紅白潰し
人倒しを乗り越えれば後はいつも通りの体育祭だと思ったら大間違いだ。メアリの奴、順位を付ける事が急に気に食わなくなったのか、残り競技の全てに参加し、参加者全員に一等を与えていた。ルール無用というより単なる無視だ。例によって咎める奴はおらず、この場に幸音さんが居なくて本当に良かった、と思う。
一度は気絶した彼女だったが、こんな事になるのなら俺も復帰させたくない。つかささんとも思惑が一致したので、申し訳ないが彼女には先生と一緒に帰ってもらった。薬のストックは無いらしいから、これ以上影響を受けたら対処出来ないのである。勝手な話かもしれないが、俺は幸音さんに信者化して欲しくない。唯一のまともな人間だから。
実はそういう事情を差し引いても服用した薬が強すぎるせいか気持ち悪くなったそうなので、何も俺の身勝手で帰したとは決めつけないで欲しい。半分はやむを得ない事情だ。
「そもそも、点数をつけるから最下位が生まれるし、負けがあるんだよ! 負けたら悔しい人がたくさん出る! そうやって何でもかんでも白黒つけようとするから、戦争が生まれるんだよ!」
仮にも体育祭の参加者を独断で帰したのだから、誰かが気付いても良さそうなものである。仲の良い友達とか、位置が隣の子とか、担任の先生とか。しかしそういう奴等は全員メアリへの賛美を伝えるのに必死なのか、全くそれに気づいていない。まあ信者からすればメアリが演説しているのに帰る道理はないから、他人に対しても想定すらしていないのだろう。
因みに人倒しの犠牲者となった男性達は例外なく肉塊となってグラウンドの脇にどけられた。
途中から俺も観戦していなかったから何とも言えないのだが、もしかして刃物が解禁されたのだろうか。素人目にも刺し傷や切り傷が幾つも確認出来たし、それ処か一部の死体は腕や足が切り離されていた。
「なあ少年。今更かもしれないが、君こそここに留まる理由は無いのでは?」
「ん? ああ―――そうですね」
色々な事があったせいで忘れてしまいそうになるが、元々俺は幸音さんの応援をする為に来た。本人が帰宅してしまったなら、俺にも留まる理由はない。ぶっちゃけ今までの俺なら帰っていた。しかし、
「メアリが俺に何を視て欲しいのか気になったので……一応残ってます。尤も、これ以上くだらない話が続くなら本気で帰りますけどね」
もっと を視て。
それが何を意味していたのか、どうして俺にそれを伝えたかったのか。分からない事はたくさんある。気のせいかもしれないが、あの時だけメアリの声音が幼かったような……それがどうしたという話だが。
「茜さんこそ、もう帰っても良いんですよ? 命様と違って自由に動けるでしょ」
「何を言うんだ君は。私は少年に誘われた事が嬉しかったからここに来た。少年と一緒に過ごす時間は嫌いではないと言っただろう? 君が帰らない限りは付き合うさ。君だって一人きりであんなものを見たくない筈だ」
「まあ…………すみません。有難うございます」
「素直でよろしい。私は君のそういう所が大好きだ。フフフ……一時の感情かもしれないが、今ほど私自身が女性でない事を悔やんだ日はない。元々持っていない筈の心臓が脈打つ気さえしてくるんだ。君とこうして話しているとね」
それは遠回しの告白か何かだろうか。恥ずかしくなって茜さんの方を見遣ったが、その表情は至って真面目で、ふざけているとは思えない。本気でそんな事を言っているのだと思うと、俺は増々恥ずかしかった。
怪異とはいえ。実質的な無性別だとしても。俺は茜さんを異性として認識してしまっている。だから真面目な表情でそういう事を言われると―――本気で口説かれているかどうかの区別がつかない。どうせこの声は誰にも聞こえていないから、恥ずかしがる必要など皆無なのだが。それでも口説かれている実感が俺の頬を染めてくる。
ひょっとして、これが怪異に魅入られるというものなのか。
「じょ、冗談はやめてくださいよ!」
「私が君に冗談を言うとでも?」
「結構な割合で言ってるでしょッ!」
「大正解だ。君と一緒に過ごす時間と同じくらい。君を困らせたり怒らせたりする事が大好きなんだ、私は」
「性質悪いですねッ」
「怪異とはそんなものさ」
では性質が悪い処の話では済まされないメアリは怪異に分類されるのだろうか。
