波乱の買導
拳銃を所持した相手に逆らっても良い事は何も無い。足早にトイレから出て合流すると、空花は試着室に移動していた。俺の様子に不穏な空気を感じたのか、茜さんがそっと尋ねてくる。
「何かあったのかな?」
「いや、もうそりゃ色々と……まあそれはいいです。今は。空花は試着室ですよね? ……って、あれ? 命様は?」
服に夢中な空花はともかく、命様が意識を取られているのはお酒だ。だがご神体を身に着けているのは空花(じゃないと彼女には命様が見えない)なので、単独で別のコーナーには行けない筈だ。しかし茜さん同様、命様は尋常な手段では服を着替えられない。服に興味をそそられるとは考えにくい。
知らなければそれでも良かったのだが、流石は茜さん。俺の求めていた答えを指先一つで教えてくれた。
「ん?」
示された場所を向くと、そこは陳列された服と服の隙間。中間部分から覗き込むと命様を発見した。
「ああー!」
「ん? おお創太ッ。お主もやるか? 存外に楽しいぞ!」
「やりませんよ! 命様も何やってるんですか、子供じゃあるまいし!」
「それもこれもお主が酒を買わぬが故の愚行。分かればただちにお酒を捧げ、己が行いを反省する事じゃ」
「だから買えませんって!」
見ていて普通に恥ずかしいので、服と服の隙間から命様を引っ張り出した。無理やり中断させられた事で、彼女は大層怒って滅茶苦茶に暴れたが、全盛でもない彼女の動きを止める事など造作もない。
「ぐわー離せー! 不敬じゃ~不敬による天罰が降り注ぐぞ~!」
「楽しくないのは俺も分かりますけど落ち着いてくださいって…………分かりましたからッ。後でつかささんにでも貰いますから」
「それは真かッ?」
いや、単なる思い付きだ。そもそもつかささんが酒を飲むかどうかも把握していない。
しかし言い出してしまった以上二言は与えられない。俺の思考は約一秒の停止を挟み、わざとらしく視線を逸らしながら言った。
「は、はい……まあ、貰いますよ。とびきり高級な……もの」
「―――うむうむ! 然らば妾も素直に待とう! 敬虔なる信徒を持って妾は幸せじゃな~茜もそうは思わぬか?」
「そうだね、少年は気の毒だなあと他人事みたいに思っているよ」
「茜さあんッ!」
実際、他人事だから何も言えない。果たせるかどうかも分からない約束は後で拗れるからしたくないのだが、するしかなくなった。幸音さんを預かる時に頼めば何とかなるだろうか。『高級』という余計なオプションをつけたせいでそのビジョンが全く見えなくなってしまったが、他ならぬ俺のせいであり、自業自得の好例と言えよう。
「おにーさん、ちょっと来て!」
空花の服選びがあまりにも長いから仕方なくじゃれていたのだが、何故か俺にお呼びがかかった。俺と彼女とではそもそもの性別が違うので、呼ばれた所で役目など無い。呼ばれたから行くけども。試着室は全て使用中だが、空花の靴を把握しているので万が一の事故は無い。不可視の存在と戯れた事で完全にヤバい奴として見られ始めたのは紛れもない事故だが、そこはもう気にしても仕方があるまい。
「何だー?」
試着室の前で待機していると、空花の手だけがカーテンの外へと出てきた。指に引っ掛けられた服は品物だろう。
「これ戻しといてッ」
「……俺はパシリじゃないんだけどな」
「後でお礼するから、お願い」
お店のツケじゃあるまいし、と心の中で愚痴ったが、頼み事を断るのも性分に合わないので渋々承諾。品物を受け取ると、元の場所と思わしき場所に返却する。
「なあお前さ、いつになったら終わるんだ?」
「後少しー!」
ホワイトボードとペンを買いに来た、とは既に言えない領域まで来ている。買い物に時間を掛け過ぎた。これじゃあ只のデートだ。それも絶対に妨害される心配のないデート。楽しみたいのは山々だが、そうなると今度は『キリトリさん』調査が邪魔だ。
段々自分達が何をしてるのか分からなくなってきた。
「少年。一つ提案があるのだが」
背後から音もなく茜さんが近寄ってきた。
「何ですか?」
「このままだと君は今日中に目的を達成出来なさそうだ。そこでどうだろう、私が代わりに行って買ってくるというのは」
「あーそりゃ名案ですね……茜さんが怪異なのを除けばですけど」
「―――あ。そうだった」
珍しく茜さんが目を丸くする。まさかのボケではなかったという事実に一番驚きたいのは俺だ。間違っても本人が驚くのではない。俺のリアクションが奪われた。
「いや、失礼。あまりにも君が普通に接してくるものだから……頭から抜けてしまったみたいだ」
