毒と売女は紙一重 後編
後二話くらいで終わるかも。
「ええ、私は良く知っていますとも。妖に惑わされ発狂した天畧様のお姿を」
ここで彼が取り出したのは、手のひらサイズのレコーダー。再生ボタンを押すや否や聞こえてきた声は、金切り声にも似ていた。
『あの女誰!? 誰! 美しい……なんて認めない! この世界で一番美しいのは私! 私なのぉ! あんな女ちっとも美しくなんて…………! 美しくなんてええええええええ! ああ嫌! 私が美しいの! 美しいのは私なの! 何で、何でよお! お祭りの参加者の中には居なかった監視カメラにもうつってなかった全ての家を見て回ったけどあんな女何処にも居なかった! ……じゃあ私は、何の為に今まで生きてきたの? 一番になった筈、なのに。どうして、おかしい。これ以上何が足りないって言うの? 法律も倫理も民意も理も手に入れて、これ以上どうしたらあの女に勝てるって言うの!? 認められない……何で? 私、私は自分が一番美しいって思ってる。信じてた。筈なのに。信じられない
! 私! 私って何? 私じゃ完璧になれないの! 私……ねえ。どういう事なの? 教えてよ誰か……私はもう何もかも手に入れたの! これ以上美しくなるにはどうすればいいのよ! 誰か応えなさいよ! 私は世界で一番美しい女のよ! 世の雄には応える義務があるわ! 私があの女に負けない位美しくなるにはどうすればいいのって―――早く答えなさいよおおおおおおおおおおおおおおお!』
悲壮感に満ちた発狂は五分以上も続いた。恐ろしいのはこれが自問自答な上に、話が堂々巡りになっている事に本人が気づいていない事だ。何回も、何十回も、何百回も『自分が一番美しくない』という答えを突き付けて、勝手に傷ついている。答えは既に出ているのに、何度も同じ問いを出しているのだ。
「天畧様はご自分の身体では一番になれない事に気が付いた。だからこそ、メアリ様に目を付けたのです。天畧様にとって子供は只の道具でしかない。頂点を取った子供が自分を慕ってくれれば必然的に自分が頂点になると……そうお考えになられたのです」
「それもおかしくないですか? だってスパルタ教育で反省したんでしょ? 子供に慕ってほしかったら頭のイカれた行動はするべきじゃない。それを分かって無かったんですか?」
「天畧様は飽くまで資質の問題とお考えでした。実の娘ならばその資質があると発想に至ったのでしょう。事実として、メアリ様を教育なさっている最中は他の子どもに見向きもしなかった訳ですから。まあ失敗した方法を今更試す気にはならない、というのもありそうですが」
……形は歪んでいれど、天畧はメアリを愛していた?
いや、それはあり得ない。
道具扱いが愛しているなどとふざけた事を抜かす奴は俺がぶん殴る。それは愛が歪んでいるのではない。全くの別の感情が歪んで愛に見えているだけだ。天畧はメアリを愛していなかった。愛情を満足に受けなかった―――家庭環境の悲惨さが原因で犯罪を起こす人間は少なくない。メアリもそれに同じと考えれば納得がいく。影響力があまりに段違いだが、彼女はきっと愛されていなかった。
周防天畧が真にメアリを愛していたというならば、メアリの日記において『好き』という言葉はあそこまで歪曲しない。する筈がない。しようがない。世の中には親の資格など全くない人間が少数居るものの、周防天畧はその中で間違いなく頂点に位置するだろう。
毒親というレベルをとうに超えている。闇親と言うべきだ。
「天畧はどうやってメアリに自分の力を?」
「さあ、それは流石の私も知りませんが―――メアリ様が今、何をしようとしているかは分かります」
對我さんはレコーダーをポケットにしまい、強調して言った。
「メアリ様は全人類を平等にする気です」
月喰さんは世界中の信仰を己へ集めるつもりだと言っていた。見解が違うのは別にどうでもいいのだが、それは一体どういう事なのだろう。平等と一口にいっても、そんなものは『完璧』と同じくらい存在しえない概念だ。遍く努力が報われるべきという平等と能力に優劣はないという平等がまず同時に成立しない。神の力を以てしても、この理屈をひっくり返すのは不可能ではないだろうか。
