犯罪者的見地
この場所には何度か足を運んでいるが、俺以外の患者を診た事がない。しかし非認可の医院に人が並んでもそれはそれで問題だ。俺が別の患者に会う事は無いのかもしれない。そもそも今日の俺だって患者として会う訳じゃないし。
「嫌です! 私は先生から離れたくありません!」
医院の扉に手を掛けた瞬間、内部から金切り声にも似た大音声が爆発した。幸音さんの大人しさからは想像も出来ない煩さに俺の手が跳ね返された錯覚を受ける。
「……何だ?」
扉を少しだけ開けてやり取りを聞くと、どうやらつかささんと幸音さんが喧嘩しているらしかった。
「一先ず落ち着きなさい、幸音君。僕は何も君を見放そうというつもりはないんだ。只、ほんの少し檜木君の所で預かられてくれれば……」
「嫌です! 私を離さないでください! 先生に見放されたら私……誰を信じればいいんですか!?」
「あ~人の話をまずは聞きたまえよ。見放すつもりはないと」
「じゃあ行かなくていいじゃないですか! 何で……私が何か間違えましたか? 間違えたなら直しますから……見捨てないで…………うう……うぅぅぅぅ」
「ああ、全く君の悪い癖だな。泣かないでくれよ。僕は決して君を見捨てるつもりなんかないんだ。ただ、どうしても君を巻き込む訳には……」
「嫌です!」
「…………困ったな」
色々な意味で説得は泥沼化していた。只でさえまともに話し合いが出来ていないのにそこで俺が入ったらいよいよ事態は混迷を極める予感しかしないが、酒が貰えない事には俺も山へ戻れない。もっと言うと未成年の俺が酒を貰おうとする事につかささんは疑問に思うから、事情も説明しなければいけない。
面倒なのでまた頃合いを見てから帰りたいのだが、山には戻れないので自宅へ行く事になる。莢さんの出迎えを受けておきながらもう一度出かける気にはなれない。上手く表現できないが、何か申し訳なくなる。
「…………あ、あのー!」
ここは一つ勢いよく声を出して騒ぎを収めようと思ったのだが、肝心な所で詰まった。出だし1文字目とはいえタイミングが最悪だ。二人は―――否、幸音さんは俺の存在を認知するなり、凄まじい勢いで接近。手を引っ張り込んで、脱出を不可能にする。
「檜木さんからも言ってあげてください! 私を見放すなら相応の訳が必要だって!」
「へええッ? いやいや。ええ……でも」
「檜木君、申し訳ないがこれは当人同士で解決すべき問題だ。少し言い方は悪くなるが、部外者がしゃしゃり出て来るな」
「いやどう見たって勝手に引っ張り込まれた―――」
「檜木さん!」
「ああもう! 悪いのは喧嘩してるそっちでしょうが! 俺は悪くねえ!」
買い物もそうだが、何事も思い通りにはいかないか。埒が明かないので、不本意ながら仲裁に回らせてもらう。二人の喧嘩を止めない事には意見も酒も貰えまい。所で不思議で仕方ないのだが、どうして俺が『説得』しているのだろう。
「こういう時は折衷するのが一番です。まずつかさ先生は俺に幸音さんを預けたい。それで幸音さんは離れたくない。幸音さんはどうすれば譲歩出来ますか?」
「先生の傍に居たいんです!」
「……つかさ先生は」
「君に預けられるのならそれ以上は何も言わないよ」
互いに譲り合う気はなさそうだ。いや、先生は緩いが、それだと結局幸音さんの要求を通す形になる。それでは折衷ではなく単なる譲歩だ。先生が譲歩出来ないのは幸音さんを危険な目に遭わせたくないからで、その気持ちには寄り添ってやりたい。
だが幸音さんが何らかの理由で先生に依存しているのも事実。そういう人間から無理に依存先を奪うのは逆効果になりやすい。経験則はないが、俺から命様を奪うようなものなので良く分かる。
「……分かりました。幸音さん、先生が離さなきゃならない理由を言ってくれたら離れますか?」
「………………理由によります」
「成程。じゃあつかさ先生。若干俺も気になってたんですけど、理由を話してくれたら譲るらしいですよ。話せますか?」
つかささんは渋面を浮かべ、白衣の通った腕を体の前で組んだ
「……困ったな。記憶には無いが、言ったら君は十中八九止めるだろう。止められたくはないから―――よし、こうしよう。君が帰ったら話す。幸い、君が来てくれたお蔭で言質が取れたからね。それでどうかな?」
幸音さんは口を滑らせてしまった。俺が来て混乱したのだろうか。それとも俺なら味方をしてくれると思ったのか。どちらにしても、条件を口にしてしまった以上本人さえそれに従わなければならない。
信用を失えば損を被るのは彼女だ。
「……分かりました」
「おお、ようやく説得完了か。やれやれ随分時間がかかってしまったな」
「説得したの俺ですけどね」
「そう嫌味っぽく言わなくても、分かっているよ。有難う。そんな君に早速尋ねたいんだが―――どうしてここに?」
仲裁をしていたせいで危うく俺も用件を忘れそうだった。間違っても酒はついでであり、本来の目的はもっと真面目なものだ。
「……ふむ。『キリトリさん』ね。僕はその手の話に疎いのだが、脳を持っていく殺人は実に興味深いね」
「脳を綺麗に切り取るって、素人じゃ出来ないと思うんですよ。だからつかささんなら何か分かるんじゃないかなあと思ったんですけど」
話の外で興奮の収まった幸音さんがコーヒーを持ってきた。あんな激情に駆られた彼女を見てしまうと、もう二度と彼女を内気とは呼べなくなる。あれは……何と呼べば良いのだろうか。キレさせたらダメな奴か?
