まっているので毒性は全く薄まっていない。下もズボンや短パンではなく、ミニスカートだ。それも太腿の中間くらいまでしか隠れていないくらい短い奴。こんなスケベな奴が隣に寝ていたかと思うと、熟睡していて良かったとさえ思えてくる。変に寝付きが悪かったらきっと何かしていただろう。命様だと思って遠慮なく。
「んーとね。私、昨日おにーさんを待ってたんだけど~。おにーさん来なくてー」
「本人の前でそれ言うか? ごめん……見りゃわかるだろうけど、寝ちまった」
「あーいいよいいよ。全然気にしてないから。で、待ってたんだけど、そしたら変な人に声を掛けられてね、どうしてここに居るのって聞かれたから待ち合わせしてるって言ったら、おにーさんの名前が出てきたからそうだよって言ったらここに連れてこられたの。おにーさんの妹なんだってね?」
「お主が眠った後に、お主の妹が再度ここを訪れた。空花と共にな。そして妾に言ったのじゃ―――」
話を要約すると、こういう事らしい。
空花をたまたま見つけたらしい清華が俺の部屋に侵入。命様から俺と彼女がどうして待ち合わせしていたのか理由を尋ね、そこから俺がしようとしていた事を完璧に当てたそうだ。因みに俺のしたかった事とは―――空花に首飾りを渡し、命様を認識させる事。神様の存在さえ認めさせれば信者になってくれるだろうと考えたのだ。これなら視えない人間も誘える。
理屈は単純で、空花の身に付けているその勾玉は命様のご神体の一部だ。如何に視えない人間と言えども、ご神体を身に付けて気の波長を合わせれば認識出来る。分かりやすく霊で例えると、悪霊と波長の合う人間は霊的被害に遭いやすいし、逆に悉く波長の外れる人間は全く幽霊を視えない。波長は不可視の存在と対峙する上で重要な要素であり、これが全くない奴は絶対に不可視の存在が視えない。メアリの事だ。
それにしても『妹だったから兄の考えが読めるのは当然』とは本人の談らしいが、凄く複雑な気分だ。何故今まで視えていなかった彼女が急に視える様になったのかは不明だが―――また一つ、お礼を言わなければいけなくなってしまった。
「で、空花は命様が直接誘ったんですか? 妾の信者にならぬかって」
「そーそー。変な宗教にハマるなんて私の家が何て反応するか不安だったけど仕方ないよねー。命ちゃん可愛いんだもん」
「……命ちゃん?」
「妾が許した呼び名じゃ。お主の気持ちは嬉しいが、そう気を荒立てるでないぞ」
「怒りはしませんけど…………命ちゃん……ですか」
この感情は言語化出来る。嫉妬だ。俺の方が長い付き合いなのに、ちゃん付けなんて距離感が近すぎる。同性故の距離感なのだろうか。異性の俺には一ミリも理解出来ない。
「―――まあ、大体事情は分かりました。つまり清華のお蔭って事ですね…………そうですか」
妹だったから当然、か。あれだけ俺と縁を切る事を恐れていた彼女が、そんな冷めた発言をする様になったか。やはり清華は何かがおかしくなっている。命様が視えている事と言い、俺に対しての献身と言い、何の狙いがあってやっているのだろう。昨夜は許さなくていいとも言っていたし、いよいよ目的が分からない。少し怖い。
「それで命様は、あれを確認したんですか? ほら、あれですよあれ」
「あれとな? その様に主語の抜け落ちた言葉を言われても思い出せぬぞ」
「そこ! そこですよそこ、なんで俺の台詞パクッてる……って覚えてるじゃないですか! じゃあ説明しませんよ!」
「ククク。ああ、その事じゃがのう、創太。面白い事が判明したぞ。空花がメアリの影響を受けぬ理由……空花。今一度教えてやるが良い」
「はーい。んーとね。お兄さんには信じられない事かもしれないけど。私の家ね、ちょっとおかしな家なの。幽霊とか怪異とかそういう一般的には嘘っぱちって思われてる存在を相手に駆除とかしたりする家なんだー……ここまでだいじょーぶ?」
ああ、と首肯する。霊も神様も怪異も視えている。自分の目で視た物しか信じないという論は俺に限っては理に適った論と言える。この瞳は確かに在るモノを認識出来る。本当に存在しない奴は視えないのだ。
「ん。それでねー、そういうのを相手してると、普通は心が病んじゃうんだよねー。疲弊してる間に付け込まれるっていうのかな。霊能力者で商売してる人は本当に危ない場所に行きたがらないでしょ? あれってそういう事なんだよ。憑りつかれたりしたらタダじゃすまないもんね。だから私の家では、絶対にそういう事が起きない様に、自分で自分を呪うんだ。多分碧姉以外は……って言っても分からないか。今のは無しね。話がズレそう」
自分で自分を……呪う?
