第6話 悪夢
カチ……カチ……カチ……カチ……カチ
寝室に置かれている時計の針が進む音がやけに大きく、そしてゆっくりと感じる。研究所から逃げ出してから、これほどまでに安全に眠れるのは今日が初めて。
静寂の夜。魔物に怯えることのない夜。もし襲ってきても、起きてくれている彼が倒してしまうだろう。
今日出会ったばかりだが、それくらいは余裕だということくらいは戦闘を見れば分かってしまう。
安心して眠れる夜。
眠りを誘う暗闇。
こんな夜が、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて……仕方がない。
暗闇の中で静寂が訪れると、眠っていなくても微かに聞こえてくる、憎悪に満ちた声。
『死にたくなかった』
『みんな死ねばいい』
『苦しい、助けて』
『パパ、ママ』
『殺してやる』
悲哀に満ちた女性の声。理不尽な境遇に自暴自棄になり殺意を込めた男性の声。パニックになりながら誰かに助けを求める声。親に助けるを求める幼児の声。そして、全ての死を願う……自分達と同じ場所に引きずり込むことを望む狂気に満ちた声。
眠りに落ちれば最後。憎悪に満ちた悪夢と”あの時の夢”が永遠と続く。私もそちら側に引きずり込むように。
最近は仮眠ばかりで、碌に眠ったことはない。私は、眠ることが恐ろしい。眠れば、起きている時以上に精神が摩耗し、体力を消耗させているような気がしてならない。
なによりも、起きた時に自分がもう自分ではなくなってしまっているかもしれないと思うと……たまらなく怖い。
目覚めることのない憎悪に渦に飲み込まれて、私の体が自分の中に埋め込まれた”なにか”に支配されてしまうのではないかと。
きっとそれは……遠くないと思う。日に日に強まっているから。体の中に渦巻く、自分から生まれているわけではない憎悪が。
はやく……はやく……時間が過ぎないだろうか。時計に目を向けると、時刻は22時半30分。ベッドに入って、まだ30分しか経過していない。
交代の時刻は深夜の2時30分。
早く時間よ過ぎて。眠りに落ちないように耐えながら時計の針の音に集中する。憎悪の声も、暗闇に浮かぶ、まるで自分を地獄の底に連れて行こうとするかのような手などを無視して。
真っ暗な寝室の中でたった1人。そう、真っ暗な……? 真っ暗と言う程でもない?
扉に目を向けると、扉の下から柔らかい光が微かに入り込んでいた。本当に僅かな光だが、とても優しい光。
そっか。そうだった。普段よりも、声が少ないのは彼が近くにいるからかもしれない。夜が深まれば深まる程に大きくなっていく声も、彼の側に居ると何故か聞こえない。今も、普段よりも声が少なく、時計の針の音がやけに聞こえるのもそれが原因かもしれない。
もし、一緒に眠ってくれていたら悪夢など見ないかもしれない。添い寝くらいで妥協していれば、一緒に眠ってくれかもしれないのに。
先ほどの彼とのやりとりを思い出していると、自然と笑みがこぼれてしまう。心が温かくなる。また、こんな暖かな気持ちを抱えることできなんて思っていなかった。
一目見た時に、ううん……違う。一目見る前。彼の魔力を感じた時に、私は直感した。
きっと運命の人がいるのだと。
その直感は正しかった。彼は絶対の私の運命の人。絶対に離れたくない。
例えその運命の人を私が殺すことになったとしても、私はすがるしかない。ゴメンナサイ。
ホコリの臭いがする枕を抱きしめながら私は目を閉じる。
本当にこれが恋心なのかは、私にもわかりません。でも、彼がずっと側にいて欲しいという気持ちは混じれもない真実。
問題なのは、彼は私のことを運命の相手とは思っていないこと。自分で言うのもあれだが、私はそれなりに顔が整っていると思っています。
彼も私のアピールにドギマギしているのは分かるんだけど……ヘタレさんだからなのかな?