茜さんは恥ずかしそうに頬を掻いた。不覚にも萌えてしまった。
「あー楽しかった!」
一人満足げな笑みを浮かべる空花。しかしその手には虚空のみが携えられている。
そう、彼女は結局何も買わなかったのだ。
「お前、何で一着も買ってないんだよ」
「お金持ってなかった」
「馬鹿じゃねえか!」
所持金ゼロ円でショッピングは馬鹿を通り越していっそ賢いのかもしれない。見るだけで楽しめるのなら購入の必要はないのだ。衝動買いや説得買いも確実に抑止出来るし、抑止出来れば節約になる。考えれば考える程賢い。馬鹿と天才は紙一重とはきっとこういう時に使われるのだろう。
間抜けではあるが。
「おにーさんが買ってくれるなら何十着も買っちゃうけどー?」
「そこまで買うな。俺の財布が吹っ飛ぶ」
「でしょ? それに今日は買い物に来た訳じゃないんだからさ。無理に買う必要もないじゃん!」
何だろう、この微妙な気持ち。
正論と言えば正論なのだが、お前が言うなと声を大にしたい。何でもない二つの物を買う為に四時間も消費したが、その内訳は空花の物色時間が殆どだ。無理に買う必要が無いならもっと早く切り上げてほしかった。
こんな風に考えてしまうのは、俺が買い物嫌いだからだろうか。空花にはたっぷりお礼してもらわないとどうにも気が収まらない。
「それじゃ、まあ気を取り直して……『キリトリさん』事件を纏めますか」
改めて俺達が何を調査しているのかハッキリさせた方が良いだろう。時間を空け過ぎた。
という訳で……。
「まず俺達が捜査しようとしてるのは―――」
「キリトリさんだよね」
そう、キリトリさんだ。最近出来たばかりの若い都市伝説であり、その内容は一行で語られる程薄っぺらい。単にそういう殺人鬼が居るとされるだけで、怪談にも似たエピソードは何一つ持ち合わせていない。
「そもそも何で調査しようとしてるかっていうと―――」
「メアリの世界征服を食い止める為じゃな」
そう。以前の反メアリ派のマッチポンプみたいに、放置しておくとメアリの背中を押す結果に繋がる可能性がある。仮にここを食い止めても根本的な解決にはならないかもしれないが、姑息だとしてもやれるだけの事はやった方が良い。根本的な解決は空花が家に帰った時の収穫に期待するしかない。
「そうですね。それで今は被害状況を確認してる最中ですね。一人目の被害者は藤堂裕弥。死亡時刻は深夜の二時頃。河原の方で発見されてます。首を刎ねられてて、脳が抜き取られてる状態でしたね」
「しかし死体のあった場所が解体現場ではない。だが移動の痕跡もない不思議な死体だ」
「メアリが犯人ならそれだけで解決するんですけど、アイツが犯人ならそもそも事件扱いされません。もう一つ考えられる線としては怪異や悪霊の類による仕業ですが―――」
「我々は脳みそに価値を見出せない」
不可視の存在にとって重要視されるのは同じく尋常な手段では視えないもの、魂だ。悪霊ならば綺麗な魂が欲しいだろうし、不安定な怪異なら存在の起点となり得るから魂が欲しい。どんな理由にせよ、脳みそは彼等にとって重要ではない。
つまり今回の犯行には、きちんと人が関わっている。
「二人目の被害者は高原光。大学生で、一人目と同様の方法で殺害されてます。死体発見場所はショッピングモールの駐車場で、中には監視カメラがありました」
「しかしその死亡時刻の瞬間のみ映像が著しく乱れていた」
「三人目は大乃木寧々子。三十代の女性で、同様の損傷状態で発見場所は自宅。配偶者は居るが、全く気付かなかった……と」
ここまでは聞いた。現時点で関連性は見受けられないが、強いて言えば月巳町に住んでいる事くらいか。しかしそれを関連とするにはあまりに薄い。ここで起きる全ての事件に紐づけられてしまうから。
「三人に接点は?」
「警察も視つけられてないし、私も無いと思う。大学生と主婦と教師に接点が生まれるとは考えにくい。同じ町に住んでるとはいえ、三人の暮らしている場所は割と遠いんだ。因みに四人目の被害者は小学生だ。五人目が中学生、六人目が高校生。被害者の経歴を洗っても、接点は見つかってない。捜査本部でも同じ所で詰まってるが……」
何かが引っかかる。接点という程ではないが、共通点……も違う。発想を逆転させれば良いのだろうか。どうして狙ったかではなく、誰を狙ったか。もっと言えば、そこを狙ったのは何故か。
「……が?」
「一つ、こういう意見もある。年代別に狙われていないかとね」




