メメント・モリ
台風で投稿できない日々は辛かった。
茜さんの想像は正しかった。死体は野次馬根性まるだしの奴らにとっては格好の獲物この上ない。死人に口なし、今更死んだ人間が己の死について正確な説明を求めるはずもないし、それが出来る奴は死人ではない。
第一発見者という事で事情聴取は受けたものの、俺と被害者との間には同級生以上の関係性が見られず 無事に釈放される事になった。因みにラブホテルに行った事に関してはここが心霊スポットとして(正確にはメリーさんの噂を発生させた場所として)有名だった事もあり、厳重注意のみでその話は……終わらなかった。
いや、最悪の話ではない。むしろ都合がよかった。俺が侵入した理由にメアリが関与している事を知った警官は態度を一変。厳重注意はおろか、簡易的な注意すらしないで俺を返してくれた。こんな風に助かってしまうと、まるでメアリが守ってくれたみたいで心底吐き気がするが、この場合素直に感謝するべきなのだろうか。どうにも俺は彼女のことになると頭が固くなっていけない。
俺はメアリなんかに決して感謝しない。今回はあくまで利用しただけだ。
つまり彼女に恩を感じる必要なんてこれっぽっちもないのだ。落ち着け、俺よ。死んでも借りは作りたくないからって、そう焦ることはない。俺は彼女の目論見を潰してやったのだ。売るのは喧嘩だけだ。今までもずっとそうだったじゃないか。
「おお、私の思惑は無事に当たったみたいだぞ少年。まさかこれほどうまく行くとは思わなかった! あまりこういうことは言いたくないのだが、同族が死ぬのを見るのは楽しいものなのかい?」
「俺としては全く…………………」
それ以上何かを言おうとして、やめる。死体を目撃した時の衝撃が大きすぎて、自分でも何を言おうとしたか忘れたのだ。それくらい俺のショックは大きくて、神社に戻ってからもそれは続いた。頭の中からあの光景を消し去ろうとしても、どうしても消し去れない。それでも無理やりに払おうとすれば、俺の脳内は過去に戻り、再びあの光景を目にする事になるだろう。それは俗にフラッシュバックとも呼ばれる。
命様はそんな俺を心配してくださっているらしく、階段で力なく座り込む俺から離れようとしなかった。ありがたい事だが、直接記憶に干渉されでもしない限りは神様の力を以ってしても俺を立ち直らせることは不可能であった。
「創太、気をしっかり持て。お主が死んだわけではないのじゃぞ?」
「分かってます……でも、その…………あああああ―――」
死ねばいいのに、と思った事もあるし、居なくなればいいのにと考えた事はもっとある。でも実際に居なくなるなんて思わなかった。それも永久に、この世から。俺の考えるそれなど、精々が視界に移らないで欲しい程度の望みだったのに。
「…………他人の不幸は蜜の味って言葉もありますから………………俺は…………全く理解出来ませんけど、事件なんて滅多に起きないから……事件なんです―――茜さんもご存知でしょう? 交通事故の瞬間にカメラを構える様な奴が少なからずいる事を」
「そう言えば、そうだったね。神様の知る時代と違っていたかどうかはともかく、今はそういう時代に違いないね。人々はあまりにも礼儀知らずで恐れ知らず。だから人が死んだ場所に怖いもの見たさで入りたがるし、静かに暮らしたい怪異を平気で振り回す。自分の欲求を満たしたいが為にね。それ自体は生物的には正しい行動かもしれないのだけれど、仮にも自らを秩序ある社会の中で生きる生物とするならば、控えて欲しい行動とも言える」
「…………済みません」
「おや、どうして君が謝る? 私は人間が嫌いだが、君を嫌っている訳ではないのだよ」
「………………人間ですから」
「『視える』人間とそうでない人間の差は存外大きなものだ。何度も言っている通り、君の事は好きだし、感謝しているし、気に入っている。謝る必要なんてないよ」
クラスのグループチャットから動向を把握する限り、話題は完全に二人が死んでいる事に逸れており、メリーさんの事を気にする輩は誰も居なかった…………唯一の例外はメアリだが、珍しく彼女は顔を出してこない。まるで今までのふるまいが嘘であったかのように沈黙を保っている。
「…………のう。創太。本当に大丈夫なのかお主。顔色が悪いと呼ぶのも温いくらい青ざめておるぞ」
誰だって死体を見ればこうなる。発狂しないのは神様の手前、無様な姿を見せられないと心に決めているだけだ。茜さんと出会わなければ今日の事件は無かっただろうが、もし命様と出会っていなかったら…………どうなっていたのだろう。今までありとあらゆるストレスに耐えてきた手前、発狂したとも言い切れないが。
「…………すみません、お二人共。今日の所は、これで帰らせて頂きます」
「山を下りるのかい? らしくないね、どうしたの一体。たかだかと言うつもりはないけれど、死体を二つばかり見てそれなら、今日は神様の所で休んでいた方が良いと私は思うが」
「うむ。妾は大いに構わぬぞ!」
「いえ…………その」
俺は携帯を幾らか操作してから、気だるげに立ち上がった。
「アイツの正体を、見極めてきます」
「珍しいね、創太が私を呼び出すなんて!」
「……ああ」
