寄生仲
何でアイツが知ってんだよッ!
よく考えなくても原因は十中八九メアリだ。俺の知らない内に家族と連絡先を交換しているのだから、連絡されていてもおかしくない。しかしそれを読んでいたからこそ俺は敢えて『家に帰る』と嘘を吐いたのであり、彼女がそれを信じてくれたなら連絡されるという事はまずない―――
とすると結論は一つで、メアリは俺を全く信用していない。或いは信用しているが、俺は過去にも何度か同じ方法で逃げた経験があるので、心配して電話を入れたら帰宅していなくて、それで妹がキレたか。
どちらにしてもやってくれたな。
「創太よ。あれはお主の―――」
「ええ、妹です。メアリに頭をやられてしまった可哀想な妹、と言いたい所ですが、どちらかと言えば幸せなんでしょう。それに嫌いようのない完璧な女性を嫌う憐れで愚かで短気で救いようのない兄貴に好かれた所で、妹は喜ばないでしょうし」
「兄妹は仲良くあるべきじゃと思うとる。お主は妹が好きか?」
「好き〝だった"と言えば正確でしょうか。ただ、自分で言うのも何ですが割とシスコン……妹に特別情をかけていた人間だったので、今でも可愛い妹だとは思ってますよ。それだけですが」
妹に見つかるとどうせ口喧嘩になるので、極力見つかりたくはない。幸い妹は夜目が利いていないらしく、その足取りは不安定だ。一方、黄泉平山を一度通り抜けている俺にはこの暗闇は何でもない。彼女の動きを見てから動いても、対応としては全然間に合っている。
「…………申し訳ございません、命様。今宵の現世巡りはここまでとさせてもらえないでしょうか」
「む。帰るのか?」
「そうですね。今日の所は大人しく帰った方が事態も迅速に収まるかなと。あの神社での宿泊は……またいつか、という事で。今日寝たら甘えてしまいそうですし」
そうと決まれば、一先ずは神社に帰らなければならない。首にかけた勾玉をあの社に奉納しない事には現世巡りは終わらないのだ。遠足は帰るまでが遠足なのだと、幼稚園の先生は言っていた。メアリの事を好きな奴の言葉は基本的に信じないのだが、今度ばかりは特例だ。
「…………路地を通って反対側の通りに出ましょう。そこから山に戻れば誰にも見つからない筈です」
「創太ァッ! メアリちゃんを心配させるんじゃないよ! 俺はお前を、そんな息子に育てた覚えはないぞ!」
路地に入って予定の通りに出ようとした直後、久しく聞いていなかった声が真夜中に響いた。クソオヤジだ。メアリが関わらなきゃ母親共々俺の事を徹底的に無視する癖に、よくもまあそんな上っ面だけの言葉をぺらぺらと。父親の癖に言葉の重みが紙くらいしかない。
―――育てたも何も、途中から放任してたのはお前達だろうがよ。
いつだったかメアリを家に招いた日の事を思い出す。いや、招いたのではなく招かざるを得なかったのだが。その時には既に俺のメアリ嫌いは知れ渡っていて、家族との仲は険悪だった。それでもメアリが絡めば家族は俺と話してくれる。嬉しくも何ともなかったが、メアリを仲介する事で俺達家族はようやく会話が出来ていた訳だ。
事件が起きたのは夕方になった頃。夕食の食材を買い忘れたという事で、親が俺にお使いを命じてきた。当然俺は断ったのだが、案の定、全員からの非難を浴びて、最終的にはこちらが折れる形で外出し、言われた通りの食材を買ってきた。俺が玄関の扉を開けようとノブを捻ったその時、気づいたのだ。
鍵を掛けられた事に。
窓なども入念に鍵が掛けられた上にカーテンまで閉め切られては、内部の様子など一切分からない。結局俺が家に入れたのはメアリが帰宅してしまった七時頃。既に夕食は終了しており、母親は食器の片づけ、妹は風呂、父親に至ってはもう眠っていた。
そんな状況にキレたオレが母親をそれはもうしつっこく問い質すと、どうやら『偶々』俺が外出した瞬間に出す料理を変え、『偶々』映画を見たくなったからカーテンを閉め切り、終いには俺の存在を忘れてしまったのが原因らしかった。
『だってメアリちゃんには楽しい思いして帰宅してもらいたいじゃない。アンタが一緒に居るとメアリちゃんもつまらないし、私達もイライラするのよね』
だそうだが、この世で一番イライラしているのは紛れもなく俺である。家族は例外なくクソだ。父親は『そんな息子に育てた覚えはない』というが、むしろアイツ等はどういう風に俺を育てた覚えがあるのだろうか。露骨にこちらを敵視しておきながら、よくもそんな発言を公衆の場で、しかも真夜中に叫べたもんだ。
「……この分だと、お母さんも何処かに居そうだな」
「追跡者は三人か。山へ戻るのは一苦労じゃのう」