その手の話については素人だが、果たしてそんな事が可能なのだろうか。俺の認識では、呪いというのは相手が居ないと成立しないと思い込んでいたのだが。藁人形なんか最たる例だ。
「自分で自分を呪ってるから、メアリの影響を受けないって事か?」
「私にも分からないけど、命ちゃんが言うにはそうらしいね」
「それ以外に原因は考えられぬであろう。他の者と空花を比較した時、残る特徴はこれだけじゃ。それともお主には別な考察があるのか?」
考察という程ではないが、妙に引っかかる。
つかささんはメアリの力を蓄積と言っていた。それ自体が矛盾なのだ。飽くまで素人の考えだが、呪いというものは蓄積ではないだろう。一定の手順を踏むという前提があるのに、即効性がないのは如何なものだろうか。
呪いを受けた人間は日に日に衰弱していく(呪いを受けた事も受けた人間も見た訳ではないので信憑性は薄い)らしいが、それも呪いが即効的に通用した結果、段階的に衰弱しているというだけで、呪いそのものの即効性を否定している訳ではない。
そもそも神様嫌いのつかささんがそういうオカルト方面で考察を重ねるとは思えない。彼の存在そのものが二つの考察を矛盾させている。
「―――ま、今はそんな事どうでも良いがの!」
俺が考え込まんと思考に没頭しようとした直後、今までの流れを全否定して命様がにへらと笑った。テンションの切り替えについていけず、俺は何度か目を瞬かせる。
「ど、どうでも良いですか?」
「ああ、どうでもよい! 何せ二人目の信者がようやく来たのじゃからな! これで妾も本来の姿に一歩近づけたというものじゃ! ククククク♪ お主と契りを結べる日も、そう遠くは無いかもしれぬぞ?」
夫婦の契りは、七日七晩の子作りの末に結ばれる。頭では体力が持たないだろうと思いつつも、その言葉は性欲のお盛んな時期にある俺にとって―――凄くそそられる。
彼女の嬉しそうな表情を眺めているとこちらまで手放しに喜びたくなったが、空花の前で下品な姿を見せるのは先輩としてどうなのだろう。命様と抱き合ってめっちゃくちゃにはしゃぎたかったが、ここはぐっと抑える。
今日から俺と彼女は信者仲間だ。
街を挟んでいるので頻繁には会えないだろうが、それでも仲良くするに越した事はない。つかささん然り、相手がどういう出自であれ、数少ない理解者は全力で保護する。絢乃さんみたいな悲劇は起こしたくない。
命様の言う『契り』の意味が分からず、何故か当人に尋ねようとする(命様はこういう時には恥ずかしがらない)空花の手を引っ張る。
「きゃッ!?」
「あ、悪い。引っ張り過ぎた」
「ッもー。まあおにーさんでもいいかな。ねえ契りって何? どんな約束してるの?」
「それはまた……まあ、おいおい話すよ、うん」
空花の肩越しに命様を一瞥。視線で釘を刺したつもりだったが、彼女は艶やかに笑うばかりで何の返答もよこさない。
…………これは当分、苦労しそうだなあ。
メアリも茜さんも命様も、どうして皆、俺を弄りたがるのだろう。視線を空花へと戻し、俺は少しだけ頭を下げた。
「改めて宜しく。檜木創太だ」
「ん、よろしくー。私は水鏡空花だよ! 自販機の所で助けて貰った時は、まさかオトモダチになるなんて思わなかったなッ。運命感じちゃうかも! ウフフッ♪」
水鏡空花は屈託のない笑みを向けながら、俺の手を両手で優しく握った。
流行り紙みたいに科学√とオカルト√で分かれるのかこれは。
兄の気持ちが理解出来なかった妹がその言葉を言うのは自虐ですねこりは……
曖妹明鏡 終了です。
次回FILE
「秘密狂室」
次回とは言いますが、ほぼ地続きです。