男なんて、可愛い子に迫られたらイチコロだと思っていたけど。所詮は小説や漫画の世界の話というだけなのかな。でも、研究所にいた年上の男なんて、気持ち悪いくらい女に飢えて、好き嫌いの感情なんて関係なく手あたり次第発散していましたが。
あの人は本当に気持ち悪かった。あんなのと比較したら、悠さんに失礼ですね。もう少し、慎み深く……か。分かっていても焦ってしまう。
いつタイムリミットがくるか分からない私には。
悠さん。年齢的にアウトっていいましたけど、私には時間があまり残されていなんですよ。
だから……
油断してしまっていた。声が少ないから。眠りに適した夜だから。なによりも、好きになってしまった彼のことのを考えてしまっていたから……私は眠りに落ちてしまっていた。
年相応の、蜂蜜のように甘い思考に捕らわれていた私を絶望させるように、私は悪夢に落ちて行った。
※
「悪い夢でも見たのか」
ガタガタと震えながら自分胸に顔を埋めている、彩葉の背中をさすりながら声をかける。魔物の侵入はない。
だとすると、悪い夢でも見た程度しか思い浮かばない。演技という可能性もあるが、先ほどの真っ青な顔と今もこうして怯えている震えている彩葉を見ていると、流石に演技に見えない。
彩葉の両手が俺の腰に回されて、強く抱きしめられる。出会った時に抱き着かれた時とよりも更に力強く。
返事のない彼女の背中を黙ってさすり、そして頭を撫でながら、彼女が落ちつくまで待ち続ける。
そうしていると、彼女がぽつりと俺の胸に顔を埋めたまま声を出してきた。
「夢を見ました」
「そっか、悪い夢だったのか?」
「……はい。信じていた人に、友達だと思っていた人に……裏切られて殺されそうになる夢です」
友達に殺されそうになる夢か。それはまた、恐ろしい悪夢だな。俺も、桜やテオ、白……そして優奈といった友達に裏切られて殺されそうになった泣くな。
召喚される前の親友だった奴や恋人だった奴なら、返り討ちにするだろうけど。ふと顔を思い出そうとすると、顔に霞がかかる。
………?
………そっか、俺にとっては召喚される前にいた奴らのことなんてどうでもいいのか。そんなことよりも、この子に何て言えばいいのやら。
「夢なんだから大丈夫だ。ん? それよりも友達とかいるなら何で1人なんだ?」
「殺されそうになったからです」
「え!? あ、つまり……そっか」
悪夢は、実際に起こったことなのか。それくらい、考えろよ俺!! 「ヒック」という泣き声を押させるような彩葉の声が耳に届く。あまりにも無神経な発言をした自分自身を責めざるを得ない。
ここは、自分が言われて嬉しい言葉を伝えるしかない。殺されそうになったことはなくても、裏切られたことくらいあるしな!
「どうして、彩葉が殺されそうになったかは俺には分からないけど、もう過ぎたことなんだろう。裏切った奴のことなんてゆっくりと忘れていけ。俺も……殺されようになったことはないけど、裏切りというか、切り捨てられたことはあるしな。人間不信になりかかったこともあるけど、本当に信頼できるできる友達もできた。彩葉にもきっとできるよ。っていうか、俺はもう彩葉の友達になっているつもりだけどね」
恥ずかしいセリフを言っているのは分かる。綺麗ごとを言っているのも、薄っぺらい発言だというのも。
でも本音でもある。彩葉とはまだ1日しか経っていないが、友達だと思っているし、俺と一緒に居る限りは、絶対に死なせるつもりもない。それに、
「友達よりも恋人がいいです」
「それは、まあ…………今は頷けないかな」
純粋に好意をぶつけてくれるのは嬉しい。たとえそこに、何か打算があってもだ。自分を好きだと言ってくれている女性を簡単に見放せるほどにドライになれはしない。
もし、一緒に居る事ができない程の何かがあったら、その時に判断すればいいだろう。
俺はゆっくりと、彩葉の黒髪を撫でながら、その感触を楽しみながら笑みを浮かべる。彩葉と一緒にいる時間が心地よく感じられるうちはそれでいいだろう。
恋人に関しては今はどうしようもない。そういったことを考える前に、色々と考えることもあるし……簡単に切り替えられないこともある。
なあ、優奈。俺はもう一度どこかで会えるじゃないかと思ってしまうんだよ。
「それじゃあ、今日はここに居ていいですか?」
彩葉は、埋めていた顔を俺に向けて、上目遣いで尋ねてくる。まだ、顔が真っ青で目尻に涙をためていた。
俺は、クシャクシャと頭を撫でながら、「いいよ」と頷く。この状況で断れるわけがない。脳裏に浮かんでいた彼女のことは振り払いながら、俺は自分の太ももをパンパンと叩く。
彩葉は、抱き着いている状態から俺の太ももに頭を預けるようにしてソファに寝そべり始める。いわゆる、膝枕だ。
「眠るまで頭を撫でて貰っていいですか?」
「眠りの妨げになりそうだけど、それで眠れるならずっと撫でていてあげるよ。うなされたているようならすぐに起こしていやるから、安心して眠っていいよ」
「……ありがとうございます」
滑らかな彩葉の髪を楽しみながら撫でていると、数分後には小さな寝息を彼女は眠り始めた。
その後も、引き続き頭を撫で続けていると
「ムニャムニャ悠さん……エヘヘ……」
だらしない顔で寝言を言い始めました。俺の名前までだしているようだけど……ハァ。嬉しくはあるのだが、いったいどんな夢をみているのだか。
「そんなに興奮しちゃって。やっぱり制服が好きなんじゃないですか…へへ」
……夢の中の俺よ、お願いだから自制しろ。後、涎を垂らすな!
彩葉の夢の中で俺が間違いを起こす前に起こすべきか、起こさずに寝言を楽しむべきか。
割と本気で悩む自分が一番情けなかったりもした。