周防天畧という女
何故知っているか。知らない筈がない。知らなければおかしい。アマラ等という珍しい名前がそう何人もいるとは思えない。その名前が指す先は少なくともこの月巳町においてはたった一人しか居ない。
周防天畧。メアリの母親にして、最悪の女性だ。
知りもしない―――それどころか、メアリに廃人にされてしまった人間を悪く言うのは憚られる所だが、彼女の所業を追っていく内にそんな思いは霧散してしまった。俺の人生を滅茶苦茶にした元凶はメアリだが、そのメアリを形作ったのは彼女。簡単に言ってしまえば元凶の元凶だ。悪印象を抱くなという方がむしろ無理である。
「……幸音さん。今から俺の言う事をよく聞いてください。信じられないかもしれませんが、アマラは……周防メアリの母親なんです」
…………………………………。
幸音さんが露骨に固まった。前置きを受けて尚、言葉を理解出来ないと言いたげだ。自分の母親だと思っていた人間がメアリの母親だった。字面だけではさっぱり意味が分からない。いや、異父姉妹という事で決着出来るが、感情の問題として。
ドラマ知識で申し訳ないが、親となった人間が子供に血が繋がっていない事を伝えるのに苦悩するシーンがあるだろう。俺もそうだが人は筋の通った理屈を好むが故にあまりにもぶっ飛んだ事実は理屈として処理出来ない。
「な、何を言ってるんですか?」
「アマラなんて名前がそう何人もいると思いますか? 俺の知る限り、自分の子供に完璧を求めたがるアマラは周防天畧を置いて他には居ないと思います。問題はどうして幸音さんの苗字が違うかですけど」
メアリの日記を見る限り、周防天畧は支配欲に満ちていた。落ちこぼれであれ何であれ子供の苗字を自分に合わせないというのは不自然だ。周防の苗字を継いでくれた方が俺としても早期にメアリとの関連性に気付けたから良かったのだが、そこまで行くと流石に都合が良すぎるか。
この疑問に答えを提示したのは、他でもない幸音さんだった。
「―――お母さんと私、血縁関係ないです」
「え。でも幸音さんのお母さんは天畧なんでしょ? ……ああ、あれですか。本当のお母さんを亡くしちゃって、そこを天畧に拾われたみたいな」
「孤児じゃないです。血の繋がったお母さん、ちゃんと居ました。でも顔を思い出せません」
幸音さんが孤児だと言うのなら『つばき』は孤児院として機能していた建物だと結論付けられたが、本人か前提をキッパリ否定されてしまった。何やら不穏なニオイがしてきたが、俺は再度機械的になりつつある幸音さんからどうにか状況の聞き取りを試みた。
最終的に至った結論は、聞く人が人なら血の気の失せるものであった。
「……冗談、じゃないですよね」
「はい」
「おかしいって思わなかったんですか?」
「先生にも同じ事を言われました。でも当時の私は、何も疑問に思いませんでした」
幸音さんが『周防』を名乗らない理由に複雑性はない。単純に血が繋がっていない―――そもそも、彼女は天畧に誘拐されているのだから。
極めて単純明快。理屈としてはこの上なく筋が通っている。他人の家の子供を誘拐したなら、周防の苗字には絶対にならない。その癖天畧は誘拐した子供に対して『貴方は私の子供』と納得させた上で教育していたのだ。ご丁寧に本当の両親の記憶を消して。
天畧が変わったのは月喰さんが切っ掛けらしいが、彼女の美貌がそこまで人間を狂わせるものだとは知らなかった。普通なら犯罪者と罵られ、法律によって淘汰される所を逆に制圧した周防天畧の狂気は留まるところを知らない。彼女にとって完璧とは、それに付随する最上の美貌とはどんな物よりも優先される目的だったのだ。
でなければ他人の子供を誘拐し、あまつさえその子供に虐待など行えない。周防天畧にとって他の人間は、道具でしかなかったのだ。
「……幸音さん。その『つばき』って建物、何処にあるんですか?」
「わ、私を連れて行くつもりですかッ!」
「え―――」
「嫌です嫌です! 絶対に行きません! お母さんはきっとまだ私を探してます! 戻りたくない!」
すっかり過去を話してくれたからもう大丈夫だろうと、気軽にその名前を出したのは迂闊だった。幸音さんは体育祭で見せた鈍さからは想像もつかない身のこなしで布団に包まり、顔を引っ込めてしまった。あまりにも一瞬の事で、俺は暫く呆気に取られてしまう。地雷を踏んでしまった事に気付いたのは、暫く後の事だった。
何気ない流れから情報を得られた事で油断した。跋の悪さから後頭部を掻く。俺は『つばき』に行きたいが、幸音さんは『つばき』に行きたくない。だが建物の場所は彼女しか知らないので、案内してもらわねばそこには辿り着けない。
