命を継ぐもの
「……何かあったのですか?」
「ん?」
夕食の支度を終えた莢さんの呼びかけに応えるや否や、不意にそんな事を尋ねられた。
「何かって、何です?」
「私が声を掛けた時、真っ先に降りていらしたのは創太様ではなく幸音様でした。無礼を承知で敢えて申し上げさせていただきますと、彼女にそのような積極性は無かった筈。貴方様と何かあったと考えるのが無難でございます」
「ああ、そういう発想の仕方ですか。確かにありましたよ。それも特大の奴がね」
先程までの流れを簡潔に教えると、莢さんは少し意外そうに眼を見開き、それから嬉しそうに顔を緩ませた。メアリへ続く手がかりが手に入るのは俺も嬉しい。つられて俺も笑んでしまう。
「流石でございます、創太様。私の眼に間違いはございませんでした。流石はメアリ様のご友人でございます」
「嫌味ですよね?」
「これでも褒めているつもりなのです」
「いーや絶対に嫌味です! 大体あっちが勝手に思ってるだけで俺は友達になったつもりなんて無いんですから!」
誰があんな気持ち悪い奴と友達になんかなるか。照れ隠しと思うのは勝手だが、俺は本気でアイツが嫌いだ。だからと言ってそこに仕える莢さんまで嫌いになったりはしないが、その褒められ方は流石に複雑である。
「二人共! 早くご飯食べましょうッ! その後再戦お願いしますッ!」
俺達がじゃれていると、待ちきれなくなった幸音さんがカンカンとフォークを叩きつけて呼びかけてきた。
行儀が悪い処の話ではないが、視線を横にずらすと莢さんと目が合った。決して無表情ではないが、眉を顰めている辺り幸音さんの行動を看過出来ていないと見た。
「…………取り敢えず食べましょうか」
「……ええ。そうですね」
最低限のマナーさえ知らない彼女を見て何を思ったか。それは本人のみぞ知る事である。
夜食も入浴も済み、後は就寝するだけだ。昨日の如く俺は彼女に添い寝してもらっていた。家に居る時に感じていた寂寥感はこれだけで大分薄れる。二人だけで話したい事がある時も結局部屋に戻ればいいだけなので何かと便利だ。莢さんが俺の家にいる限り、多分俺は添い寝を頼むだろう。
「それで、さっきの話ですよ」
「チェスの話ですか?」
「チェスの話じゃないですッ。『つばき』の話ですよ。幸音さんにはもう地図を書いてもらいました。メアリの母親から教育を受けただけあって滅茶苦茶上手いですね。いつ頃行きましょうか。こっちはいつでもいいですけど……」
「煮え切りませんね」
「まあ、こっちはこっちで進めている事があるので」
空花の演技は今の所バレていない筈だ。いつキリトリさんが襲撃してきてもおかしくない以上は、どうしても言い切れない。空花は俺を信じているのだから、何としてでも助けてやらなければ。あれはあれでメアリの世界征服を少しだけでも止められるかもしれないので、作戦を中断しようとは微塵も思わない。
どっちも大事なのだ。メアリを倒すにはこれくらいの無茶は許容範囲とすべきである。比喩でも何でもなく、今の俺達は文字通り神に楯突いているのだから。
「私もいつ……いえ、三日後でどうでしょうか」
「何か予定が?」
「どのような危険が潜んでいるかも分かりませんから、少し服装と荷物を改めて参ります」
「三日も必要ですか?」
「女性は外見を整えるのに大変な時間がかかるのですよ、創太様。もし、これから貴方様が恋の一つでもなさるおつもりならば、覚えておいて損はないかと」
残念ながら俺の恋は命様に向けられている。そして彼女は神様だ。整えるものが何もない。空花を除けば俺の知る女性陣は殆ど人間ではないので、莢さんの心構えは全く当てにならない。
仮に当てになったとしても、莢さんには当てはまらない。
「百歩譲って一日はまだしも、三日間は絶対に無駄ですよ」
「無駄かどうかは主観に過ぎません。メアリ様はゲームが大好きでいらっしゃいましたが、天畧様から『美しさに関係ないものに触れるな』と悉く投棄されていました。私には必要な三日間なのです。ご理解頂けたら幸いです」
その例えはズルい。
アイツがゲーム好きだったなど初耳だが、そう言えば被害者の中にオンラインゲームのフレンドが居た気がする。俺が知らないだけで、実は色々なゲームに触れていたのかもしれない。時間は一日二四時間だが、彼女の力を以てすれば幾らでも拡張可能だ。それはループに巻き込まれてしまった俺が保障する。
「分かりました。三日後で」
三日も経過していると、キリトリさんがいつ襲ってきても不思議じゃない。空花がどれだけ過激信者としてアピール出来ているかにもよるが、そこには微妙な匙加減が求められる。噛み合わない時に襲われたら、俺は助けに行けない。
「感謝いたします。それではまた明日」
「はい。おやすみなさい」
ゆっくりと瞼を落とす。意識が闇に落ちるのは早かった。
気が付いた時、俺とメアリは展望台に立っていた。星一つない世界で彼女は何故か下に傾いた望遠鏡を覗き込み、闇夜に紛れた何かを眺めていた。
「ねえ創太君。視えてるものが全てじゃないって知ってた?」
今度は喋れない。これが夢だと気が付くのに時間は掛からなかったが、コントロールも出来なければ覚醒も出来なかった。非常に業腹だが、メアリの話を聞いてやるしかないようだ。
「視えてるものが真実でも、視えなければ幻。視えなきゃ真実でも、視えたら幻。現実って何だろうね。じゃあ私は生きてるのかな、死んでるのかな。どっちが幻でどっちが真実? 創太君は? サーヤは?」
そんな事を尋ねられても困るが、一つ確かなのは夢でも現実でもこいつの本当の表情は完璧に死んでいるという事だ。無表情の極致とも言える鉄仮面。笑っていても、そうは見えない。言葉だけでは説明できないが、もしも俺と同じ様な奴が彼女を見た時、きっと同じ感想を抱くだろう。
「創太君も他の人も、何も変わらないんだよ、きっと。現実なんて曖昧だもんね。自分の好きなように生きるのが最適解な時点で、答えなんてものは存在しちゃいけないんだよ。本当はね」
それは信者に対する皮肉だろうか。彼等にとって神羅万象全ての答えが『メアリ』にある。故に彼等はメアリを崇拝する。存在しちゃいけない答えを追い求めて。
「みんなね、怖いの。自分の知ってる世界が壊れるのが。だから受け入れるの。狂気を見つめたくないから。私も一人知ってる。自分が一番美しいなんて自惚れたばっかりに狂ったアバズレの事。受け入れるのってとても大切なの。きっと、生きる上ではね」
俺は受け入れられなかった。周防メアリという世界の異常をどうしても受け入れられなかったし、迎合する事も出来なかった。そのせいで俺は荒んだ家庭環境のまま十六年を過ごし、友達からも、社会からも孤立した存在となってしまった。
命様と出会うまでは。
「―――私ね、まだ本当の事誰にも言ってないんだ。だって知ってるから。存在しちゃいけないの。自分の知ってる世界を壊したくないんだ、他人様は自分勝手なんだよ。貴方も、私もね」
こいつが何を言いたいのかサッパリ分からない。
次の一言で、俺は夢から追い出された。
「ねえ。誰にも迷惑を掛けないようにする方法、教えてよ」