本当に珍しい。それ処の話じゃない。二度とするつもりなんかないし、今回ばかりは特別だ。俺の良く知る彼女が、俺の知らない反応をした。俺は周防メアリという女性―――否、存在が大嫌いだが、食わず嫌いが少しだけ入っている感覚は否めない。
よって、ここで改めて判断する。彼女が『人』か、それとも『それ以外』なのか。
「で、どうかしたの?」
「藤耶と貝沼が死んだのは知ってるよな? クラスのグループに伝わってる筈だ」
「うん。それで?」
「単刀直入に聞く。お前はその事をどう思ってるんだ?」
今回の事件の真相は一言で言い表せる。複雑でも何でもない。
メリーさんを見つけられない二人が自殺する事でそれを怪異の仕業にしようとした。
これだけだ。現実的(警察が納得出来る言い方を敢えてこう呼ばせてもらう)に言うなら、目立ちたいが為の自殺だ。迷宮入りも糞も無い。深みも無ければ謎も無い。真相は既に見えている。俺の傍に元本人が居て、その本人が自殺と断定した以上は、そうに違いあるまい。
そんな単純極まる事件に残る謎は一つ。メアリの心境だけ。
事の発端は彼女がメリーさんを見たいが為にクラスメイトを伴って夜の街を歩き回った事にある。わざわざあんな書置きをのこしたくらいなのだから、あの二人はメアリに発見させたかったのではなかろうか。そしてそれによって…………役に立とうとしたのではないだろうか。推測だが。
と考えると、或いはそうでなくても。メリーさんの噂のきっかけとなったラブホテルに死体が遭った以上、そしてその二人はメリーさん捜索隊の一員であった以上、元凶は俺の目の前に居る人間だ。
いつになく棘の混じる言葉に、メアリは拍子抜けするくらい呑気な声で答えた。
「どうも思ってないよ」
しかしその答えは、きっとどんな独裁者よりも残酷で、空虚だった。
「二人が死んだのは残念だけど、私には関係ない事だし! それよりも創太、聞いてよ~二人が死んだから、皆の興味がそっちに行っちゃったんだよー! 酷いと思わない? 私はメリーさんに会いたいから協力を仰いでたのに、これじゃあ私のメリーさんに会いたいっていう細やかな願いはどうやって叶えれば良いの?」
人が死んだとか、死んでないとか。彼女の浮かべる柔らかい表情のどれもが、そういう現実とは全く無関係を思わせた。この目で目撃した筈の俺でさえ、あそこに死体があったのかどうか疑った程だ。
でも、騙されてはいけない。死体はあった。そしてその現実において、こいつは感情の揺らぎさえ見せず、快・不快という根本的な感情すら見せていない(彼女が酷いと思っているのは皆の興味がメリーさんから逸れた事であり、二人が死んで興味を逸らしてきた事ではない)。人間処か、知性生物なのかすら危うい。これが俗に呼ばれるサイコパス、なのだろうか。
「お前―――二人を親友だって言ってたよな?」
「あ、うん。勿論! 二人は今でも親友だと思ってるよ! だからほら、二人の死が広まらない様にしたんじゃん」
「は?」
「警察の人にね、お願いしたの! 皆を悲しませたらいけない! 二人の死は笑われるべきじゃないって! そうしたら警察の人感激しちゃってね、今回の事件は無かった事にするんだって!」
「…………は!?」
待て待て。
呼び出したのは俺だが、状況に理解が追いつかない。説明に許容が出来ない。仮にも公共機関にどんな我儘通してやがる!
「クラスには広まっちゃったけど、大丈夫! 私はクラスの皆が死んだ人なんか忘れて前向きに生きる事が出来る人達だって信じてるからッ。勿論創太もその一員だよ?」
「…………おいおいおいおい! 葬式とかどうするんだよ。あいつらの死が無かったことにされたら、残された家族はどうするんだよ!」
「どうもしないんじゃないの?」
「んな訳あるか! どんな奴でも家族にとっては大事な子供だぞッ! お前はぶん殴られたって文句は言えないんだぞッ? それでもいいのかッ?」
「うーん。でも『私達に子供はいなかった』って言ってるんだよね。謝ろうとしたんだけど、むしろ謝るのはこちらだって土下座されちゃって! だから…………そうなのかなって」
何が起きている。俺の住む町での出来事か?
異次元なのか、それとも全く別の法律に守られている世界での話ではないのか。俺の認識する現実と同じ世界にまかり通って良い理屈な訳が無い。そんな無茶苦茶で破綻した理屈が通るなら…………法治国家なんて何処に向けても言えないだろう。
「所で創太は何が言いたいの? 話が終わったなら、私もう帰るけど」
相も変わらずキョトンとしているメアリ。最早何の感情も湧いてこない。そんな無茶苦茶で道理に合わぬ理屈を持ち出されるばかりか、実際にそれで解決してしまっている奴を相手に、俺はどうやって事の正しさを説けばいい。どのように過ちを認めさせればいい。
高校生には無理だ。まるで現実が彼女に合わせるかの如くねじ曲がるのであれば、理屈など最早通用しない。こいつは…………やはり何かがおかしい。おかしいなんてものじゃない。こいつは…………生きていて良い人間じゃない。
心から恐怖した。
本能から彼女の存在を受け入れられなかった。
だから。
だから。
言ってはいけないと分かりつつも、つい口を吐いて出てしまった。
「………………………もう死ねよ、お前」
彼女は を