清華が涙を捨てた理由
妹はどうしたのでしょう。
半壊した旅館など何処からでも侵入出来る。回り込むと、旅館の外壁が完全に崩れ去り、そこから中を覗き込める場所があった。入れはしないものの、内部の様子を探るには十分すぎる覗き穴だ。
「空花?」
彼女は古びた本棚にと一緒に床下に沈んでいた。その姿は上からパーカーを羽織っただけの水着姿であり、何の防御力も無い。すりむいたり、出血していても不思議ではなかったが、運が良いのか悪いのか。俺の声が聞こえると、空花は本棚を横にずらして這い上がってきた。
「おにーさん。こんな所に来たら駄目だよ。立ち入り禁止の札見てないの?」
「そりゃお互い様だろ! お前こそなんでここに居るんだよ」
空花は露骨に目を逸らして、頭を悩ませた。その間、一度も命様の方に視線は向いておらず、彼女の事が見えている訳ではないと分かる。『視る力』は無いらしい。それならどうしてメアリの影響を受けないのだろう。やはり勝手にそう思っていただけで、『視る力』とメアリへの耐性は全くの無関係なのだろうか。
「んーとね。正直に言うとさ。友達と喧嘩したんだよね」
「喧嘩?」
「そ。誰にも見られてないと思ったんだけど、おにーさんに見られちゃってたか。隠れるの上手だね!」
「そんなコソコソする性質じゃないんだが。ていうか見てないし」
「そうなのッ? じゃあこれって偶然? それとも運命?」
「強いて言えば必然だな」
清華から情報を受け取った事で俺はここに来た。裏を返せば情報が無ければそもそもこの旅館の存在さえ知らなかった。ネットで検索しようとさえ起きなかっただろう。俺に廃墟巡りの趣味など無い。全ては必然だ。勝手におかしな運命を紡がないでもらいたい。
「話を戻すが、一体何があって喧嘩したんだ? 友達との約束に彼氏連れて来る空気の読めない友達なのは知ってるが」
「そっちはいいんだけど~。友達の彼氏がね、私を口説いてきたのよ~。『お前の方がおっぱい大きいし、抱き心地良さそう』だって! 最低でしょッ? 彼女の前でその友達口説くなんて普通じゃないよ!」
普通じゃないのは認めるし、その批判には全面的に賛同するが、胸の大きさで彼女に勝てる人間は果たして居るのだろうか。年齢を無制限にすれば居るだろう。だが中学生と絞った場合には…………
居て、一人か二人、だろうか。可能性的に。
個人的にはゼロだと思っている。何せ完璧の象徴たるメアリでさえ、そうはならなかったのだから。
「まあ、そういうのは慣れてるからいいんだけどさ」
「いいのかよ」
「一族の宿命って奴だよね。でも友達の方がさ、何故か私に噛みついてきちゃったの! 『私のレン君を取るなんて許せないー』ってさ。私の口説き方からして身体しか見てないんだから、その子も身体しか見られてないに決まってるのに。それで喧嘩しちゃって、そのまま絶交宣言……友達いなくなっちゃった」
俺に友達が居なくなる気持ちは分からない。正確には、喧嘩別れをする気持ちが分からない。俺に分かる気持ちは、ある日突然友達が殺される気持ちと、ある日突然嫌われてしまう気持ちだけだ。慰められた事が数える程しかない俺には他人の慰め方が分からない。
そもそも慰めようとする事自体烏滸がましいのではないか、とさえ思う。俺と空花にどんな関係がある。只の知人だ。知人如きがそこまで踏み込んだ事をして良いものだろうか。
「…………なんで、ここに来たんだ? 喧嘩とは……全く関係ない様に思えるが」
「うん。関係ないよ。瞑想するのにピッタリかなって思っただけ。ここなら誰も来ないでしょ? おにーさん来ちゃったけどさ」
「帰った方が良いなら、そうするが」
「ああ。いいっていいって。おにーさんが来たのに慌てちゃったせいでお札の位置もズレちゃったし。で、何か用? 用が無きゃ来ないでしょ」
我ながら最悪なタイミングで勧誘しに来てしまった。
感傷的になっている人間を相手に宗教への勧誘など卑怯な気がしてならない。というか卑怯だ。やってる事がガチのカルト宗教ではないか。俺は命様の信者を増やしたいだけであって、偽りの啓示の下に非行や奇行を働かせるつもりは毛頭ない。神が望んでいると理屈をつけて振り回したりもしない。単純に信仰を捧げて欲しいだけだ。たったそれだけ。それ以外は何も望んでいない。