……どうしたものだろうか。
「幸音さん。周防天畧は絶対に探してないと思いますよ。だって、他でもない実の娘に廃人にされちゃったんですから」
その言葉を聞き、幸音さんの顔が上半分だけ飛び出した。
「それにつばきが運営されていたのは六十年以上前の話です。とっくの昔に廃墟だと思います」
「えッ」
今度こそ幸音さんの顔が現れた。その体躯に六十年もの歳月が重なっているとは思えない。どこからどう見ても十四歳程度の少女だ。人間は人間である限り年を取れば自ずと外見も変わる。不可視の存在か妖怪でもない限りは生物全てに言える不変の法則だ。
神の力を保有してさえいなければ。
「幸音さん。貴方―――不老ですよね?」
周防天畧が己の力を全てメアリに譲渡したのなら、彼女もまた不老不死になっている筈。にも拘らず彼女はしっかりと年を取って、俺と同じ学級に居る。それはつまり『メアリに全ての力が渡された訳ではない』という事実を表している。その前提に加えて六十年というズレを持った『つばき』という誘拐児童教育施設があわされば、この仮説が出てくるのは何ら不思議ではない。
誘拐された子供は、神の力を極一部分け与えられたのではないか、と。
この様に考えれば時系列のズレも解消出来るし、あのつかささんが彼女を引き取った理由にも説明がつく。不老不死は現代においても研究されている人類のロマンだ。その一部を叶えた少女を手元に置けると思えば―――彼なら引き取るだろう。
幸音さんが彼を好いている原因は、恐らく自分を引き取って認めてくれたから……それが全てではないにしても……だろうが、そう考えるとつかささんは完璧な打算で幸音さんを引き取った事になる。
積極的とか消極的とか以前に、恋が発展する土壌がそもそも育っていなかった訳で。そりゃあ発展しない。
「……ふ、不老? 私がですか?」
「気付いてなかったんですか? 一年二年ならまだしも六〇年も経ってるんですよ? 流石に気付きませんか?」
「逃げるのに必死だったので…………」
月天燐の森は危険な場所ではないが、世間から隔絶されている場所ではある。そこに存在する建物に……例えば時計やカレンダーが無かったとしたら、時間感覚を失っても無理はないかもしれない。
まるで必需品の様に時計は何処にでもあるが、それは社会構造上必要なだけで単に生存するのみに絞ればむしろ不要な物体だ。そんなものが無くとも朝は来るし夜も来る。雨も降れば雪も降る。女性としての『完璧』を求めるのにも勿論必要ない。
誘拐された子供が全員不老ならば寿命による死にも遭遇しないだろうから、時間を感じられないのは別段不思議ではない。
『つばき』に行った事もない俺が何を言っても推測にしかならないが、これら全てが正しいのだとしたら。藍之條幸音は過酷と呼んでも生ぬるい環境で六〇年も生きていた事になる。そんな自分に安住の地を与えてくれたつかささんに依存するのはある意味当然で、離れたくないと駄々をこねていた理由も今なら分かる。
「―――だから貴方を連れて行こうとは思いません。意味ありませんからね。でも俺には『つばき』に行かなきゃいけない用事があるんです。もし『つばき』が健在なら途中で引き返しますし、天畧が居た日には死んでも守ります。幸音さん、協力してくれませんか? 貴方の事が必要なんです」
「……具体的に、どんな協力をすればいいんですか?」
「案内して欲しいんです。『つばき』に。目印になりそうなものがあるならそれを教えてくれるだけでも良いです。地図でも構いません。とにかく俺を『つばき』に導いて欲しいんです……お願いします!」
メアリを倒す為なら、手段を選ばない。世界をアイツの好きにはさせない。そんな思いから俺は彼女に土下座をした。軽々しく行ったつもりは一切ない。頼み込まなければいけない時だからとやったまでだ。幸音さんは年上からの土下座に狼狽えていた。布団から離れ、慌てて俺の頭を持ち上げる。「やめてください! そこまでしなくても…………」
幸音さんの言葉が何故か詰まった様子。その後も彼女は言葉を発さずして苦しみ、何か葛藤している様子だった。
「………………じゃあ、一つだけ約束してください」
「はい?」
「―――私、檜木さんを抑えてくれって先生に頼まれたんです。だから何があっても先生の邪魔も詮索もしないって約束してくれるなら……………………地図、書きます」
そこまで念入りに俺を妨害するとは、一体何をしているのだろうか。只、どんな事を企んでいても今の俺には知る術がないし、これから知る事もない。
首を縦に振ると、幸音さんは俺の手を取って、顔を輝かせた。
「ありがとうございますッ!」