「犯人が次に狙うターゲットが知りたいんだっけ?」
「そうです」
「……被害者は社会的立場の括りとして選ばれている。既に警察が捜査しているんだ、規則性があるとすれば簡単なものじゃないだろう」
「先生でも分かりませんか?」
「……何処まで言えばいいのやら。そうだ、いっそ逆転させてみればいいんじゃないか? 規則性なんぞ探してるから分からないんだ。規則性は無いと仮定して、その人達がどうして狙われたかを考えてみればいいんじゃないか?」
「共通点ですか……でも関連性はないらしいですけどね」
「全く共通点が無いという事は無いだろう。僕は犯罪者かもしれないが、それでも他の人間と共通する事がある。人間という事だ」
「何が言いたいんですか?」
「森の中から木を見つけようとするから何も分からない。森全体を見るのも時には重要だよ。例えば……脳を欲するくらいだ。何も理由がないとは考えられない。その人達はたまたま良い脳を持っていたのかもしれない。それとも全世界を束ねる裏の組織が被検体として使っていたのが彼等なのかもしれない。この世にあり得ないは無いと君の幼馴染が証明しているんだ。もっと頭を柔らかく使わないと」
やはりそういう方向性にしかならないか。そういう『犯人に聞くのが一番手っ取り早い情報』は大抵収集に難儀するのだ。この事件……早期解決は全く見込めない。
「それと、解決するなら早い方がいい」
「何でですか? メアリが帰ってくるから?」
「違う。ご丁寧に脳を切り取るような奴だ、全くの無計画で出来る事じゃない。法的に時効はないが、犯人的には目的さえ達成出来れば不要な殺しはしないだろうからね。事件がピタっと止まってしまえば迷宮入りだ。のんびりはしてられないよ」
空花の滞在中に解決出来なければ―――いよいよ、頼る時だろうか。
「つかさ先生。物は相談なんですけど……あ、事件とは全く関係なしに」
「ん?」
「お酒、くれませんか?」
つかささんは寝不足の窺える目を何度も瞬かせて、俺の言葉を信じられないと言っていた。言葉無くとも意思は伝わる。敢えて彼の瞬きに真正面から受けて立つと、つかささんはコーヒーに口をつけてから、ゆっくり喋り出した。
「……犯罪者の立場でこんな事は言えないが、未成年飲酒は法律で禁じられているんだぞ」
「いや、俺が呑むんじゃなくて、神様に捧げるんです」
「コンビニで買え……ないか。分かったよ、どんなお酒が良い?」
「持ってる中で一番高級な酒って何ですか?」
図々しい事この上ない。つかささんは間違いなくそう思っただろう。こちらを一瞥した彼の眼には間違いなく悪意が込められていた。
「―――流石にタダではやれないな。いつか君がご執心中の神様と会わせてくれるなら差し上げよう」
「あ、そんな事で良いんですか? 分かりました、約束します!」
神が嫌いな男が神に会いたいなどと……いや、嫌いだからこそ会ってみたいのだろうか。俺にはよく分からない。
「じゃあとっておきの酒を差し上げよう。これはついでで良いが、是非感想を貰いたい。僕も飲んだ事が無いからね」




