3話 アナタは俺を宇宙飛行士にしてくれるのですか?
『将来の夢は何ですか?』
そう大人は子供に問いかける。
将来の展望の確認というだけでなく、子供の感情や想像力の育み、話題作りのためというコミュニケーションの一環という意味合いもあるように思う。
その言葉を受け、幼児や小学生は面白おかしく、時には真剣に自らの夢を語り、中高生は漠然としつつも自らの行く先の指針として思い描く。
誰しもが一度は耳にし、そして自らに問うであろうそんなごくありふれた言葉。
俺はこの言葉が大嫌いだった。
小学生の頃、ある日の授業でのことだ。
『将来の夢』というテーマで作文を書き発表するというものがあった。
宿題として家で作文を書き、学校の授業で発表するように言われた。
そして当日、発表の時間。
席順に一人一人立ち上がり、自らが書いた作文を読み上げていく。
内容は様々だ。
実に子供らしいものから妙に大人びたもの、非現実的で荒唐無稽な今にしてみれば笑ってしまうようなものまで様々だ。
けれど皆短文ではあるものの、自分の気持ちを語っていく。
それはそれは楽しそうに。
一人また一人と読み上げていき、ついに自分の番。
俺は立ち上がり、両手に持った原稿用紙を広げる。視線をおとしそして、そこで固まった。
何も言わない俺を訝しみ、周りのクラスメートたちがどうしたのかとこちらに視線をよこしてくる。前の教卓で微笑みながら聞いていた担任教師も不思議そうにこちらを見る。
それでも俺は口を開くことは出来なかった。
当然だ。
俺の原稿用紙は配られた時のまま真っ白だったのだから。
机に原稿用紙を広げる。
鉛筆を持ち、紙に対峙し考えを巡らせる。
自らの未来というものを想像しようとする。
けれど何十分、何時間経っても何も思い浮かばない。
自分の好きな事柄からなら何か連想出来ないか、と親からアドバイスをもらい改めて考える。
テレビゲーム、毎週読む漫画雑誌、放課後友達と楽しむサッカー、好きな事柄は次々と思い浮かぶ。
けれどそれでもやはりそこから将来のことへはつながっていかない。
結局一文字も書けないまま、消しゴムをかけたあとすら残らない真っ白な原稿用紙が残った。
「どうしたんですか?」
担任が声を掛けてくる。
「あなたの番ですよ。読んでください」
何も書いていないのだから読める訳もない。
担任や周りのクラスメートの視線が痛くて、そのまま下を向く。それでも突き刺さる視線からは逃れられなかった。
「もしかして宿題を忘れてしまったのですか?」
担任の言葉に顔を上げた。
違う。忘れた訳ではない。むしろ一生懸命やろうとした。
そう反論したかったが、一文字も書けていないのも事実。やっていないことには変わりないと思い、更に周囲の目によって緊張してしまい、頭が回らず、上手い言葉が見つけられなくなってしまった。
結局また黙って下を向いた。
誰も言葉を発せず、教室がシン…と静まり返る。
その静寂がどんな雑音よりもうるさく感じた。
そんな居心地の悪い空気にしばらく晒されているとフーー……という溜息が聞こえた。
「もういいですよ……座りなさい」
顔を上げると担任が少し呆れた顔をしながら目を瞑っている。
「明日までに作文を仕上げて提出してくださいね」
「…………はい」
そう呟くと俺は静かに椅子に腰を下ろした。
「はい、次の人」という担任の合図で俺の後ろの生徒が立ち上がり作文を読み上げ始める。
離れた席にいるクラスメート二人が顔を寄せ合い俺の方を見て何やら話している、そして直後二人してクスクスと笑った。
かあっと顔が熱くなり、俺は勢いよく顔を逸らした。
話し声は聞こえなかったが恐らく俺のことを話していたのだろう。俺のことを見て笑っていたのだろう。
それが恥ずかしくて悔しくて、俺は座ったまま俯いた。
視界には真っ白な原稿用紙。
何か言うことは出来たのかもしれない。
消防士だとか医者だとか言えばよかったのかもしれない。もしくはサッカーや野球などスポーツ選手だとか言えばよかったのかもしれない。
それがたとえ本心でなくても、口からの出任せであっても、とても実現は不可能なことだったとしても何かしら答えていれば相手は安心し満足していたと思う。
俺たちの夢を叶えさせるのはこの担任の役目ではない。
ここで問われているのは将来への具体的な展望などではなく、あくまで子供らしい『夢』なのだから。
けれど俺にはそれに応えることは出来なかった。
自分が本当にやりたいことなのか分からないことを無責任に軽々しく『将来』として語りたくはなかった。不確定で不鮮明なものに仮にでも身を置くことはできなかった。
クラス中の注目の中ただ視線を彷徨わせ、下を向き、ジッと黙っていることしか出来なかった。
ジロジロ見られ、呆れられ、嘲笑われ、そんな自分がひどく惨めに思えて泣きたくなった。
両手で強く握りこんだ原稿用紙はシワが寄ってくしゃくしゃになっていた。
あれからもう十年以上が経っているのに未だにあの日のことは思い出す。
決して消えない古傷のようで、時折ひどく疼くのだ。
それからも友達に、親戚に、教師に同じことを問われる機会は何度もあったが、やはりそのいずれにおいても俺は明確な答えを示すことは出来なかった。
今でこそその年頃で本当に明確な将来の展望がある人間なんてそうそういないということは理解しているが、そんなことを知る由もなかった当時の自分は感じる必要のない負い目のようなものを感じていた。
あの授業でのことが余計に俺にそれを感じさせたのは言うまでもない。