「三人だけならまだ良い方ですよ。以前は同級生約二〇〇人に捜索されましたから」
「―――異常じゃな」
「今更ですよ。それに夜で歩き続けたお蔭で、俺はかなり周辺の土地に詳しくなってますからね。人海戦術をされたらどうしようもないですが、今メアリの興味はメリーさんの方に行ってるので、大丈夫でしょう。命様、ついてこれますか?」
「心配せずとも大丈夫じゃぞ。全力で走るが良い」
では―――遠慮なく。
「ハア、ハア、ハア、ヒイ、ヒイ、ヒイ、ヒイ…………フウウウウウウウ! ゴホッ、ゲホッ!」
ノンストップでまた走らなければいけないのか。
平地ならばもう暫く体力も続いたと思うが、黄泉平山の傾斜が俺の体力を奪った。それに神社へ入る為には無駄に長い階段を上らなければならず、三段飛ばしでもそれは苦行を極める。鳥居まで一気に駆け上がった所で、俺の体力にも限界が来た。呼吸を整えたいが、脇腹が痛くてそれ処じゃない。
「中々の走力じゃったぞ。流石妾の信者じゃ。ほれ」
命様は俺の前で屈むと、水の汲まれた柄杓を口元に差し出してきた。色々と聞きたい事があったが、やはり呼吸が優先されてまともに言葉が発せない。申し訳ないとは思いつつも、柄杓に口を付けて、中の水を全てのみ込んだ。
「…………ッゲホ。ゲホッ。はあ…………それ、何処で汲んできたんですか?」
「うむ。ふと裏の洞窟の事を思い出してな。そこから汲んできたのじゃ」
「……柄杓って、心身を清める為に使う道具だった筈なんですけど」
「固い事を言うな。そも、そのような様式は妾に対する礼儀であるから必要なのであって、他でもない妾本人がこうして水を差しだしておるのじゃ。受け取らぬ方が真の無礼というものじゃぞ」
「そういうものですか……」
「形骸化した礼儀に意味などない故な。お主も妾を崇めるならば、心の内に留めておくと良い」
「……分かりました」
少しだけ体力が戻ってきた頃、俺は首に懸けられた勾玉を外し、命様へと手渡した。
「お返しします。命様」
「ん? おお、そう言えばそんな話をしておったな! それにしても、本当にもう一度山を下りる気か? 息も絶え絶えではないか」
「勿論……です。この神社は俺の安心出来る場所ですから。それに何の準備も無く泊まるというのも……信者としては避けたい話です。もし泊まるとすれば、その際は一日中命様に尽くさせていただく覚悟ですので」
「ほう、何とも殊勝な心がけじゃな。しかし妾は単に心配しておるのじゃ。家に戻ればお主の身に何があるか分からぬ。妾が守ってやる事も出来ぬ。本当に大丈夫かの?」
大丈夫、ではない。少なくとも今日、メアリを心配させたという事実は永久に残る。俺も含めて檜木家は大概ねちっこいので、少なくとも一か月は今回の事で罵られ続けるだろう。それでも会話出来ると思えば幸せかもしれないが、別に会話したい訳ではないので、俺にとっては単に不幸である。
だが、まあ。
「…………大丈夫ですよ。何とかなります。何とかなって来たんです。文句なんて言っても仕方ないでしょう。この話に複雑な所なんて何にもない。嫌われ者が嫌われているだけ。誰かが少しだけ、そんな嫌われ者に優しければ、俺はここまで追いつめられる事も、性格が悪くなる事も無かったでしょう。ましてその誰かが家族だったらと思うと―――でも、そうはならなかった。そうなってはいけなかった。メアリの存在がそれを赦さなかった。命様には感謝してます。貴方様が居なければ、何処かで俺は廃人になっていたでしょう。それだけでも十分です。だから、大丈夫なんです」
こんな俺に手を差し伸べてくれる存在は命様だけだ。彼女との出会いが俺を強くしてくれた。俺に生きる希望をそれなりに与えてくれた。多くの物が偽りであったと気付いた今、それこそ多くは求めない。少なくとも良い。たった一つでも良い。永劫の真実さえ貰えれば。
俺はゆっくりと立ち上がって、鳥居の前で頭を下げた。
「それでは命様。またお会いしましょう!」
「…………息災でな! 明日も必ず来るのじゃぞッ!」
「はいッ!」
こうして俺は山を下りて、人知れず帰路に着いた。
家族達はまだ俺を探しているらしかったが、そんな事は気にも留めず、風呂に入って床に就いた。薄情な真似をして明日どうなるかは誰にも分からないが、今日の命様は可愛かった。だから明日はもっと可愛いに違いない。
何の道理もない理屈ではあるものの、それだけで良い。それだけで俺は、明日に希望が持てる。
次回は話が大きく動くZOY!
腸を語れるという時点で、創太がどれだけ命様の前で安心しているかが分かると思います。