6話 走り去るその背中にはポニーテールが揺れていた
彼女と初めて知り会ったのは高校の部活動だった。
昔から身長が高かったこともあり、中学生の頃の部活動はバスケットボールを選んだ。
所詮は地方の市立中学。県大会出場はおろか初戦突破だってほとんど出来ないような弱小校。全国大会出場なんて夢のまた夢。そんなロクな成績も残せないような部ではあったが、バスケはやっていて単純に楽しかった。
高身長というスペックが重宝され、多少ちやほらされたのも自分としては気分が良かった。
そんなわけで高校に進学してからもバスケをすることに迷いはなかった。
高校も相変わらず弱小校であったことには変わりはなかったが、やはり部活をして過ごす時間は楽しいものであることも変わらなかった。
それに、部活動に打ち込んでいる間は自分の将来のことなどをすっかり忘れることが出来たのは俺にはありがたいことだった。
現実逃避といわれてしまうかもしれないが、それでも当時の自分には大事なことだったのだ。
そうして見たくないものから目を逸らしながら、俺は朝と放課後部活動に励んでいた。
そんなある夏の日の放課後のこと。
練習が終わり、みんなが体育館を出て行く中、俺はひとり居残って練習をしていた。
居残り練習など別に珍しいことではなく、本来当たり前のものなのだろうが、そこは地方の弱小公立高校。たいして志が高いわけでもなく、気づけば広い体育館に立つのは俺一人になっていた。
先輩が全員引退し、これからは自分たちが部を引っ張っていかなければならないはずなのに、この有り様だ。
「練習、した方がいいと思うんだけどねぇ……」
俺はそうひとりでぼやきながらも、その一方で仕方がないことだとも思っていた。
ウチの高校はスポーツで全国を目指すような強豪校ではないし部活動が盛んなわけでもない。部全体の空気がゆるいのだ。同級生は勿論、顧問に至るまでそこまでの真剣さは感じられない。
あくまで高校の楽しい楽しいクラブ活動。その範疇を出ることはあり得なかった。
それに地方とはいえ進学校だ。
勉強に時間を当てなければいけないことも確かである。
それを口実に部活をサボろうとする奴も後を絶たなかったが、真剣に学業に取り組みたいという人間がいることも確かだった。
部活動は勉強の合間の息抜き……そんな風に考えているのではないだろうか。
けれどそれにしたってこれはないだろうと思う。
部に所属している限りはやはり精一杯やるべきだ。
そう思って前に一度話をしたことがあったが、まともに取り合ってはもらえず、無駄だと悟った俺はそれ以来そのことを口には出さないようにしている。
だから、せめて自分だけでも……
そういう思いがあった。
もっともそんな責任感だけで居残り練習をしていた訳ではないのだが。
結局は自分のためだ。
俺はゴールを見据え構えるとシュートを放つ。
大きく弧を描いたボールはしかしリングに当たり床に落ちた。
ダーンダーンというボールが弾む音が誰もいない体育館に響き渡る。
外れたのは雑念がある証拠だ。
もっと集中しなければならない。
袖で汗をぬぐいながらカゴから新たなボールを取り出そうとしたところで、ふと入り口付近に人が立っているのが目に入った。
目を凝らすとそれは我が部の女子マネージャーだった。
学年は同じ2年生。クラスは別だ。
長い髪を後ろでポニーテールにしている。
装いは部活の時のジャージ姿ではなく制服姿だ。
俺が見ていると彼女もそれに気づいたようで、笑顔を浮かべると靴を脱いでこちらにやって来た。
「お疲れ様―！頑張るんだね」
そして何てことないように話しかけてきた。
手に持っていたボールのやり場に少し困り、結局わきに抱えた。
「いつもひとりで練習してるでしょ？」
「ん……まぁ、大体は」
彼女の言葉からどうやら以前から見られていたようだと分かった。別に恥ずかしいことではないがどうにも居心地が悪い。
