名在異世界
「ふざけんなよ……この!」
何度も石を叩きつけた。何度も何度も何度も何度も、執拗に、過剰に、不必要な程に。
テレビは壊れただろう。粗大ゴミとして胸を張って出せるくらい完膚なきまでに壊した。それなのにも拘らず画面は鮮明で(画面だけは罅一つ入らない)、機能停止どころか劣化さえ見せない。テレビが画面だけで起動すると思ったら大間違いなのだが、このテレビはまるでその為だけに役割を与えられたようにメアリ特集を放映している。
もう疲れた。
「……やめだやめだ! このクソテレビ全っ然壊れねえじゃん!」
骨折り損のくたびれ儲けとはまさにこの事。労力に対して得たものは疲れだけ。割に合わない。このテレビはダイヤモンドか何かで……いや、ダイヤなら簡単に壊れるか。
窓ガラスはテレビ画面に、側溝には碧色の液体が流れ、水面にメアリの顔が浮かばせている。
頼むから誰か状況を説明してほしい。
俺は神様ではない、過程と物理法則を無視して滅茶苦茶な現実だけ突き付けられても理解し得ない。メアリのせいという事は分かるから先程はあんな暴挙に出たが、何があった。
周防メアリに不可能はない。俺は奴が死を覆す事も現実を歪められる事も知っている。全部知っている。あらゆる力を知っている。
その上でもう一度言わせてもらう。
何があった?
分からないとは言わない。メアリの所有する力の根源を把握すればこれくらいは造作もないと理解出来る。それでも世の中には納得の行かぬ事がある訳で。
まず、日本がこんな事になったのは確実にメアリのせいだ。これは人の仕業ではない。文字通りの神業だ。その理由は……『正常』な残党を一網打尽にする為だろう。既に特集が組まれているこの状況、何をせずともSNSとメディアがメアリの力を伝播させていくだろうが、念には念をという奴だ。
本題はここから。対応策が何故こんな奇妙なのだ。見渡す限りあらゆる現象、物質にメアリが付与されている。直接見た訳ではないが恐らくは日本中がこうなっているだろう。だがもっと効率の良い方法があるはずだ。例えば日本中に轟く音を出してそこにメアリの情報を混ぜるとか。これで信者を増やせるかどうかは分からないが、ここまできたらなんでもありだ。妄想じゃない。
俺の案を妄想と言うのなら俺の見ている世界は子供の落書き以下の代物だ。
ある種の虱潰しを体現したこの手法にはどのような評価も似つかわしくない。強いて言えば馬鹿の考えた最高に賢い布教方法だ。
「おにーさん! こっちこっちー!」
黄泉平山に向かう最中、先にこちらを発見したのは空花だった。彼女の声を頼りに視線を何度か周囲に巡らせると、豆粒程の大きさだが発見出来た。しかし身長が記憶と一致しない。屋根から顔が見えるくらい空花は大きかっただろうか。
答えは近くに寄った事で判明した。彼女はそこかしこにばら撒かれたテレビを積み上げて高台にしていたのだ。
「えええ!? お前何してんのっ?」
「おにーさんに聞きたい事があるんだー。……何これ?」
「俺が聞きてえよそんなのは!」
数少ない例外である空花と言えどもこの状況には困惑を隠せない様子だ。だがその前に俺は当たり前のようにテレビを積んで高台として使い始めた彼女の脳みそを疑いたい。
「お前こそ何考えてるんだ? テレビ積むなんて何考えてやがる」
「だって散らばってたし、片付けるでしょ普通は」
「どう見ても利用してたよな? するなとは言わないが、悪目立ちはしない方がいいぞ。ただでさえ世界がおかしいのに行動までおかしかったらいよいよ狂人だ」
「でも町の人、このテレビ見えてないみたいだよ?」
「え?」
これだけ散らばったテレビに気づかない筈がない。半信半疑で通行人を待つと、スーツの男が歩いてきた。地面には空花の片付け忘れたテレビが残っている。
「……あ?」
