神様の散歩日和
「おおおおおおおおおお~ほおおおおおッ!」
初めて目にした時の感動は何とも忘れがたい驚きに満ちている。それさえも忘却させてしまうのが記憶力の限界なのだが、きっと俺も初めて来た時はこんな反応をしたのだと思う。俺になっては見慣れた景色だが、命様にとっては初めて見る景色だ。彼女が知る時代にこのような建物は無かっただろうから。
「広いのう! のうッ!」
「そりゃあ、広くないと沢山のお店が入りませんからね。いろんな店があるんですよこの建物。現代人的にはどうも感動出来ないんですけど、やっぱり感動するんですかね」
「当然じゃ! 神を不要とした人の歴史の先にこのような物が生まれるとは誠に感慨深いっ。気持ちとしては複雑じゃが……今は創太がおるから良い」
「少年は良くここに来るの?」
「良くって程じゃ……まあそれなりに来ますよ。あーでも最近は滅多に行かなくなりましたね。メアリの買い物に付き合わされるんで」
当人は居ないものの、言葉に出しただけで彼女との記憶は容易く想起される。
『あ、創太ッ! こんな所で会うなんて奇遇だね~! 一人? 一人なら買い物に付き合ってよ。私一人じゃ持てなくなるかもだしぃ!』
『え、他の子? 忙しいのに声かけられないよ。でも創太は暇そうじゃない。いいでしょ?』
「良い訳ねえだろクソが」
過去からの干渉を受けて思わず口が滑る。そのメアリは海外に居るのに、どうしてアイツの事ばかり考えてしまうのか。俺の悪い癖だ。
「ん? 突然どうしたんだい?」
「ああいや、済みません。過去からの干渉が……空花はどうなんだ?」
「隣町のモールなんて行かないよー。あ、でも碧姉の目撃情報が出たら行くけどね」
「そんな指名手配犯みたいな探し方で良いのか……っていうか目撃情報ってどういう事だよ」
「そのままの意味だけど。碧姉は美人さが浮世離れしてるからたまーに情報が流れてくるんだよね」
浮世離れした美人さと言われると、俺には命様ないしは月喰さんしか思いつかない。そんな美人が果たしてこの世に存在するのか。もし居るなら是非一度会ってみたいが、多分そんな悠長な行動をしていたらその内に世界征服が完了する。全てが終わった後、まだ『碧姉』とやらが見つかってないのなら、協力するとしよう。
「のうのう創太ッ。あれは一体どんな店なのじゃっ?」
「あれはケーキ屋ですね。おっと、今日は買いませんからね。コンビニのはともかく、お店の奴はやたらと高いんですから」
「むぅ、難儀じゃのう……ではお主はここに何を買いに来たというのか申し上げてみよ!」
「人の話聞いてませんでしたねこれは! ホワイトボードとペンですよ、事件を分かりやすく整理する為に使うんですッ。あ、ホワイトボードっていうのは一種の紙みたいなものだと思ってくれて結構です。ペンは筆ですからね?」
ホワイトボードを紙と呼ばせる神経はどうぞ疑ってもらって構わない。俺の貧相な語彙力ではあれをどう分かりやすく言えばいいか思いつかなかったのだ。命様は俗世の事など殆ど知らず、その時代感覚は遥か昔に取り残されている。そんな存在に説明するとなれば、近い役割の者を引き合いに出すしかあるまいよ。
紙もホワイトボードも何かを書く為の物には違いないのだから、的外れとは言わせない。
「それは美味いのか?」
「命様ってそんな食いしん坊キャラじゃなかったでしょ! バレバレですからねっ?」
食べ物の話をし続ければサブリミナル的に俺がケーキを買うとでも思ったのだろうか。神様の癖にやる事が狡い。
そうは思いながらも、内心では命様とのじゃれ合いを楽しんでいた。空花に袖を引っ張られる前までは。
「ねえおにーさん。命ちゃんと話すのはいいんだけどさ……ここ、たくさん人いるんだからね?」
「ん? ………………あ」
普段から不可視の存在が視えているとついつい忘れがちになる。というか、いつまでも忘れないのは無理がある。俺には間違いなく視えているのだから無視なんて出来ない。しかしそれと同時に、俺以外の人物には間違いなく見えていないのである。茜さんも命様も関係ない。一般人にとっては怪異も神も同じようなものだ。