彼女は辺りをキョロキョロと見回し「今日もひとりなんだねぇ」と呟く。
体育館内は俺たち以外誰もおらず静かだ。それ故に天井にある照明のジーーーという音や遠くグラウンドの野球部の掛け声が微かに聞こえてくる。
「他の皆とは一緒に練習しないの？」
彼女がもっともな質問をしてきたので、俺は溜息をひとつつき答える。
「誘ったけど断られた。勉強やら何やらを理由に」
皆が皆それが理由ではないと思うが、いずれにせよ他に優先したいことがあるようだ。
だからひとりで練習している。
「もっと練習した方がいいと思うんだけれど……」
「ウチのバスケ部弱いからねぇ」
彼女は俺の言葉に頷きながらまるで他人事のように笑った。マネージャーとはいえあなたも部の一員なんですがね……。
弱いのは本当なので言い返せないのだが。
「弱くて、それでも勝ちたいのなら練習しないとでしょ？だからせめて俺ぐらいは……ね」
そう言って俺は抱えていたボールをゴールに向け放つ。ボールは綺麗な放物線を描きリングに当たることなくネットを揺らした。
今のは良かったかもしれない。
それを黙って見ていた彼女だったが唐突に何かを思いついた様に両手を打った。
「じゃあ、私がボールを出してあげるよ！」
「え……」
そう言うと彼女はキョトンとしている俺の返事を待たずにカゴからボールを一つ取り出すと、俺に向き直り構えた。
「ほら！」
「いや……いいって別に……」
遅れて俺は両手を振って彼女の申し出を断る。彼女の制服が汚れてしまっては申し訳ない。何よりも俺が困る。
普段女子と話すことがないわけではない。けれどだからと言って慣れているかと言えばそうでもない。どちらかと言えば苦手な方だ。
彼女とも普段部活以外では話すことなどないのだ。
「まあまあ遠慮しないで」
「遠慮しているわけじゃなくて……」
そう渋っていたのだが、彼女が構わずボールをパスしてきたため、やむなくそれを受けた。パスされてしまっては取るしかない。仕方がない。
「ほら！シュート！シュート！」
ボールを持ったまま佇む俺に彼女はゴールを指さしながらシュートを急かす。
俺は仕方がないと一息つくと、ゆっくりとした動作でシュートを放つ。
ボールは不格好にリングに当たりながらも辛うじてリングをくぐった。
危なっ！
シュートが決まったことに胸を撫でおろす。
彼女の前で今のを外していたら格好悪いことこの上ない。
「ナイスシュート！」
けれど彼女はそんなことまったく気にしていないようで、嬉しそうに手を叩いた。
その様に妙に背中がムズムズする。戸惑い、調子が狂う。
その後も彼女は俺にボールを出し続け、俺も何となく流れでボールを受け続けた。
正直戸惑っていたし、居心地は決して良くはなかったけれど、練習にはなるし、また彼女も楽しそうだったため取り敢えずはよしとした。
そうしてしばらく練習していると、彼女の友人だろうか、女子生徒が二人体育館の入り口から顔を出し彼女に声をかけてきた。
「あ、一緒に帰る約束してたんだ。私帰るね」
気づいた彼女は俺に断りを入れると、床に置いてあった鞄を掴み友人のもとへと駆け出した。
が、途中で彼女はいったん立ち止まり、くるっと俺へと振り向く。
それに合わせて彼女のポニーテールもくるっと回った。
そしてその顔に笑みを浮かべると
「また明日！お疲れーーー！！」
と言い手を振った。
そして俺の返事は聞かずに再び走り出すと、友人と一緒に帰っていった。
体育館にひとり残された俺はもうすでにそこにはいない彼女に向かって一言
「お疲れ……」
と呟いた。
その言葉は当然彼女には届かず、俺以外誰もいない体育館の静けさの中に消えていった。
ムズムズしふわふわし、どこか浮足立ったような、落ち着かない感じ。
ただ、それでも気分は不思議と悪くはなかった。
