空の想いに比類なし
斯くして囮役は空花が引き受ける事になった。納得はしたが心配していない訳じゃない。彼女に何かあったら俺の責任とさえ言ってもいい。
空花のままでは俺の彼女という立場から抜けられないので、暫く彼女には変装をしてもらう事になった。また、期間中は俺と一切接触出来ないのもあってか、やたらとベタベタしてきた。普段は嫌がる所だが、今日は特別だ。
「うーん。口元まで隠した方がいいかな」
「体型も出来るだけ隠した方がいいぞ。お前みたいなスタイル中々居ないからな」
「体型だけで気付かれるかな?」
「気付く奴は気付く。念を入れるに越した事はないだろ」
しかし人そのものを大きく隠す服は中々ない。いや、ある事はあるのだが、絶妙にダサいのだ。お洒落などに気を遣う場合ではないかもしれないが、あまり無頓着でも怪しまれかねない。お洒落のセンスが欠落した俺がどうこう言える話ではないので、こればかりは本人のセンスに任せる。
「所で、一緒に来て大丈夫だったの? おにーさんと一緒に居たら私の正体直ぐ分かっちゃいそうだけど」
「買う時に一緒に居なかったら大丈夫だろ。事前に計画を教えてる訳でもなし。それよりも心配なのは本当に引っかかってくれた後だ……絶対に守るつもりだけど―――俺は俺を信じられない」
今まで俺が何か出来たか。
絢乃さんを守れたか?
メアリに対して一度でもお返しをしてやれたか?
命様の信者を増やせたか?(あれは清華のお陰みたいなものだ)
そう、俺は殆ど無力だ。全くとまでは言わなくても自信を持てる程成功体験はない。家族には罵倒されてばかり、他人には嫌われてばかり。俺が認められる事は終ぞ無く、世界は順調に終焉へ向かっている。
こんな状態で自信を持てるのはよっぽど変わった奴だと思う。今は羨ましい。
「ね、おにーさん。ちょっと屈んで?」
「あん? 何だ何だ?」
言われるがまま体を屈めると、彼女は足りない身長を背伸びで補い、頭を優しく撫でてきた。
「おにーさんなら大丈夫だよ! 私が保証するッ」
「……そう言ってくれるのは嬉しいが、根拠は……」
「ない!」
極めて明快にそう告げつつ、しかし空花は自信たっぷりに付け加えた。
「おにーさんなら何でも出来るよッ! 時間はかかるかもしれないけど、メアリさんを打倒するのだって絶対出来る!」
その自信は何処から来るのだろう。自分が自分を信じられていないのに、何故俺は空花に信用されているのか。よく分からない。分からないが……そこまで断言されると、本当に出来る気がしてきた。
根拠はない。
「難しき考えすぎなのおにーさんは。自信に根拠とか要らないんだよ。だって心は目に見えないもの。そこから生じる感情にどうして論理的な証明が必要になるの? 私はおにーさんが守ってくれると信じてるし出来ると思う! それくらい単純に考えた方が気が楽だよ?」
「……俺はそこまで馬鹿じゃないんだが」
「あはは! 遠回しに馬鹿にされた感じ? でもざーんねん♪ おにーさんは馬鹿だよ。だって頭の良い人はメアリさんに抗おうなんて考えないしね」
その通り。メアリは絶対に失敗しない完全無欠の存在だ。彼女に全て任せていれば世界はより良い方向へ発展する。
俺が彼女の思い通りにはさせまいとしているのは、単なる我儘だ。だから言い返せない。
「おにーさんを信じてる私も馬鹿かもしれないけど、もうそれで良くない? 自信が持てるなら馬鹿でも阿呆でも何でもいいでしょ? 何事も自信を持って取り組むのが良いに決まってるんだから! ね?」
命を賭した少女の精一杯の励まし。俺のネガティブは筋金入りだが、それでもこの場面だけは筋を曲げなければいけない気がした。
中学生の女の子が俺に命を預けているのだ。友達として、同じ神を信仰する信者としてそれを裏切ろうとは思わない。
「……ああ、そうだな」
迷いは、ふり切れた。
メアリの仮面を被った子供達とすれ違う。俺は一人帰路についていた。
茜さんは噂の起源となったラブホテルに暫く引き籠るらしい。別れ際の顔は半分以上メアリになっていたが、『本人』を見た時の嫌悪感は感じなかった。事件が解決するまでは会う事もない。本人は最後に自らを戦力外通告して姿を消した。
命様は空花についていくらしい。万が一襲われても力を失ったままの彼女では何も出来ないが、それでも『中途半端に首だけ突っ込むのは己が矜恃に関わる』らしく、最後まで見届けるつもりだ。
夏休みが終わるまでの数十日。そこを過ぎれば空花は家に帰らなくてはいけなくなる。それまでに何とかしてキリトリさんを捕まえられれば俺達の勝ち。そうでなければ負け。こちらから手を出せる事は何も無い。どころか手を出す事自体が悪手になるので非常にもどかしい。
しかし、だからといって休んではいられない。
俺は同時進行で幸音さんとも親交を深めなければいけないのだから。
様子のおかしな信者がくれた情報。それはきっと無関係ではない。つかささんが何をしようとしているのかも気になるし、全てを知りたいなら尚の事彼女と仲良くならなければならない。
様子のおかしくなった世界は、服屋を出た時には正常化していた。まだ世界を支配するには信仰が足りないのか、それとも……アイツが玩んでいるのか。
人々は変わらずメアリにご執心だが、世界が戻っただけでも良しとしよう。あのまま狂わされていると、莢さん等が外に出られないし。
「ただいまー」
昼に帰宅すると、とても不思議な気持ちになる。莢さんの試みはどうなっただろうか。幸音さんは警戒心がかなり高いから易々と成功しているとも思えないが―――
「チェックメイトです。動かせませんよ」
「ああダメ! 待って、え? だってこっちに動かせば……逃げられるじゃないですか!」
「こちらにルークがございまして」
「え? あ……じゃあこうですッ」
「ポーンはそのように動けません」
リビングでは、二人がチェスボードを広げてゲームをしていた。
幸音さんは悪あがきかそれともルールが分かっていないのか、必死に動かそうとしては莢さんに制止されている。
「も、もう一回です! 今度は勝てます!」
「吝かではございませんが、少々お待ち下さい。お帰りになられたので」
莢さんの瞳がこちらに向けられる。遅れて幸音さんも俺の存在に気がついた。
「……あ」
更衣室をたまたま覗いてしまった状態に近いかもしれない。この気まずさは。
「チェス……やってたんですね。勝てましたか?」
「……ぜ、全然。じゃ、じゃあ私はこれで失礼します!」
脱兎の如く部屋に引きこもらんとする彼女の細腕を俺はしっかりと掴んだ。
「いやいやいや! 別に遊んでてもいいですって!」
膂力では比べるべくも無く勝利しているが、幸音さんは抵抗を止めない。ボードゲームをする姿がそんなに恥ずかしかったのだろうか。
側面の莢さんはまるで目の前の出来事を認知していない。
「創太様。お帰りなさいませ。御用事はもう済ませられたのでしょうか」
「莢さんも冷静に歓迎してないで幸音さんを引き止めてくださいよ!」
「そう申し付けられましても……ああ、いえ。畏まりました。幸音様、今度はトランプで一勝負いたしましょう。創太様も参加なさいますか?」
「少しは取り乱せ!」
無茶苦茶な主人の言い分にさしもの莢さんも首を傾げるしかなかった。
……どういう状態だ? これ。
もう一話出す