だから……己の視界を否定する形にはなるが、他の人から見れば俺は単なる変態である。
「……すまん、気を付ける」
「私は気にしてないけどねー。周りがどう思うと私はおにーさんの事好きだしッ。でもあんまり無視するとおかしくなっちゃうよ? 一応私とおにーさんは恋人って事になってるんだから」
それはメアリを発端とした勘違いなのだが、空花を守るのに都合が良いので放置している。とはいえ文字通りの放置ではいつか見抜かれてしまうかもしれないので、飽くまで真実として扱う必要がある。何処を情報源としてメアリの耳に入るか分かったもんじゃないし。
「その場凌ぎの嘘のつもりだったんだけど……これ、一生続ける感じかなあ」
「面倒なら、いっその事本当に恋人になっちゃうッ?」
「仮に俺がオッケーだしたら、お前引くだろうが」
「え? 引かないよ。おにーさんなら大歓迎!」
「お前が大丈夫でも家がオーケー出さないだろ。俺はそういうのに詳しくないが、血筋とかそういうもんを気にするんじゃないのか? 俺は一般家庭の人間だ」
「そうなったら私も家出するから大丈夫ッ」
空花の発言に、俺は耳を疑った。確かに彼女とは懇意にしているが、そこまで入れ込まれた覚えはない。
「い、家出?」
「うん。碧姉に家出されてから水鏡家って家出を恐れてるから、こう言えば絶対認めてくれるよ!」
嬉々として作戦を語る空花に俺は恐怖すら覚えた。自分自身を人質にしていると言えばいいのか、そこまでして俺と恋人になりたいのだろうか。困惑はしているが、嬉しくないと言えば嘘になる。
空花に言い寄られて嬉しくない男性は多分居ないと思うが。
「ほらほら~どうするのー? こんな優良物件中々居ないよ~?」
彼女は思わせぶりに胸で俺の腕を挟みくっついてくる。俺を揶揄いつつ、恋人の振りをするという高度な芸当に俺は照れ臭さを感じるよりもまず驚いた。今までも散々この手の揶揄いは受けて来たので、初心な反応は出来ない。
「自分で物件とか言っちゃうんだな」
「あはは、変かなッ? でもそれくらいおにーさんが好きなんだよ。前も行ったじゃん? 指輪をくれるなら直ぐにでも結婚するって!」
「買えねえつってんだろ」
「創太ッ! 妾を差し置いて空花を嫁に貰うとはとんだ色狂いじゃのう……!」
「おかしな人に見られるって話聞いてましたっ?」
まともなのは茜さんしか居ない。彼女は本当に空気を読んでくれるから助かる。神様相手にそんなスキルを求めても仕方ないが、空気を読む事が出来ないのは命様の数少ない欠点だ。勿論、それも含めて俺は命様が好きなのだが。
店の入り口でイチャイチャとじゃれている俺達は大層周囲の視線を引いた―――否、メアリのせいで中々どうして俺の存在にも知名度がある。不可視の存在以前の問題だ。
「……少年。文房具屋は二階だよ。行かなくていいのかい?」
「行きます、ええ行きますよ。空花、命様。そろそろ弄るのはやめましょう。無駄に時間を浪費するのだけは避けたいんです俺は」
「妾はこの建物の全体を巡りたいぞ!」
「そうですか。それじゃあそんなご要望にお応えして、まずは一階をザっと見ていきましょうか……って。普通の買い物だなこりゃ」
この世には買い物を楽しめる人間と楽しめない人間が居る。楽しめる人間は得だ。何時間経っても気にならない。商品は買わずとも見ているだけで満足出来る。一方で楽しめない人間にとっては損というより辛苦だ。歩き続けて足が痛いわ、買いもしないものを眺める同伴者にイライラするわ、とにかく悲惨。基本的に俺は後者の人間で、だから買い物は手っ取り早く済ませたかったのだが。
「おにーさんおにーさん。洋服見に行こうよ! 可愛い洋服があったら買いたいな!」
「創太、酒じゃ。酒があるぞ! 買いに行こうではないかッ」
二人が可愛いので我慢しよう。
「惚れた弱み……か?」
当初の目的を達成する頃には一日の大半が終了してそうだ。




