鬼の居ぬ間に攻城戦 後編
どうやっても茜さんを認識出来無い以上、空花に交わる余地はない。悲しいがそれが事実なので、本来なら俺一人で茜さんと話すつもりだった。しかしながら夏休みが終われば暫く空花と会えなくなり、そういう意味で悲しいのもまた事実だ。
それを思うと一分一秒でも長く空花と一緒に過ごしたくなったので、無意味だったとしても俺は彼女を同伴者として選んだ。ただ連れて行くだけでは蚊帳の外になりそうだったので、命様を連れ出すのに必要な首飾りは彼女に装着してもらった。これなら空花を同伴させた意味がある。
自分でつければ良い? 何の事だか。
「茜さーん! 何処ですかー!」
茜という名前はそう珍しいものではない。見ず知らずの『茜さん』が引っ掛かる可能性もあるが、そこは俺という存在がフィルターになっている。普通の人間はまず信者となり果てているので、俺の呼びかけなんぞに応じる可能性は無いのだ。
「茜さーん? 茜さーん?」
「本当にそんな存在が居るの? おにーさんの出鱈目?」
「俺の出鱈目なのに俺が当てにしてんのはおかしいだろ。居ても居なくてもお前は視えないしな」
「なんかそれずるくない?」
「いや……真面目に話すとあんまり良いものじゃない」
鬼妖眼は不可視の存在を全て晒し上げてしまう。お蔭で真昼間だろうが早朝だろうが関係なしに幽霊が存在するというのを知ってしまった。視たら大変な事になってしまうので、場所によっては極端に視界が制限される時もある。事故物件として有名なマンションなんて直視出来たもんじゃない。建物全体に浮遊しているのだから。
「んー居ないなー」
「お主の声が小さいのではないか? 或いは……茜の気を引ける言葉を試せば良い」
「それ名案ですねッ。でも気を引ける言葉ですか……」
嫌でも人の気を引きたいなら、『火事だー!』とでも叫べば良い。自己生存の本能が働き、嫌でも気が引けるだろう。だが今回の相手は怪異だ。死の概念を恐れとしない存在に死を突き付けても脅しにはならない。
「ここにお宝が! とか名案じゃない?」
「んな下らない子供だましで引っ掛かるのはお前だけだ」
「あー酷ーい! 私、傷ついた! 一生懸命考えたのにッ」
「ふざけてる様にしか見えねえんだよなあッ? 山の中ならまだしも、何だってこんな道のど真ん中から宝が出てくんだよ!」
仮に出てきたとしても、茜さんに金銭欲はない。というかそんな下らない嘘で騙す事に、俺は気が引ける。
「……あー。じゃあこれで行くか」
「お? 妙案が浮かんだのじゃな?」
「妙案って言うか……思いついといて何ですけど、反応してくれなかったらクソ恥ずかしいです」
隣の神に祈りながら、俺は意を決して大声を上げた。
「茜さアアアアアアアアアアアアん! 好きでええええええええええええええす! 付き合って下さああああああああい!」
突拍子もない愛の告白に、二人は目を丸くしていた。喉が擦り切れんばかりの大音声は遥か彼方まで轟き、木霊し―――僅かな耳鳴りを残して、息絶えた。
刹那の騒がしさに耳が麻痺したか、草木のそよぐ音が明瞭に聞こえる。只の一人も反応してくれなかった。俺は黙って身を翻すと、その場で顔を覆って崩れ落ちた。
「くっそ恥ずかしいいいいいいいいい…………」
「ああ…………んと」
「うむ……」
茜さんなら反応してくれると思った。彼女の性別が男でも女でもどちらでも良い。告白を揶揄うなり、赤面しながら出て来るなりしてほしかった。何か一つリアクションをしてくれたならこの羞恥心はやってこなかった。
穴があったら入りたいが、道路に穴はあけられない、俺はどうしたらいいのか。
「…………クク」
