ふあ ん てい
案内された部屋は私の為だけに作られた部屋。プールとお風呂とサウナとマッサージ室が内蔵された部屋は一室がかなり広い。
「滞在中、メアリ様にはこの部屋を使用していただきます。ルームサービスもございますので、もしお使いになる際は―――」
「ああ、うん。どうでもいいよ。所で、どうしてボディーガードが居るの?」
「これも万が一に備えてでございます。メアリ様がお亡くなりになられた日には、日本国民が路頭に迷ってしまわれますので……」
「有難いんだけど、要らないよ! 私は世界平和を訴えたいの! 自分の身を守ってたら説得力が無くなるでしょっ? だからボディーガードなんて要らない!」
「―――そうですか。それでは今日の所はこれで失礼させていただきます。何かあれば直ぐに頼ってください。総理大臣の地位にかけて、全力でお応えいたします」
「ありがとう! じゃあね!」
扉を閉めたと同時にオートロックが掛かった。即座に反転し、お風呂の方へと向かう。お風呂には内風呂と外風呂があったので、私は後者を選択した。
「着替えるの、面倒」
指を鳴らすと、身に着けていた衣類がするりと抜け落ちる。一糸纏わぬ姿となった私は、勢いよく風呂の中に飛び込んだ。派手な着水による水飛沫は僅かなりとも発生しない。
「…………」
こうして離れ離れになっても、創太の事ばかり考えてる。夢には創太しか出てこない。ずっと、ずうっと私の思考に張り付いてくる。
創太は私の事を一生好きにならない。それで良い。嫌いでいてもらわないといけない。そのままで良い。一瞬でも、僅かでも、彼には好きになって欲しくない。私を一生憎んでもらわないといけない。
「あと少し……ほんの少しの努力」
嫌わせ続ければ良い。私も創太の事なんて大嫌いだ。嫌いだから、ずっと見ていたい。嫌いだから、頭から離れない。私はきっとお母さんと同じ事をしている。親子は似る者なの。それって本当。創太は私が嫌いだし、私も創太が嫌い。嫌いで、嫌いで、嫌いで、嫌いで、仕方ない。だから目が離せない。
「創太君が本当に恋人作っちゃったら、その時は報告して。分かった?」
「彼には誰もスキになって欲しくないの。私だけを嫌っていてほしいの。ねえ、分かった。報告だよ。してよ。怠けるの駄目。分かる?」
憎しみが欲しい。嫌ってくれなきゃ嘘だ。どんな時も私を憎むくらいの強い感情。植えつけなきゃいけない。私を殺したくらいじゃ収まらない感情。欲しい。
「世界なんてゴミだよ。くだらない物の寄せ集め」
「薄っぺらいの、何もかも」
「んー結構あるね」
「なあ空花……まだか?」
「まだまだー! 服って見てるだけで時間掛かるよね。おにーさんもそう思わない?」
「同感だが、それなら何で見てるんだ?」
「楽しいもん!」
女性と男性の決定的な違いが如実に現れた瞬間である。偏見については認めるが、俺の周りの女性は買い物好きが多いイメージだ。サンプルは空花とメアリと清華と母親。
「ああ……ホワイトボードとペン買いに来ただけなのに何でこうなるんだ」
「だから言ったであろう! 酒じゃ、酒を買いに行くのじゃ!」
「未成年は買えませんよ! ああもう……服なんか見ても全然楽しくないし……」
買い物が苦痛なのは今に始まったものではない。何とか耐えられているのは楽しそうにする空花の可愛さに癒されているからだ。それすらも無かったら、只の苦痛。純粋な痛みに人間は耐えられない。鞭打ちと一緒だ。
買い物と拷問を一括りにする奴は俺くらいである。
「茜さん。俺の気持ちわかってくれますか……?」
「……共感してやりたいが、私は普通の方法では着替えられなくてね。そもそも執着する理由も嫌う理由もないんだよ、誠に残念ながら」
「だから酒じゃ、今すぐ酒を―――!