「この体育祭は何もかもおかしい! 体育祭は生徒全員が楽しむべきだと私は思う! それなのに勝ち負けがあって、白黒つけなくちゃいけなくて、それで本当に皆が楽しめるの!? 全員が一等賞を取れる体育祭があってもいいじゃない! それは決して悪い事じゃないんだから!」
「そうだそうだ! 何もかもおかしいんだよ!」
「わ、私運動苦手だけど。一等取りたい!」
「カメラ回せカメラ! メアリちゃんがまた歴史に残る名言を残したぞおおおお!」
「メアリ様……素敵ですわ…………!」
何だろう、これは。俺は一体何を見せられているのだろう。つくづく幸音さんを帰して良かったと思う。朱に交われば赤くなるとも言うし、こんなイカレ集団の中に放ったら取り返しがつかなくなっていた。実際、本来の参加者を独断で返した時点で取り返しはつかないが、誰もそれに気が付かないならノーカウントだ。信者共は良くも悪くも、他人に興味がない。
茜さんが背後から俺に覆い被さる。重さは全く感じないが、ひんやりとした両腕が首にかかり、身震いが止まらなくなる。でも後頭部付近がとても幸せなので、やめろとは言わない。やめてほしくない。
「…………やっぱり、おかしいですね」
「何が?」
「いや、人倒しの時、アイツ男達がリンチされる様を見て、そんなに面白くないとか言ったんですよ。アイツが自分の興味を優先するのは知ってるんで、それはいいんですけど……何でしょうね。俺が居なくなった途端にあんな綺麗事並べ立てて、本当に宗教でも作ろうとしてるんでしょうか」
「朝も誰かが布教していた気もするが、もしかして本人も国のトップに立ちたかったりしてね」
「それはあり得ないですね。アイツには野心が無いので」
「言い切るね。隠してるだけかもよ?」
「隠す必要性なんてないでしょう。俺からの支持は絶対得られないってだけで、立候補すれば他の政治家も無条件で支持するでしょうし。…………うーん。つかさ先生には帰ってもらわない方が良かったかなあ」
俺の知るメアリと普段のメアリは、違う可能性がある。
人間のペルソナの話をしたい訳じゃない。それなら俺だってもったいぶったりしない。文字通りの可能性だ。俺と会話するメアリと普段のメアリが別人である可能性。例えるなら、神通力を取り戻した命様と普段の命様みたいなものだ。あれは紛れもない同一人物だが、しかし見た目にしても喋り方にしても色気にしても、全くの別人。
…………いや、多分この線は違う。命様は正真正銘の神様だが、メアリは飽くまで人間だ。まるで神様みたいな存在でも人間は人間だ。神様と同じ系列で語る事が愚かしくも的外れ。俺とした事が、まだまだ信仰が足りていない。
「茜さんにはメアリがどう見えていますか?」
「どう見えていると言われても……私に聞くより、もっと適任な人物が居そうな気もするよ。例えば、元は信者だったが今は正気に戻った人物とか」
「それ、幸音さんの事言ってます? 元は信者って言いますけど、その期間が一瞬ですからね。どうせ聞くなら手遅れの状態から戻ってきた人間とかじゃないと」
今の所そんな人間は居ない。というかこんなクソみたいな体育祭に参加している奴は全員しっかりと洗脳済みだろう。もし俺みたいに正気な奴が居たとしても、会場を取り巻く狂気に呑まれ、忽ちくたばってしまうのは容易に想像がつく。
よしんば今日耐えたとしても、これからこの学校は一生体育祭をやり続ける。明日も明後日も明々後日も一週間後も一年後も。ずっとずっと続く。メアリが居なくなっても、とっくに学生を名乗れる年齢を超えても続く。馬鹿みたいに続く。
先程、俺はメアリに野心がないと言ったが―――やはり、それは言い切れなさそうだ。俺の行くところ先々に現れるのはともかく、こんな風に大々的に乗っ取った事は一度もないし、今までの信者達は「メアリが完璧で完全で素晴らしい存在」だと知ってはいても、それを公に口にする事は無かった。なのに今朝の演説と言い、今回の人倒しやメアリの演説と言い、何かが起きているのは間違いない。
少なくとも、メアリか信者。どちらかに異変が起きているのは間違いない。
俺が彼女を打倒しようと考えたと同時に変化が生まれたのは…………果たして偶然か否か。
妹が選択肢に入っていないのは、茜さんが「創太の存在を妹が周りに言いふらしてた」という発言から、ああ、元には戻らんかったんだなと考えているからです。




