起源を死に
実はてっぺん回る前に投稿する事も出来たんですが、読み込みが遅すぎてどうしようもありませんでした。
「時代が変わっても……廃屋とは虚ろなものじゃな」
「残念ながら霊感は無いので俺は何とも言えないんですけど、お二人は何か感じますか?」
「これ程密閉した場所であれば妖の気配など直ぐに分かるが、何も感じぬな。変哲なき廃屋じゃ」
「私がまだメリーさんだったなら、ここには私の気配が充満していただろうねえ。メリーさんである限りここが私の起源であり、私の過去を示す建物。今となっては関係のない建物だが……ああ、私も特に感じないよ。隣に居る神様に気を取られていなければ、だがね」
「いや、何でそんな他人事なんですか。命様は確かに神様ですけど、信者はまだ俺一人ですよ? 影響力なんて大した事無いと思いますけど」
「少年、怪異と人間は想像以上に違いがあるものだ。大した神様で無かったとしても、不可視の存在、それも私の様に儚く無力な怪異が相対すればその影響力は絶大だ。ここは山ではなく平地で、しかも信仰とは何の関係もない俗世だがね。今にも消えてしまいそうだ。すまないが、少年。エスコートを頼むよ」
茜さんは手持無沙汰になっていた俺の右手を掴んだ。
「何、生身の女性として扱えと言っている訳ではないさ。君に私を視続けてもらいたいそれだけの事。せっかく助けてもらえるんだ。こんな所で消えたくはないのだよ、私も」
命様の身体はとても暖かかった記憶があるが、茜さんの身体は濡れた鉄みたいに冷たかった。何の温度も感じないし、生きている者に触れている感覚すらない。俺と同じ事が可能な者が居るならどうか一度だけ試してみてもらいたい。確かに握っているという自信すら持てないのだ。握っているのは見た目だけ。冷たさだけが肌に張り付いている。
ドライアイスを常に握っているみたいな……それすらも正確ではないが、一番近い表現だ。
「妾から創太を奪うでない! 茜よ、主は妾に喧嘩を売っておるのか?」
「何故私がそんな事を? 信仰を集めた所で怪異にメリットはないよ。そんな事よりも…………気付いているかい? 三階の方から気配を感じる」
「気配ですか?」
先程から命様も茜さんも当然の様に気配、気配と言っているし、何なら漫画やアニメでも見かけるが、そんなものが一般人に感知出来てたまるか。恐らくそんな漠然とした物が感じ取れる人間は常在戦場の心構えで視線に敏感になっている人間か、または物理的に視線を捉えられる奴くらいしか居ないだろう。
前者に比べると後者に現実感が欠片も感じられないが、『視える力』を持つ俺が現実とか非現実とか狭い発言をする筈があるまい。現実とは視えている世界であり、非現実とは視えていない世界の事だ。『視える力』そのものも他の人から見れば十分非現実的だが、実際この力は存在している。であれば他の特殊能力もあったって別に不思議ではない。
何に使えるかは分からないが。
「いや、俺は感じませんけど。何の気配ですか?」
「ああ、覚えがあるよ。この感覚は実に懐かしくも、忌々しくもある―――所で少年、噂に対する根本的な対処法について、私も神様もまだ聞かせてもらっていない。そろそろ聞かせてもらえないかな?」
「妾も気になるぞッ。こんな寂れた建物に目的も無く来る筈もない。そろそろ言わぬかッ!」
そう言えばそんな理由から俺達はここを訪れたのだった。
実は茜さんがいかがわしい発言をしてくれたせいですっかり忘れていたのだが、どうやら命様も茜さんもその事に気付いていないみたいだし、もったいぶっていたという事にしておこう。うん。
「構いませんけど、そんな名案って程でもないですよ」
「お主に一つ良い事を教えておこう。過ぎたる謙遜は嫌味になり得るものじゃぞ。まして神にそれを向けたともなると、これは見過ごせぬ不敬じゃ! 天罰を下されたくなければ、早う教えるのじゃ! のう創太。早う、早う!」
急かしてくるのが自らの存在が懸かっている茜さんならばともかく、只の興味本位でしかない命様とは一体どういう了見なのか。渋い顔を浮かべたくもなったが、命様の手前、抑え込む。
「えーと、例えば茜さんが悪霊とかなら、成仏させればそれで話は終わりですよね? でも怪異には魂が無い。だから霊と同じ手段は使えない……と思ってたんですけど。考え方が少しずれてました。怪異にも同じ事が出来るんですよ」
「む? 何故じゃ? 怪異は言霊から生まれる者の筈じゃが」
「言霊―――つまり噂ですが、幾ら信憑性が皆無と言っても、自然発生する様なものではありません。少なくとも言霊が意思ある人間から出る概念である以上、それは何かに向けられている筈なんです」
…………分かり辛かっただろうか。
二人の反応は芳しくない。
「え~…………ああ! つまり、このラブホテルには必ずメリーさんの噂を生ませる原因がある筈なんです! 人の噂も七十五日なんて昔は言いましたが、メリーさんの噂は明らかにそれ以上続いている。それってつまり、定期的に人が押し入っては噂話が供給されてきたって事じゃないですか。だからそれを消してやればいいんです! そうすれば今後噂が供給される事はないし、噂が供給されなければ知名度が落ちる。知名度が落ちれば誰からも認識されなくなり―――命様みたいになります!」