当人が弱っている所に付け込んでも、そこに真の信仰は生まれない。真の信仰とは当人が当人の意思で不足なく一片の曇りもなく神様を信じなければ生まれないものだ。そしてここからは勝手な想像だが、真の信仰なくして命様の力は戻らない。空花が信者になった所で総数は二人。量は絶対的に不足している。ならば質で補うしかない。俺と空花で信仰を捧げるのだ。敬虔なる信徒としての務めを果たすのだ。
そういう地味で、しかし確実な行いこそ、命様の力を取り戻すきっかけになり得る。命様の力が戻ればメアリの存在をこの世から抹消するなど造作も無いだろうし、決して無意味な行いではない。世界が正常に戻れば、きっと何もかもうまくいく筈だ。行く筈なのだが…………
誘う側である筈の俺が、その行為にうさん臭さを感じている。実行には移せそうもない。代わりに一つ名案を思い付いたので、まずはそこから段階的に誘う事に決めた。
「あー…………えっと。実は君に面白い物を見せたいなあって思ってな」
「面白い物? マジックとか?」
「いや。多分視えない人からすれば現実の認識を覆されるもの……だと思う。興味あるか?」
「興味? あるある! で、何? ここで見せてくれるの? それともおにーさんの部屋?」
「俺の部屋は個室だ、勝手に入ってくるな。もし興味があるなら夜にビーチで会わないか? 驚かない奴は居ないと思う。万札賭けてもいい」
「へ~そこまで言うなら本当に面白そうッ。うん、分かった。夜っていつぐらい?」
「十時頃でどうだ」
「オッケー。ふふ……何だか二人で密会してるみたいだね!」
「密会してるんだろ。お互い勘違いされたら困るんだから」
何もかも想定通りとはいかなかったが、無事に約束は取り付けられた。日が暮れる前にビーチに戻らないとメアリに心配されてしまう。
「…………のう、お主は気付いたか?」
「え? そんな主語の抜け落ちた言葉言われてもピンときませんよ」
「違う。気づいておらぬのなら良い。後で本人に確認すればそれで済む話じゃ」
何の事を言っているのか理解出来ぬまま、勝手に置き去りにされてしまった。命様に限った話かは分からないが、最初から諦めるつもりなら話を振るなと俺は言いたい。置き去りにされた気分だけが残ると、どうにもスッキリしないのだ。
「…………あ」
ビーチに戻る道中で、清華を発見。まるで俺を待っていたかのようにガードレールに腰掛けたまま俯いていた。特別気まずくも無いが、縁を切ろうと言い出したのは俺なので、声を掛けづらい。だが妹も、俺に絡もうとしない。
―――何があったんだ、本当に。
「…………助かった」
考えた末に、ようやく絞り出せた一言。あれだけ世界から虐められておきながらつくづく俺もプライドが高い奴だ。もう少し気の利いた事を言えないものだろうか。脳内では思いついているのに、それが全く口から出ない。その一言さえも、全身に力を入れる事で辛うじて吐き出せた言葉だ。
全く素直じゃない。
「いいよ。これくらいの事。さっさと行けば?」
「…………ああ。行くよ。行くけどお前、どうしたんだ? 以前と打って変わって従順というか素直というか。本当にどうしたんだ?」
冷たい。
態度が明らかに変わっている。
それで傷つくくらいなら最初から縁を切ろうとは言わないのだが、もしかして俺は取り返しのつかない事をしてしまったのだろうか。居ても居なくても変わらない俺の大嫌いな家族。だが清華は…………彼女の事も嫌いだが。何だこの複雑な気持ちは。好き嫌いの二極化で表せる感情ではない。どう言葉に表していいか分からない。
少なくとも、清華からは何処か諦観している雰囲気が感じられる。
「気にしないで。ほら、早く行かないとメアリさんが来ちゃうよ。バレたら困るんでしょ」
「お、おう…………」
「何か困った事があったらまた言って。携帯で、出来れば通話でね」
「は? …………分かった」
不可思議な調子の妹を相手にしているとペースが乱れる。会話も程々に、俺は早足でビーチまで戻った。どうせアイツ等の事だからバーベキューしようとか言い出すんだ。それまでに戻れなかったら大変な事になるぞ。
「…………先生。ありがとね」
妹の独り言が耳に届いた。しかし、それが意味を持って俺の中で結ばれるのは随分後の話になる。
明日か明日辺りにスペエピの方が更新されます。