心無い目を向けられた直接の原因ではないことは理解出来ていたが、どうにも関連づけてしまい、その話題を避けるようになった。
ついでに教師というものも嫌いになった。
中学、高校と歩みを進めて行ってもそれは変わらない。
けれど当然俺の事情などお構いなしに周りの環境、人間は少しずつだが変わっていく。
多くの人間が自分の進む方角を取り敢えずでも定め、歩み出していく。
そのことにまるで自分だけが取り残されていくような気がし、焦りは大きくなっていった。
けれど、ではそれで自分の将来の展望が開けるかといえばそんなことはなく、ただただ焦りだけが大きくなっていく。
そんな中だ。俺が彼女に出会ったのは。
あれは将来のことから必死に目を逸らしていた頃、高校二年生の頃のある日の放課後のことだった。
※ ※ ※
何かの眩しさと温かさに目を開く。
瞬間大量の光に包まれ視界が真っ白に染まった。
目が眩む。
俺は顔をしかめながら目の前に手をかざし、光を遮ると光源へと意識を向けた。
ベッド脇の窓からは日の光が射し込んできており、薄暗い部屋の中俺の顔に日向を作り出していた。その光の中を埃がチラチラと反射しながら舞っている。
日の高さはさらに増しており自分がウトウトしてしまったことに気づいた。
時計を見ると九時を少し過ぎたところ。
地域によってはそろそろゴミ回収のトラックが来る頃合いだ。
「ゴミ捨てに行かなきゃ……」
俺は残っていたチューハイを一気に飲み干すと、立ち上がった。フラフラする足取りで台所まで行くと、床に置いてあったゴミの入った袋を掴み部屋へと戻る。
つまみの空袋やティッシュ等のゴミを袋に入れ、他に捨てるものがないか部屋を見回すとテーブルの上に郵便物がまとめて置いてあるのが目に入った。
近所のスーパーやドラッグストアのチラシが主で、さっと目を通しては丸めて袋に放り込む。
そうして仕分けているとその中にデリバリーピザのチラシを見つけた。
瞬間ふと脳裏にやかましい後輩の顔が思い浮かぶ。
が、それも一瞬のことで、ピザのチラシも他のものと同様に丸めてゴミ袋に放り込んだ。
そうして粗方捨てていくと最後に一枚のハガキが残った。
差出人を見るが覚えのない名前だ。
内容を確認すると
「…………同窓会?」
それはどうやら同窓会の案内のようで、文章の中に自分の卒業した大学とゼミの名前を見つけた。
そこでようやく差出人が誰であるかを思い出した。
俺はあまり関わりがなかったが確か同じゼミにいた男子だ。まとめたり取り仕切ったりするのが得意なタイプで、飲み会などでも幹事をしていた覚えがある。
いかにもこういったことを率先してやりそうだ。
文章を読み切り、改めて同窓会の文字を確認し、溜息をつく。
大学を卒業して早いものですでに二年が経った。
自分の感覚ではつい最近のことのようであるものの実際にはそれなりの年月が流れているという事実に驚きもする。
その時の友人とは卒業以来一度も会っていない。
大学で頻繁に顔を合わせていた連中も、卒業しそれぞれの道を歩み始めると自然と会わなくなる。
各々の生活でいっぱいいっぱいということもあるだろうし、生活のサイクルも人それぞれだ。社会に出てからの新しい付き合いというものもあるだろう。
余程関係が深かったり、連絡を取り合うことが習慣化されていれば別だろうが、そうでもないとやはり疎遠になっていく。
人と人のつながりは繋ぎとめておこうとしなければ容易に切れてしまう。そういうことなのだろう。
この同窓会もそういった意味合いがあるのかもしれない。
勿論ただ騒ぎたいだけかもしれないが……。
社会人になってからの近況を報告しつつ、酒や料理、おしゃべりを楽しみ、結果繋がりを保てるのであればそれは良いことなのだろう。
ぼんやりする頭で同じゼミだった連中の顔ぶれを思い出す。
そこには様々な顔。
仲の良かったやつ。そうでもなかったやつ。苦手だったやつ。よく知らないやつ。
そして……
俺はボールペンを取ると参加不参加を問う欄の不参加の方に大きく丸をつける。
けれどその直後投函するのも面倒くさくなり、ハガキをぐしゃっと丸めると、そのままゴミ袋に放り込んだ。
彼ら彼女らのことが嫌いな訳ではない。
全員がとはいかないまでも自分にとって楽しかった日々を共に過ごした連中なのだ。それなりの思い入れがないわけではない。
ただ、今は会いたいとは思わない。
不意に思い出された記憶、そしてそれに対するやり場のない消えることのないこの苦さ。それをゴミと一緒に捨ててしまえればと思った。
ゴミ袋の口をきつく締め、外に出ようとしたところでハタと気づく。
「今日土曜日じゃねーか……」
今日はゴミの回収がないことを今更になって思い出し、出鼻をくじかれたように感じる。
「ふぅ……」
ゴミと一緒に手元に残ってしまったやり場のないモヤモヤを溜息と一緒に吐き出すと、ゴミ袋を台所に放り、自分の身体もベッドに勢いよく放る。
ボフッというやわらかいのか固いのか分からない衝撃を身体に受け、ベッドのスプリングをギシギシと軋ませた。
うつ伏せのまま目を閉じる。
正直気分は良くない。仕事の疲れに加え、嫌なことを思い出してしまった。
溜息くらいで消えてくれるものではない。
それでも酔いのまわった身体は睡眠を望んでいるようで、目を閉じるとすぐに眠気がやって来る。
「ありがたい」とアルコールに感謝しつつ、俺は現実と自らの記憶、そして未だに消えない苦さから逃れるように眠りの世界へとおちていった。
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