「――――――んんッ?」
最終的な結論に、俺の大好きな神様は首を傾げた。
「もしかして妾、馬鹿にされてる?」
「いえ、全く馬鹿にはしていません! 言い方はまずかったかなとは思いますが、命様が現状知名度皆無の神様である事は周知の事実。茜さんが望む状態にある事は言うまでもありませんから!」
嘘は吐いてない。嘘は。命様みたいに誰からも知られていない状態こそ、今の茜さんが何よりも望む状態の筈だ。だから嘘『は』吐いてない。ちょっとばかり揶揄ってみようという考えはなくも無かったが。
俺の浅はかすぎる考えは奇跡的に看破されなかったが、それでも命様は眉を顰めて、俺の脇腹をぎゅっと掴んだ。
「いたたたッ!?」
「―――なーんか妙に腹が立つのう。お主とは出会って日が浅いが、少し甘やかしすぎたかもしれぬな。ここは一つ、妾の神としての威厳をその身体に染み込ませてやろうかの…………!」
「ちょ、分かりました! 済みません! 命様を揶揄ったら面白いかなって思って、ちょっと悪意ある言い回しをしてしまいました! 申し訳ございませんッ!」
「ほう、正直に申し開くとは。妾はお主を見直したぞ―――ま、だからと言ってお仕置きを緩める理由にはならんのじゃが……!」
「あああいたたたたたたああああああああ!?」
「神を弄ぶなど信者としてあるまじき行いじゃ! 言語道断、問答無用! 今回の件が解決したらお主には暫く妾と共に生活してもらうぞ……! その腐った信仰心、妾が直々に叩き直してやろうぞ!」
「あああああああああありがとうございますうううう!!」
我々の業界ではご褒美です。
茜さんは虹の差した瞳を細めて呆れていた。
「…………そういうのは、それこそラブホテルでやってもらいたいものだね」
とは言いつつも、命様が満足するまでの十分間。茜さんは文句ひとつなく待ってくれた。
命様の気持ちが落ち着いた所で、改めて俺は話を整理した。
「だからメリーさんという怪異が噂される切っ掛けが落書きだったとしたらどうでしょう。『私メリーさん』みたいな落書きが、尾ひれを足され続けてこうなったとしたら。そしてその落書きを一目見ようと命知らずがここを訪れるのなら。答えは簡単です。消してしまえばいい。人間なんて実に単純で、現代に限った話かもしれませんが、自分の目で見た事しか信じない場合が多いです。だから今日に至るまで幽霊は居るとか居ないとか、ビッグフットは居るとか居ないとか言われている訳ですが、この性質を逆手に取れば、メリーさんの噂なんて簡単に消えますよ。たとえ誰かが写真を撮ってたとしても、現物が消えてれば「合成じゃん」とか「嘘乙」とか言う奴が絶対出てきますからね。そしてマイナスな意見程、基本的には人に伝播されやすいものです……まあ要するに、『メリーさんが居る』という噂で茜さんが困っているなら、噂が生まれた原因を消してやる事で『メリーさんが居ない」という噂を作って、それで上書きしちゃえばいいんですよ」
「成程、成程。創太」
「はいッ! 何でしょうか?」
「お主、説明が下手だと良く言われぬか?」
「いえ、一度も言われた事ないですよ」
「ええッ!」
命様は硝子玉みたいに綺麗な瞳を大きく見開いて、それからあり得ないと自ら首を振った。
「いやいやいや! 創太よ、それは流石に嘘であろう。お主の説明が上手いならば、最初から先程の言い方にすればよい筈じゃ。それなのにお主と来たら無意味な仮定と蛇足な話をだらだらと、本当に一度も言われなかったのなら、今、妾が言ってやる! お主、説明が下手くそじゃ!」
「ほっといて下さいよ! 大体怪異を助ける事になるなんて思ってなかったんですから、偉そうに言いましたけど俺だってまだ自信が持ててないんですよッ。本当に思い通りに行くのかなってッ」
「行く訳ないじゃろう!」
「神様が全否定したあああああああ! 神様は人々に希望を与えなきゃいけない存在なんですよッ?」
「なーにが希望じゃアホらしい! 妾も希望を持って二百年あまり信者を待っておったわ! 妾でさえ思い通りにいかぬのじゃから、俗世も当然思い通りにはいかぬじゃろう。全否定して何が悪いッ!」
「ええ、そんな開き直られても―――」
「で、私はどうすればいいのかな?」
強引に会話に割り込む形で、茜さんが尋ねてきた。その顔には露骨にイラつきが表れており、遅まきながらまたも脱線していた事に気が付いた。
「えっと……取り敢えずラブホテル全体を探して、メリーさんの噂が広まるきっかけになった物を探しましょう。それが何なのかは全然分かりませんけど、噂になるくらいですし、そこそこ見つかりやすいものの筈です」
「それは、三階から感じる気配だったりするかい?」
「…………気配って、そう言えばさっきも言ってましたね。何なんですか、その気配。命様も感じないみたいですし、普通とは思えないんですけど」
「…………うーんとね。これは死体だよ。この忌々しい気配は魂の気配だ」