命知らずな遊びの前夜
メアリに絡まれるのが面倒くさいので、閉会式……という名の茶番が終わる前に逃げた。幸い、本人以外は俺が逃げても止めたりしない。むしろ大歓迎とでも言わんばかりだろう。素直に通れるかどうかというのはまた別の問題だが、今回は教祖様の有難いお話があるからなのか立ちはだかる者は居なかった。幸運である。
「ふう…………」
「待った。君の言いたい事を当ててみせよう」
「どうぞ」
「時間の無駄だったなあ」
「正解です」
時間の無駄だった。そもそもアイツの言葉に何かひっかかりを覚える事自体、無駄と言えば無駄だ。あんな気味の悪い奴の言葉に耳を傾ける奴は信者くらいなもので、信者でもない俺がどうして一々気にしなくてはならないのか。全く馬鹿だ。本当に馬鹿だ。それもこれもアイツにキスされたからだ。
死神に魂を渡した者は碌な末路を辿らないが、俺の場合無理やり取り立てられたに等しい。なのに碌な目に遭っていない。これは如何なものか。魂を賭けた取引は等価交換が基本の筈。等価でもなければ交換でもないこれは何だ。何なのだ。
「こんな事ならつかさ先生と一緒に帰っておくんでしたよ」
「おや、私ではご不満かな?」
「いえ、そんな事は全くございません! でも……なんか、幸音さんが心配で。体調悪そうっていうか、まあ実際に悪くなったから帰ったんですけど」
「心配するのは結構だが、君が気にしてどうする。隣に居るのは一応医者なんだろう? 本業に任せたまえよ」
「本業って言いますけど、あの人何の専門なのか全然分かりませんし……下手したら自分でもわかってない気がして」
「幾ら何でも馬鹿にしすぎだよ。警察を志し、実際に就職したのにも拘らず警察の事が何も分からない。人はこれを矛盾と呼ぶのさ少年。お話や妄想の上では矛盾していてもいいかもしれない。けれども現実となると話は別さ。人間は矛盾を嫌う。己が矛盾している事を都合よく忘れておきながら、人の矛盾には厳しい。メアリがその最たる例ではないかな?」
言わんとしている事は分かるが、俺の解釈はやや異なる。傍目から―――異能力としか言いようのないあの力に当てられていない者から―――見れば完璧でない事など一目瞭然。それがどうして完璧になってしまうのかと言われたら、『メアリが正しい』からだ。非常に細かい違いだが、これだけでも実態は大きく違う。以前も言ったが、『正しい行動をとるから完璧』なのではなく、『とった行動が正しくなるから完璧』なのだ。
アイツの真似をして、公開処刑もとい私刑をした日には即刻しょっぴかれるだろう。俺であっても、誰であっても。それは何故かと敢えて言語化するのなら、俺達人間は規範の中に生きているから。その規範に則る事が正しい行動であり、そこから外れる事が正しくない事。公開処刑は規範に則っていない。故に罰せられる。
ところがアイツと来たら己自身が規範であり、それを他人に感染させてしまう。アイツの行動全てが『規範』―――正しい存在となり、それが周囲に伝わっていくのだから、普通の人間は誰も咎められないのだ。例外はそもそも規範など知らない不可視の存在か、どう足掻いても規範の中に入れない俺か。
「…………なんか、もうどうでもいいや」
疲れた。今日の感想はそれに尽きる。色々と文句は出てくるが、言葉として吐き出す気にはなれない。本当に疲れた。マジで疲れた。黄泉平山を登る気力すらないと言えば、どれくらい疲れているか分かるのではないだろうか。基本、俺は命様と会う為なら苦労を厭わない。
珍しく、家に帰る気になった。眠たいだけなので、極論眠れさえするならどうでもいいのだが。
「……茜さん」
「ん?」
「今日―――すみませんでした。色々変な事に付き合わせちゃって」
「いやいやあ、私は構わないさ。どうせ君以外には見えていないのだから、どんな不運に恵まれても巻き込まれる可能性は無い。ならば気遣いは無用だ。特に騒動の渦中に居る君からの気遣いはね。言霊から生まれた私も、その言霊を作る人間も、対岸の火事であれば興味の一つくらい抱いても不思議はない。君がもし普通の人間だったらと考えてみたまえ。『街中の人間から嫌われている男性』が居ると聞いたら、一目見たくなるだろう?」
「……今まで普通だった事が無いので、何とも言えませんね」
普通で居られるなら、その方が良かった。嫌味でも何でもない。この『特別』は何も嬉しくない。俺に不幸しか引き寄せない。誰かに渡せるなら今すぐにでも渡したいくらいだ。俺の事をあざ笑う連中も、そうなれば俺がどれだけ辛い思いをしていたか分かるだろう。
…………感情の制御が下手くそになったか?
