彼女との敵対
「…………ハア、ハア、ハア…………ふううう。本当にもう、俺は何回走るんだろう」
山をどうにかして学校のすぐ傍まで移動できないものだろうか。そうすればもっと楽に通えるし、走らなくて済む。まあ実際には費用が尋常ではなくかかる処か、普通に異能力でも使えない限り不可能なので、実現するとは思えない。
多分そんな事するより黄泉平山のマップを把握した方が幾らか懸命だ。今も俺は勘で神社まで歩いている。信者としてどうかと思うが、どうしても道筋を覚えられないのだ。木ばっかりで視界に変化がないから気のせいだと信じたいが、何だか山に入るたびに姿が変わっている様な……そんな気さえする。それでも勘で辿り着けている内は良いが、いつかはハッキリさせねばなるまい。この山の真実とやらを。
「おお、創太! 待っておったぞ!」
「ん……命様?」
今までの経験から言えば神社の中に入ってから声を掛けられたり、俺が声を掛けたりしたので、このパターンは新鮮だった。階段の先を見上げると、鳥居の上に足を放り出して座る命様の姿があった。あの勾玉を誰かにかけなければ彼女は神社の外には出られないので、あそこに座っているという事は、恐らくあそこが単独移動出来る限界なのだろう。
いつもの流れで階段を上ろうとすると、鳥居の上から命様がそれを制した。
「あーそこで良い、そこで良い! 今からこれを投げるから絶対に受け取るのじゃぞーッ!」
「は? え、ちょっと何を―――いやいやいや! 無理無理無理! えちょっとマジで―――!」
普段の敬語も忘れて、全神経を空中へ。彼女が放ってきたものを両手で包み込むようにキャッチして中身を見遣ると、昨夜使ったばかりの勾玉だった。少しだけ考え込んでから首にかけると、命様が着地の事も顧みず飛び降りて、大きくよろめいた。
「命様ッ!」
物理法則に支配されていない神様なのだから極論転げ落ちた所でどうという事は無いのだろうが、目の前で神様が無様な姿を晒すのを見たくないのは信者として当然の思いではなかろうか。俺も一瞬だけ足が引っかかって危うく運命を共にする所だったが、何とか命様を助けられた。
「おお……お…………お。危なかったのう」
「下駄で飛び降りるからですよ。ていうかもっとふわっと着地出来ないんですか?」
「出来るが、たまにはこういう降り方もありじゃろうと思うてな。言ってしまえば単なる気分じゃ」
「心臓に悪いからやめてくださいよ全く……で、どうしてこれを渡してきたんですか?」
「決まっとるじゃろう。この神社から外に出たいのじゃ」
「いや、そうじゃなくて。まさか現世巡りをよりにもよって昼にやるんですか?」
メアリに対する反応からして、『視える力』は俺以外に所有者が居ない。でなければメアリ大好きな奴等はメリーさん捜索の為にあんな大袈裟な事はしないし、俺の気持ちも分かる筈だ。とはいえ霊感がある奴はもしかしたら居るかもしれない。夜に出会わぬ可能性は無いが、より可能性の高い昼に出歩くのは俺的には避けたい話だった。命様の存在がメアリの耳にでも入ってみろ、いつも以上に付き纏ってくる未来が鮮明に見える。
「それこそまさかじゃ。何やら下の方では人の動きがおかしいではないか。そんな時に堂々と歩き回るなど愚の骨頂じゃろう。大方、メアリが扇動しているのではないのか?」
「―――まあ、そうですね。でなきゃこんな事にはなりませんから」
「じゃろうな。そうでなければ『お主』がここに来る理由はない……」
命様は俺に抱き留められながら、俺以外の誰かに視線を向けた。
「いつまでそこに立っているつもりじゃ。もそっと近寄るが良いぞ」
「え?」
彼女の視線の方向に俺も合わせるが、誰も居ない。命様に視えて俺に視えない道理はあるまい。何の為の『視える力』だと思っているのだ。しかし一分経っても二分経っても、それは姿を一向に見せないし視えない。
不思議に思い、近づくと、階段と壁との丁度死角になっている場所からソイツはひょこっと姿を現した。
「やあ、少年。二度と会う事は無いと思ったが、すまない。あれは嘘だった。全く以て不本意だけれども」
「うわッ!」
手間が省けたとも言えるが、こういう形で早期発見するとは思ってもみなかった。命様が俺以外に警戒心なく語り掛けている時点で第三者の正体は絞られていたが、だとしても俺の知らない―――例えば命様の神社が廃れる以前の知人とか、その辺りを想定していた。
「あ、茜さんッ」
「おや、本当にそう呼んでくれるとはね。嬉しい限りだよ。今となってはそう呼んでくれる人も、恐らく君だけじゃないかな」
「そりゃそう呼んでくれって言われたの俺だけですしね。でも手間が省けて助かりました。茜さん、一つだけ聞きたいんですけど、誰か攫ったり……殺したりしましたか?」
