カイキノミ
「そもそもさ、信じられないよね、私を誘っといて彼氏連れてくるってどういう風の吹き回しなのって感じ! あり得なくない? 嫌味だよね、これ!」
「君は彼氏いないのか?」
「え、いる様に見える? 今はおにーさんがそう見えるかもしれないけど現実は非情なんだよ?」
恐らく美人過ぎて手が出せないのだと思われるが、それにしても嫌味にしか聞こえない。あのよく分からん能力を除けばメアリと同じくらいかそれ以上の美貌を持っているのは間違いない。それこそ俺の主観でしかないが―――長い事メアリを見てきた俺の審美眼は確かだ。嬉しくない処か癪に障るが、大多数の人間は美人だと言うだろう。
「ま、まあ落ち着けって。うん。本当に落ち着こう。一旦、な?」
それ以上目の前で胸が揺れると、理性が焼き切れてしまいそうだ。お互いの為を思ってテントに招いたが、完全に悪手だった。密室で男女が二人きり。何も起きない筈が……まあ起こしてないが。時間の問題である。
「そもそもあれだろ。君の容姿を見ていると、ナンパされてもおかしくなさそうだけど。そういう男は嫌いなのか?」
「んーそういうのはね……ナンパされる為に来てるならおにーさんの事もっと誘惑してるっしょ? 私は単に泳ぎに来ただけ。なのに目の前でイチャコラされたら困っちゃうって」
それに、と言葉を継ぎ足して空花が続ける。
「向こう側はともかくさ、こっち側って殆どの人がビーチバレーに夢中じゃん? なーんか寂しくてさー。喧騒の中って感じがしなくて」
「……ごめん」
「へ? どっしておにーさんが謝るの?」
メアリの事だから、どうせ自分が悪いなどとは思っていない。メアリ信者共の辞書に反省の言葉は無いので、消去法で俺が謝るしかない。今となっては数少ない正常―――もとい異常者として。空花は全くピンと来ていない様子だったが、割と真面目に謝罪する俺の頭をポンポンと叩いた。
「気にしないで良いって! だってあそこに居るのって今話題のメアリさんでしょ? 集まるのも無理ないよ~」
「……今話題? ちょっと待て。今話題ってどういう事だ?」
「あれ、お兄さん知らないんだ。メアリさん車にひかれそうになった子供を助けたって事でこの町じゃ知らない人居ないよ? 多分本屋とか探せば特集記事が見つかるんじゃないかな」
血気盛んになるのも無理からぬ季節に、俺の血の気は瞬く間に引いていった。流砂の如く絶え間なく、淀みなく。絢乃が死に、つかささんと出会いようやく打倒せんとスタートに立ったまでは良いのに、如何せん手遅れだった。
一番近くに居た筈なのに、俺はアイツの行動を何も把握出来ていない。これも手遅れだが、痛感した。
「そうか……だから宿泊客も……いやでも、清華は無条件に好きになっちゃったからな。元々影響下にあった奴と新たに影響を受けた奴が混ざってた……って事でいいのか……」
「何言ってんの?」
「こっちの話だ、忘れてくれ―――えっと、空花でいいんだよな?」
「うん。面倒なら空でもいいよ。碧姉に呼ばれてるみたいで嬉しいし!」
「じゃあ空。お前、メアリの事好きか?」
話題、という時点で引っ掛かっていたが、目の前にぶら下がる豊満な乳房(メアリには決してないものだ)のせいで雑念が生じて、上手く整理出来なかった。それでもアイツのカリスマ性の影響範囲などという下らぬ疑問より先に考えるべきだった。
隣町において人助けした事により有名になったメアリ。現に他の人達は釘付けになっているにも拘らず、空花だけが影響を免れて……というより、俺と同様に影響を受けていない事について。
免れているとは、努めて対峙を回避するつかささんサイドに言える言葉であって、空花のそれは至近距離にメアリが居る時点で違う。
現時点における情報の限りでは、『視える力』を持つ俺だけがメアリの影響を受けないと思っていた。そういう異能力なのだと信じていた。だが俺以外にも例外が居るとなると話は変わってくる。彼女の身に染みついた力は人知の及ばぬ異物ではない。何かしらの分野で説明出来る既知の力……になる筈だ。
「メアリさんが好きかどうかって……分からないわよ。だって知り合いでも何でもないし」
「だよなッ?」
「え、え? だよなって何? おにーさんメアリさんと友達なんじゃないの?」
「誘われただけだ! そんな事はどうでもいい! 好きじゃないんだなッ? アイツの為なら命なんかどうでもいいとか、人を殺したって正しい事なのだとか、訳の分からない事は言わないよなッ?」
「何それッ! 言う訳ないじゃん! お兄さんってば変な事聞くのねッ」
絢乃に続いて、二人目だ。
彼女と違うのは、影響を受けていないのは飽くまで裏の人格である事だけ。なので絢乃さんは分類としてはつかささん達と同じ『免れている』側だった。俺と同じ『受けない』側という意味では初めての人間だ。
…………正直、感動すらしている。
飛びつきたいのは山々だが、相手が中学生である事を忘れてはいけない。俺が年甲斐もプライドもなく甘えるのは相手が命様―――何百歳と生きる神故であり、中学生を相手に飛び込むのは法と倫理の名の下に危険すぎる。