メアリの信者であるならば、少しでも彼女の顔を見ようとテレビに食いつくか、もしくはそれに類似した行動を取る筈だ。少なくとも俺の知る信者はそうだ。伊達に十年以上も付き合ってきた訳じゃない。俺より信者の生態に詳しい人間はこの世に存在しない。
だが男は、テレビなど存在しないかのように歩き去ってしまった。
「……あれは、無意識なのか?」
「他の人もみんなそんな感じだから、多分そうだよ」
テレビは在る。俺が破壊を試みた時点でそれはどんなふざけた状態であろうとも存在する。しかし俺と空花以外―――恐らく影響を受けていない者を除けば、あのテレビは視えていないのだ。
幻覚を見ている可能性はない。信者は視えていないにも拘らずちゃんとテレビを避けている。夥しい量の野良テレビは普通ならば簡単に足がぶつかってしまうのに。肉体が触れまいとしているのだ。
「じゃあお前がテレビ積んでたのって、側から見たら宙に浮いてたのかもな」
「あ、そういえばそうかもね! おにーさん凄いッ」
「笑い事じゃねえよ! ……こりゃ、本当にまずいな」
「何が?」
「お前も知っての通り、可視の存在と不可視の存在には決定的な境界線がある。文字通り絶対不可侵の境界だ。これがある限り、俺達は一生交わらない」
メアリが幽霊や怪異に出会えないのは致命的な霊感の無さもあるが、根本的に不可視と可視は交わるべきではないのだ。月喰さんだって婿選びという事情がなければわざわざ干渉したりしない。命様も俺と出会わなければ、ずっと一人ぼっちであそこに居たのだろう。
「だけど、信仰が増してアイツの使える力が増えたらどうなる? 今でさえ在る筈のものを無くし、人間の認識を自由に弄れるんだぞ?」
「……あ、そっか。境界線が―――」
「その通りだ。アイツが全世界の信仰を手にした瞬間、境界線が完璧に崩れる。命様や茜さん達にも被害が出るんだよ」
他人事では居られない。
俺達に安全地帯などなかった。周防メアリが完成してしまえば、黄泉平山も陥落する。この地球そのものがメアリの庭になってしまう。
「早く命ちゃんの所に行こうッ。おにーさん案内して!」
「言われなくても案内してやるよ! こんな気色悪い風景見てられないからなっ!」
「やあ、少年」
「茜さん!?」
何処で落ち合うかは全く決めていなかった。俺は相手が茜さんだから大丈夫だろうと根拠のない推測で楽観視していたが、一方の彼女はちゃんと頭を使っていた。
確かに命様の神社前なら、確実に俺と落ち合える。が、それにしたって不思議な部分は多い。
「怪異にとってここって毒だったんじゃないんですか?」
「よく覚えていたね。ここは神の在す聖域だ。私みたいに穢れた存在が立ち入って良い場所じゃない。だが仕方ないんだ。これも『茜』を保つ為。これ以上あの町に留まるよりはマシだとも」
「……それは、どういう?」
言わんとしている言葉は察している。しかし直接この耳で聞くまでは信じられない。きっと絶望してしまうから。
「幽霊と怪異の話を以前したね。魂という起点がある幽霊と違い怪異は不安定な言霊が起点だと。私は君が視てくれたお陰でこの姿を保てていたが、どうもあの町にいると上書きされてしまうんだよ。周防メアリの姿にね」
そう語る茜さんだが、この山に来たからと言って影響が失せた訳でもないらしい。現に彼女の髪は銀色のままだ。
「そういえば命様は来てないんですか?」
「怪異が鳥居を潜れるものか。私には呼べないよ。それはそうと、キリトリさんの情報をちゃんと持ってきた……彼女を呼んでくるといい。地上も駄目ここも駄目となると、私はいよいよ駄目かもしれない。遺せる情報は……遺さなくちゃね」
『茜』は既に死んでいる。今更死に対して思うものはないのだろう。生気を失った瞳がぐるりと淀み、歪んだ。神域の気は俺の想像以上に猛毒であるらしい。
「空花、命様呼んできてくれ」
「え、うん。でもどうして?」 おにーさん呼びに行かないの?」
「俺は茜さんを視てる。毒には無力かもしれないが……目を離してる内にいなくなってるなんてのは、もうごめんなんだよ」