「……天畧みたいに新世界を作る的な話ですか?」
「天畧様のお考えは自分が一番になる為の手段でしかありません。メアリ様は違います。メアリ様は全人類をご自身の容姿に変える気です。天畧様が最も重要視していた美しさ、そして価値を全人類に渡そうとしているのです。拒否権はありません。創太さんも、皁月莢も、そして私も。例外なくメアリ様の姿へとされてしまうでしょう」
「……成程。その様な腹積もりでしたか」
「え? 莢さん分かったんですか? メアリの思惑というか、計画の意味」
「ええ。ですが創太様には理解しがたいかもしれませんね。しかし信者の側になって気持ちを考えるくらいは出来るでしょう。考えても見てください。この世界で何よりも大切と認識している存在と全く同じ姿になれたら……信者はどうなるでしょうか」
俺で言えば姿が命様になってしまうのだろうか…………気分としてはそう悪くないかもしれないが、やはり命様は本人だからこその魅力だ。それに自分がなってしまったら、あの美しき肢体を眺める事が出来ない。
釈然としない様子の俺を見かねて、莢さんは溜めるでもなく答えを教えてくれた。
「行き過ぎた執着は時に同一化願望を生じさせます。一つになりたい、という感情です。メアリ様の信者にとって彼女の計画は何よりも都合が良い物の筈です。愛して止まぬ御姿になれるという事ですから」
「はあ……そういうものですか」
檜木創太にとっては地獄だ。何処を見渡してもメアリが居たら確実に気が狂う自信がある。アイツのせいで俺の脳内は事あるごとにアイツを引っ張ってくる無能と化した。彼女の最終目標の完遂は、同時に檜木創太という人間を精神的・肉体的に征服した事を意味する。
考えただけでもゾッとする。
「メアリが世界征服を完了するまでの期限は?」
「私にははかりかねます。ですがそう長くはないと思います」
「でしょうね」
その前に何としてでもキリトリさんを捕まえないと。焼け石に水程度の対処かもしれないがしないよりはマシだ。実力差が明白でも、勝負を挑めない理由はない。今は俺だけがアイツに勝負を挑める。
「―――私の知っている事は全て話しました。創太さん、貴方はこれでもまだメアリ様に楯突く気ですか?」
「当たり前ですよ。仕組まれた感情だってのは腹が立ちますけど、それでも俺はアイツを好きにはなれません。今も大嫌いです。具体的なビジョンは何も浮かんでませんけど、思い知らせてやりますよ。女子高生如きが世界征服出来ると思うな、厨二病も程々にしろってね!」
場の空気が張り詰めていたので少しでも緩和出来ればと俺なりに気遣った渾身のジョークだったが、莢さんも對我さんも誰一人としてその言葉をジョークとして受け取ってくれなかった。心は読めないが雰囲気は読める。二人は全く意思がブレない俺に感心している様子だった。
そんな風に反応されたら俺もジョークとは言えない。乗るしかなかった。
「…………メアリ様がご友人として扱うだけはあるのですね」
「俺は認めてませんからねッ? アイツが勝手に友達だとかどうのこうの言ってるだけで! 俺は断じて友達じゃないと思ってますから!」
俺がアイツと『友達』になる日は一生来ない。アイツがアイツである限りは絶対に。莢さんは銃を下したが、對我さんに正座をやめる気配はない。
「……もう正座を解いてもらって大丈夫なんですけど」
「いえ、そういう訳にもいきません。創太さんにお願いをしなければいけないのです」
「お願い?」
「貴方がメアリ様を嫌っている理由も知っています。ご友人でないと言うのならばこんな事は頼めないかもしれません。ですが私には貴方しか居ないのです。貴方にしか頼めないのです。お願いします。どうか。どうか―――」
―――メアリ様を、助けてください。
果たしてそれはどういう立場からのお願いだったのだろう。
周防家に仕えた護衛として?