ビキニにしても紐パンにしても、中学生が履いて許される代物ではないのだ。普通許されない。そもそも似合わない。似合っているから許されているだけで。
「…………君は、良く無事だったな」
「へ、無事って何が?」
空花から見れば俺は珍妙な発言を繰り返すちょっと危ない人となっている。事情を話せば今までの発言全てに合点はいくだろうが、事情を話すという事は彼女をこの騒動に巻き込むのと同義である。俺は仲間が出来て嬉しいが、空花はどうだろう。
また、助けられないかもしれない。
信者が凶行を起こして、空花をモノ言わぬ死体にしてしまうかもしれない。
認知されていないからつかささん達とは罪悪感なく協力出来る。彼は何よりメアリの身体を解剖したいそうだし。だが目の前の彼女は…………
「―――いや、何でもない。気にしないでくれ」
強引に話をはぐらかした所で、恐らくビーチバレーの試合が終了した。笛の音もブザーも無いが、何となくやり切った感の出た信者共の声で判断はつく。勝手に切り上げていいとの約束だったので、何と言われようと取り合う気はない。
「試合が終わったからもう行く。じゃあな。精々友達の惚気には我慢してくれ」
「おにーさん!」
テントから出ようとした正にその時、引き留められる。払う気にもなれず振り返ると、空花は後腐れの無い気の抜けた笑顔を浮かべた。
「愚痴、聞いてくれてありがとね。ちょっとだけ楽になったよッ!」
「創太ッ!」
急いで審判サイドに戻るや否や、最初に声を掛けてきたのは命様だった。勢いづいた飛び込みに堪えられず俺は背中から倒れたが、視えぬ人間からすれば一体何事かと驚くに違いない。それこそつかささんみたいにパントマイムが上手い人とでも思うだろうか
注目されてはいないが、ほぼ俺との約束は破られていると言っても過言ではない。可能な限り無反応を貫こうとしても、余程高揚しているのか、命様は延々と話し続けた。
「妾の信仰再建計画にあれを取り入れるぞ! いつかお主以外にも信者が生まれたらあのように分けて仕合をさせるのじゃ。それを妾への手向けとすれば、退屈から欠伸も出まいて。名案であろう?」
「…………」
「ばれーが神様にとって見世物になるのか、とでも言いたげじゃな。じゃが妾にとっては十分すぎる代物じゃ。相撲の様に体を作る所から始める必要がない。差し当たり素人でも、頭数さえ揃えればそれなりに成立するというのは革新的じゃ! そうは思わぬか?」
「…………」
「無論お主にも入ってもらうが、しかしお主には素人を卒業してもらわなくて―――むぎゃっ!」
ちょっとうるさい。
虚空にデコピンをしたように見えるだろうが、そこは命様のおでこだ。これでもデコピンの強さには自信がある。彼女の首は真後ろにカクンと折れたが、三秒後。勢いよく戻ってきた。
「な、何をするか!」
メアリ達が居る前なのでどうしても会話が出来ない。俺だって出来れば命様と話していたいが、現実の前では妄想など無力である。
「あれ、創太ってば、ずっとそこに居た?」
ほら、こういう事になる。メアリは俺が近くに居る時、必ずと言っていい程俺に話を振ってくる。心苦しいが、つまり命様に対する非情な選択はこの場において正解以外の何物でもない。
「今ちらっと見たら、あっちの方から歩いてきた様に見えたんだけど……」
「は? 気のせいだろ」
俺は二一と書かれた砂ボードを指さして、さも真実を述べるかのように告げた。
「俺がここに居なきゃ誰がこれ書くってんだよ。それとも点数が間違ってたか?」
「ううん、合ってるよ。創太はちゃんと見ててくれたんだよね私の事を。じゃあさ―――褒めてよ♪」
「は?」
こいつは何を言っているのだろう。バレーをして褒めろって、自分を五歳児か何かだと勘違いしているのか?
「他の奴らに褒めてもらえよ。俺よりか随分上手に褒められると思うぞ」
「駄目だよ~! そんなのいつもと変わらないじゃん! 私は創太に褒めてもらいたいの! お願いッ!」
何を対価にされても承諾する気は無かったが、一瞬のスキを突かれ、メアリは俺の身体に密着。控えめな胸とは言ってもこの密着状態だと確かな感触が伝わってくる。個人的にはそれでも嫌悪感はぬぐえなかったが、原始的欲求―――性欲は非常に素直だった。
今だけは自分を殺したい。局部を切り落としてもいい。
「やめろ! 離せよ誤解されんだろ!」
「創太が私の事を褒めてくれたら離してあげる!」
「ふざけんな! 誰が褒める―――ああもうマジで離せ! 視線が刺さるんだよ!」
「はーやーく♪」
「離せって言って―――力強いんだよお前! 本当に女性か!?」
「ひどーい! 良くやったねって言ってくれるだけで良いのに、拒否しないでよ~!」
「何で急に褒められたがりになるんだよ! お前そんな奴じゃなかったろ!」
〇距離の攻防の末、俺達は共に倒れ込んだ。メアリの負傷を危惧してか一瞬にしてどよめく信者達をよそに、彼女は誰にも聞こえないくらいの声量で、感情の起伏が一切感じられない声で言った。
「もっと創太の事、知りたいな」
警告にも似た発言が錯覚だったと思わせる程には間髪入れず、メアリは爛漫と笑いながら言った。
「褒ーめて!」
連続投稿は十中八九しない。