「茜さんは、これからどうするんですか?」
「ん…………そうだな。君とのデートは終わってしまったし、怪異は怪異らしく何処かへ消えるとしようかな。君の睡眠を邪魔するのもいけないしね」
彼女が俺の目の前に飛び出した。後ろ手を組み、妖しい笑みを浮かべる。
「では息災で。今日の出来事が悪夢を引き起こさない事を願うよ。ああそれと……いや、いいか。わざわざ君の心に負担は掛けまいさ」
「は? ……そんな言い方されると気になるんですけど」
「明日が来れば自ずと分かるさ。しかし明日の事など明日の君に任せればいい。今日の君はよく頑張った。偉いと思うよ、私は」
茜さんからすれば何気ない言葉。けれど俺にとってみれば、何よりも嬉しい言葉。本来は家族にかけてほしかった言葉だ。飽くまで怪異に過ぎない彼女の手に血は通っていないが、しかしとても暖かい。
ああ、間違いなく気のせいだ。だが実感でもある。茜さんが確かにいるという証明……或いは絆だ。付き合いが短くとも、縁の太さならば命様に次ぐ大きさではないだろうか。この縁はそう簡単には断ち切れない。メアリのお蔭で、俺は血の繋がりの薄っぺらさというものに気が付けた。漫画みたいにはいかない。血が繋がっているから云々、家族だから云々。現実は非情だ。
無理なものは無理なのである。
血が繋がっているというだけ、それだけに過ぎない。そこには何の特別性もなく、何の力も無い。メアリに毒されているのがその証拠だ。『家族と言っても所詮は他人』。まさか実際にその気持ちを体感する事になろうとは誰が信じよう。
「………あはは。俺、偉いですかね」
「ああ、偉い。今日を生き延びただけでも十分だ。あの神様がこの場に居ても、きっと私と同じ言葉を言うだろう。私や神様はね、少年。君に大層な事は何も期待していないんだ。全く残念な事に」
「じゃあ、何を?」
「そこに居てくれるだけで良いんだよ。極論を言えばね、君がメアリをどうしようが私達には関係が無い。私達は君さえ居てくれればそれで良いんだ。不可視の存在は読んで字の如く常人には視えない。こういう交流が楽しくて仕方がないんだよ」
最後に茜さんは「では、少し早いが―――お休み」と言って俺の額に軽くキスをした。脳の理解が追いつかずこちらが呆然としている間に、彼女は隣の壁をすり抜け去っていった。
携帯が鳴っていたが、どうせメアリなので無視一択。早々に帰路に着いた俺は、例によって就寝前の準備を一通り済ませ、眠った。時刻としてはとてつもなく早いが、今はただ眠りたかった。家族の帰りなど待たないし、待ったところで夕食のリターンすらも見込めないのだから、眠った方がいっそ効率的だ。
額に残された感触を忘れない内に。
昨日投稿する筈だったのに意識を喪うのが先だった。ごめんなさい。