その日以来彼女は何かと話しかけてくるようになった。
部活動時は勿論だが、それだけでなく朝のHR前や廊下で偶然すれ違った時、休み時間であってもクラスの違う俺のところまでわざわざやって来て話しかけてくる。
きっかけはやはりあの放課後の体育館のやり取りであろうことは理解していたが、それでも特別に親しくなったつもりはなかったため、初めのうちはそれなりに驚き、戸惑ったものだったが、時間の経過とともにそれにも慣れていった。
少なくとも
「あ！おはよーー！」
「……おはよう」
こうして普通にあいさつを交わすくらいには慣れた。
休み時間や昼食時、部活動に下校時と一緒に過ごす時間が徐々に増えていき、その中でお互い親しくなっていった。
そして、どちらから告白するという訳でもなくごく自然に付き合うことになり、気づいた時には周囲の人間にも認知されたカップルになっていた。
正直俺は何もしていない。
親しくなるための努力など何一つしていない。
ただ流れに身を任せたにすぎない。
世の中の男女は相手に拒絶される不安や恐怖、その他もろもろの悪い想像と闘いながらも、何かに期待し勇気を振り絞って自分の想い人にその想いを伝えるものなのだと思う。
そしてその想いを受け入れてもらえた者だけが恋人という関係を手にすることが出来る
そのことを考えると俺たちのケースはあまりにもあっさりとしており、呆気ないものだった。不安や勇気もあったものではない。
分からないけど気がついたらなんかくっついていた、そんな感じだ。
もっとも俺にとってはそれは幸運なことだ。
不安と緊張を抱え、それに抗いながら自分の想いを相手に伝える、なんてこと俺にはとても出来ない。
皆どれだけ勇者ぞろいなのか。
ただ、何も問題がなかったかと言えばそうとも言えない。
彼女は恋人の贔屓目なしに容姿が良い方だったし、明るく親しみやすい性格なのもあって男子からは人気があった。当然狙っていたやつも多くいたことは言うまでもない。
そのため付き合いだした当初は、それを認められない男子からの嫉妬の目に晒され居心地の悪い思いをしたものだ。
「なんでアイツが……」そんな陰口をたたかれたのも一度や二度ではない。
煩わしいといったらなかったが、そう言いたくなる気持ちも分からないでもなかったのだ。
「なんで俺が？」と俺自身が思っていたぐらいだ。そのため反論しようとは思わず、基本無視を貫いた。
そんな状況を何とも思わない、むしろ誇らしく思う奴もいるようだが、あいにく俺にはそんな余裕などなく、ただただ煩わしかった。
そんな居心地の悪さもある、ただただ流された結果の関係ではあったのだが、それでも彼女とそういう関係になることへの不満は特に感じなかった。
俺も彼女のことは好意的に想っていたし、一緒に過ごす時間は悪くなかった。加えて彼女も楽しそうなのだから何の文句があるだろうか。
これで良い、とそう思えた。
今にして思うと彼女と過ごした日々は充実していたように思う。
……いや、ここは正直に言おう。
楽しかった。
俺にとって彼女と過ごした日々はとても楽しいものだった。
人生初の彼女だったため、あらゆるものが初めてで新鮮だった。
もっとも俺はそういったものを余裕をもって楽しめる人間ではないため、戸惑ったり不安に思ったりすることの方が多かったのだが、それを彼女の明るい笑顔が吹き飛ばしてくれた。
怖気づき足踏みしそうになる俺をその手でつかみ引っ張ってくれた。
こんなにも不甲斐ない俺と共にいてくれた彼女には本当に感謝している。
本当に俺には勿体ないくらい良い娘だ。
嫉妬の目を向けてくる周りの連中が正しく思えてくるほどに。
ご覧いただきありがとうございました。
楽しんでいただけていたら幸いです。
次回の更新は9/23（土）の予定です。
どうかまたお付き合いください。