天畧の異常さを知っている者として?
それともメアリの兄として?
莢さんは僅かに眉を顰めて、尋ねた。
「周防對我。貴方はどうしてそこまでメアリ様に肩入れなさるのですか?」
「……あの日が訪れる少し前。メアリ様が私に話しかけてきた事がありました。中身は何でもない只の雑談でしたが、その時語られたメアリ様の夢は『好きな人のお嫁さんになる事』でした。彼女は天畧様にとって特別でした。今となっては全世界規模で特別な存在と言えるでしょう。しかし本人が望んでいたのは日常。平凡な幸せでした」
託されたのは世界の希望。そして母親の歪んだ欲求。それは普通の少女が背負うにはあまりに重く、苦しい。
「私は今の状況を、メアリ様が自ら望んだものではないと考えています。人の本質は決して変わりません。あの後にどのような事があろうとも、私の知るメアリ様は変わっていないと―――信じたい。彼女にだけは幸せになってもらいたいのです。私や攫われた子供達の多くが天畧様から愛を受けずに育ちました。天畧様にとっては子供など替えの利く存在でしかなかったのですから当然です。しかし私にとってメアリ様とは、護衛すべき対象でもあり、守るべき子供でもあり―――かけがえのない、妹ですから」
「長い交流もないのに妹と呼ぶのですか? メアリ様を」
「妹ですよ。子供としては出来損ないの私が、母の愛を受けられないと分かっていてどうして護衛を続けていたのか不思議に思いませんでしたか? それはメアリ様の為なんですよ」
「メアリ様の?」
「天畧様には決して子供を育てられない。つばきを運営していた時から私が感じていた事です。藍之條幸音の逃亡を手引きしたのも、彼女の毒牙から一人でも逃がす為。メアリ様に対してもそのつもりでした。ですが、それは間に合わなかった。今の私に出来るのはメアリ様を観察し続け、その役目を誰かに託す事だけ。得るものはありません。自分勝手な願いと承知しています―――もう一度、お願いさせて頂きます」
深々と、頭を下げる。
周防メアリを、助けてください。
「メアリ様。そろそろ演説のお時間です」
「うん。今行く!」
扉越しの呼びかけに元気よく応えると、総理は緊張収まらぬ様子で続けた。
「いよいよ、世界平和が実現する時なのですね……! 世界平和を成し遂げた国として、日本は生涯称えられるでしょう。それもこれもメアリ様のお蔭です。誠に有難うございます」
「気にしないで! それに、一番とか二番とか関係ないよッ、だって平等だもんね。今から着替えるから、もう少し待っててよ!」
そうは言いつつ、着替えない。どうせ着替えなど瞬きする内に終わる。少し待たせるのに理由なんてない。只の気分。
私は空間に手を突っ込むと、何処からともなく一枚の写真を取り出した。檜木家の家族写真。創太君の家にあったものだ。まだ幼い頃の創太君とその他が映ってる。
……もうすぐ会えるよ、創太君。貴方ならきっと何かしてくれるって信じてる。世界征服されるのは嫌でしょ?
写真を裏返すと、アルバムに早変わり。中には今まで撮った写真が収蔵されてる。例外なく創太君は収まっている。他の子は邪魔だから塗り潰した。このアルバムに映る人物は私と創太君だけ。それ以外の写真は全部燃やして灰にして枯れた木にでもばら撒いた。そうしたら桜が咲いちゃった。松の木なのに。
……私達は赤い糸で結ばれてるの。創太君はさ、その赤い糸で私の首を絞めてくれるのかな。首の骨が折れるまで? それとも首が切れるまで?
「じゃあ行こっか! 総理」
期待してるよ。出来るだけ早く、私を てね。