「おやおや、そんな回りくどく聞かなくても良いのだよ、少年。君はこう言いたいのだろう? 『メリーさんとして誰かに加害したのか』とね」
「仰る通りです。でもそんな言い方をするって事は、やっぱり茜さんは関わってないんですね」
言い終わった所で、命様を置き去りにしている事に気が付き、一時停止。俺に何かは言わないまでも、双眸に涙が溜まっていたので、慌てて彼女にも昨夜起きた事件及び俗世の動きについて説明をするが、メアリについて知らない人間に聞かせれば、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、リアリティが無くて、嘘を吐くならもう少しマシな嘘を吐けと言ってしまいそうなぐらい、自分でも訳の分からない説明をしたと思う。でもこれが、俺にとっての現実なのだから仕方がない。周防メアリが生きている限り、俺の発言の信憑性は確保されているのだ。
「―――成程のう。それで人の気配がこんなにも慌ただしいのか」
「はい。信じていただけるかどうかはお任せしますが……」
「何を言う、妾は信じるぞ! 信用とは互いに共有されてこそじゃ、お主が妾の信者である限り、妾もお主の発言を疑ったりはせぬよ。これでも妾、信者は大切にする方じゃからな!」
「そう言われましても、俺以外の信者が居た時代を存じ上げないもので……いまいち信用出来ないんですよね」
「ええッ? さっき信用は共有されてこそって妾言ったのにッ! お主は妾を疑うのかッ?」
「いや、信じない訳じゃないんですけど…………」
「あー! その眼は疑っておるな! これは折檻もやむなしか。望月の頃には覚悟するが良いぞ…………!」
「気が進まないって話は何処に!?」
夫婦漫才よろしく神様と仲良くじゃれていたら、今度は茜さんを置き去りにしていた。あちらを立てればこちらが立たずではないが、話がズレると必ずどちらかが蚊帳の外なので、さっさと本筋に入ろう。
「……で、実際どうなんですか?」
「付け加える余地もなく、君の言う通りさ。今回のメリーさん騒動に私は一切関係がない。灰色のコートがどうとか、瞳がどうとかそういう話は一切無かっただろう? やれやれ、せっかく噂に振り回されなくなったと思ったのに、やはり怪異は何処までいっても難儀な生き方しか出来ないものだね。本人は静かに暮らしたいのに、怖いモノ見たさに人が荒らすせいで、今じゃまともに街も歩けない始末だ」
「……でも茜さんって、俺が『視た』事で存在が安定したんじゃなかったんですか?」
「その件については今も感謝しているさ。けれども言霊は実に厄介極まる概念でね。魂とは違って、言霊は纏わりついてしまう。分かりやすく言えば……レッテル貼りって言うだろう? 本人が一切持ち合わせていない要素でも、レッテルが貼られていれば、それは持ち合わせている要素になる。男友達が多い等の理由でビッチのレッテルを貼られた処女、なんて特別珍しくもないしね」
「なんか生々しいというより、エグイ喩え出さないでくださいよ……ていうかそれは嫉妬みたいなものでしょ。周りの視線や悪評を気にしない人には通用しないじゃないですか」
「確かにその通りだが、それは人間、魂を持つ存在だからこそ可能な芸当だよ。確固たる意思を持っているとでも言おうかな。自分が何であるかを知っているからこそ振り回されない。強い生き方だ。仮にも怪異である私にはとても真似出来そうにない。少年のお蔭で存在そのものが振り回される事は無くなったが、あの街にはレッテルだらけだ。私の事など知りもしないのに、まるで私を見た様な情報ばかり。あんな街に滞在していたら存在が変質してしまいかねない。それもネガティブなものばかりだ。悪性に傾いたらどうする? 誰も責任なんて取ってくれない。私の存在など元は希薄だったんだからね」
ツッコむべきか悩んだが、ツッコまない方が良いだろう。既に変質は始まっているらしく、茜さんの左目には虹色が差し込んでいた。悪性に傾いたらと彼女は言うが、その発言には以前感じられなかった棘が含まれている。俺に言わせれば、既に幾らか傾いていた。
「それで、どうしてここに? まあ確かにここなら山ですし、言霊の広まりようはないかもしれないですけど」
「それはあるけど、この山は神域だからね。怪異は長居出来ない」
「神域? 確かに命様はいますけど、神域って程じゃ……一般的には自殺スポットですよ?」
「おや、そうだったのか。では怪異限定かな。この山に居ると体が蝕まれてしまうんだ。社の中は特にね。少年を待つまでもなく消滅していただろう。私がここに来た理由は―――大変情けないんだがね。助けてくれ。今頼れるのは、本物を知る君しか居ないんだ」
処女とかビッチとかそっち系の喩えが出たのは、噂の出どころが起因してます。