「だーもう! 買えないって! もし買えても俺は付き合えませんからね? 未成年だし、多分酒弱いし」
「舐めた事もないのじゃろう? ならば決めつけるのは早計じゃ、今度妾と一緒にどうじゃ? 安心せい、潰れたら妾が朝まで介抱してやるぞッ?」
介抱……膝枕とかしてくれるのだろうか。それとも朝まで命様と地肌で密着? 着物の内側に入れられて、彼女の柔肌を存分に堪能出来る? 涎が出てしまいそうな好条件だが、俺にはやはり呑みこめない。幼少期から教え込まれた常識がそれに反発してくる。
とはいえそれは絶対的な拒絶ではない。もし月喰さんなら俺が何と言おうと権能を使って強引にでも飲ませていただろうと考えると、命様は随分良心的な神様であると窺える。人の気持ちを察せる神様は素敵だと思う。
まあ、二人共女神と呼ぶに相応しい美貌と万人を誑かす魔性の色香を持っているから、そんな二人に身体を好き放題されるならそれはそれで…………
これ以上はやめておこう。
気のせいだと信じたいが、月喰さんや全盛の命様の事を考えるだけで俺の雄としての本能が不思議と昂ってくる。魔性の色香は思考にも影響を及ぼすというのだろうか。そんな後出しじゃんけんみたいな馬鹿らしさがあってたまるか。
「俺、トイレ行っていいですか?」
「おや、尿意でも催したのか? それにしては焦燥感が足りないけれど」
「いや、ちょっと顔を洗いたくて。なんかこれ以上エロい方向に思考が動くとその内ヤバい事考えそうになるんで」
一日中乳房で挟まれたいだとか、茜さんの太腿をスリスリしたいだとか、空花の全身をくまなく触ってみたいとかそういう方向。考えるのは自由かもしれないが、考えた結果身体に異常が現れるのは問題だ。
顔を洗っただけでどうにかなるとも思えないが、しかし顔を洗った瞬間、何かが切り替わると信じている人間は俺だけではない筈だ。そしてそれは、俗に気を引き締めると言う。
「この状況で良くもまあそんな発想が出来るものだ。私は少し感心したよ。少年はもう少し淡白だと思っていたが」
「失望しましたか?」
「この程度で失望出来るなら、それはもう他人だよ。ならば少年、こうは思わないか? 私達はずっと前から親友だったのではないかと」
「前世って事ですか? じゃあそんな親友様に空花のお守ちょっとだけお願いしてもいいですか? 直ぐ戻るんで。空花はまあ……服選びに夢中だから気付かないでしょう」
幸い、トイレは服屋のすぐ横にある。俺は蟹歩きで平行に移動し、隙を見計らってトイレへと駆け込んだ。個室は全て閉まっているものの、洗面台は誰にも使われていない。これ幸いと俺は鏡を前に立ち、蛇口を捻った。
「…………~はあッ」
俺の思考は詰んでいるのだろうか。少しでも真面目に考えればメアリの事が頭から離れない。それが嫌で方向性をずらすと煩悩塗れの道。何故こうなる。普通の人は皆そうなのか……っと。普通の人間は何処へ方向をずらしてもメアリの事ばかりか。知らない人間はともかく、ニュースで大々的に取り上げられた今となっては、信者でない人間の方が少数派だろう。
止められるのは俺しか居ないと意気込んでおきながら何一つ止められていない。メアリにとっては俺なんぞ取るに足らぬ存在という訳だ。腹立たしい。
「動くな」
蛇口を止めて顔を上げると、後頭部に銃口を突き付けられている俺の姿が見えた。背後に佇む男は個室から出てきたのだろうが、それにしてはあまりに音が無い。鍵の開錠はおろか蝶番の軋みさえも聞こえなかった(水流のせいだろうか)。
「……貴方が檜木創太さんですね」
「……他人にエアガン向けるなって教わりませんでしたか?」
「エアガン、ですか。ならばこの様に言えば分かりますか? 私はメアリ様の信者であると」
メアリの信者。翻ってそれは法律による抑止の通じないヤバい人種である事を意味する。この国は銃や刀などの凶器を規制しているが、メアリの前ではそれらの規制は意味をなさない。それは本人のみの例外かと思いきや、信者自身も『メアリの為』と理由を繕ってしまえば同様の恩恵に与れたりする。
それの意味するところは言うまでもない。俺の後頭部に突き付けられたこの銃は―――
「メアリの信者が何の用だよ」
鏡越しに見る限り、男の身長は一八〇を優に超える。仮に銃を無力化出来たとしても俺に勝ち目はないだろう。体つきはしっかりしていて、重心も安定している。十中八九、喧嘩慣れしている。もしくは特殊部隊の人か。肩に刺繍された十二時の抜けた時計の様なマークは全く見覚えが無い。単なるファッションではなさそうだ。
……周防メアリの顔はあまりにも効きすぎて、選択肢が全く絞れない。
「貴方に一つお伝えしなければいけない事がありまして。ああ、逃げても無駄ですよ。隣の個室にももう一人居ますので。貴方が少しでも妙な動きを見せれば直ぐに飛び出してきます。必要とあらば危害を加えても構わないとも伝えられておりますので―――手加減はしませんよ」
「映画の主人公じゃあるまいし、銃から逃げる度胸はねえよ。大方俺の監視役って所か? さっさと用件を伝えろよ」
「月天燐の森を知っていますね?」
「は?」
月天燐の森。それはこの黄泉平山の対極にある森で、神話によると極楽に続く道があるとされる場所だ。この月巳町は町興しの為に手段を選ばなかったから嘘か本当かは分からない。ただ、そんな道は現代まで見つかっていないし、普通に散歩道として使われている。樹海に比肩する程危険な黄泉平山とは訳が違う。
「……はい」
「真っ白い家があります。名前はつばき。それを見つけ出してみてください。私に言えるのはここまでです」
「…………それじゃあ見つけられないんですけど」
「いえ、貴方ならば見つけられる筈です。鍵は藍之條幸音が握っていますから」
「…………え?」
何故そこで幸音さんが出てくる。
「用件は伝え終わりました。背後から襲ったりはしませんので、どうぞ出て行ってください」