「―――笑わないでくださいよ。嘘告白なんて気が進まなかったけど、これくらいしか思いつかなかったんですから」
「クク、ク」
笑い方がおかしい。いや、そもそも聞こえる方向からして変だ。空花はそんな笑い方をしない。声のする方向には石垣があったが、笑い声は隠す気も無く上がり続けた。
「アハハハハハ! アッハハハハハハハ! 少年! 君は本当に……面白いなッ」
「……茜さん!? もしかして裏に居るんですか?」
空花がキョトンとした顔を浮かべるのも無理はない。彼女の視点で見れば、俺は突然壁と会話しだした危ない人だ。感動の再会も斯くやと思われるムードが不思議で仕方ないだろう。
「居るというより……居たんだ、私はね。神域に怪異の存在する余地は無いが、俗世となれば腐る程……ネタバラシになるが、少年が最初に私を呼んだ時点で来ていた」
「は…………はい!? じゃあもったいぶらずにとっとと出てきてくださいよ! 俺が恥ずかしい思いしただけじゃないですか!」
「少年を弄りたくなってしまうのは性分でね。許してほしいとは言わないが、ちゃんと応じたんだ。所で……何か良い事でもあったのかい?」
「最悪な目に遭ったばかりですよ! 貴方のせいでッ!」
「それは失礼。お詫びと言っては何だが、話は手短に済ませよう。事情は察している。私に協力しろと言うんだろう? いやはや、何の因果だろうねこれは。メアリを打倒したい気持ちが図らずも一つになったと表せば的確かな? やはり血は争えない……とは違うか。少年の血は周防メアリに代々反逆してきた訳でも何でもないからな。今のは忘れてくれ」
「ちょっと詰め込んで話すのやめてもらっていいですか? 途中の話が良く分からないんですよ。血は争えないだとか気持ちが一つになったとか何の話なんですか?」
「檜木清華……君の妹と偶然にも遭遇してしまってね。あの時は『闇祭り』の影響下にあったからだと思っていたが、どうやら違ったみたいだ。君の妹は、最初から私が見えているらしい」
「…………え? それって、どういう意味ですか?」
「私には知りかねるよ。詳しい事情は当人に聞いた方が賢明だ。言霊の内に成り立つ不確かで不安定な存在が何を話した所で、実際の信憑性は薄いからね」
相変わらずの回りくどい喋り方。いつまでも裏側から出てこないのは気になるが、間違いなく茜さんだ。あまりにも出てこないからいよいよ尋ねてやろうかと思った矢先、茜さんがスッと石垣の裏側から姿を現した。
「…………あッ! え、え? ど、どうやったんですか?」
彼女は意味深な微笑みを浮かべて、自虐気味に言った。
「『闇祭り』の日を除いてお洒落には無縁だとばかり思っていたが―――少年のリアクションが見られるなら、面白いじゃないか」
茜さんは太腿までスリットの入った黒のワンピースを着用していた。モデルみたいにスラリとのびた綺麗な足が片方惜しげもなく周囲に晒されている。それは開放的なエロスでもあり、奥ゆかしさのあるエロティシズムでもある。闇祭りで着物姿を見た時から薄々勘付いていたが、彼女も大概スタイルが良い。空花や命様が色香という方面でスタイルが良いなら、彼女は美麗という方面でスタイルが良い。
いずれにしても、彼女の脚の美しさはメアリを遥かに上回っていた。それは間違いない。
「どう着替えたかよりも、今は『キリトリさん』の調査が先だろう、少年。ああ、君達の予想通り、私はあらゆる情報を知っている。それをここで話すのも良いが、被害者の倒れていた場所に行った方が雰囲気も出るだろう。付いてきて。案内しよう」
彼女に案内されて到着したのは、町の南西に位置する河原だった。
「では、警察宜しく被害状況の暗唱でもしようじゃないか」




