16話 臆病な蛾は闇夜に彷徨う
外に出ると辺りはもうすっかりと暗くなっていた。
店に入る前にすでに傾いていた夕陽は今やもう見えず、その残り香も感じられなかった。
とは言え、町の中心部であるこの場所は総合施設、飲み屋、パチンコ屋、カラオケ店等がひしめき合い、駅前のロータリーでは会社帰りのサラリーマンを拾おうとタクシーが列をなしている。まるで競うかのように照明をギラつかせている。
実際客の奪い合いであることを考えれば競い合っているのだろう。
それらの光に引き寄せられていく人々はさながら誘蛾灯に引き寄せられていく蛾か何かだろうか?
群がっている様を見るとあながち間違いではないように感じる。
そう思ったところでふと気づき、自分の背後を振り向くと今しがた自分が出て来た店の看板が煌々と光を放っていた。
俺も人のことを言えないらしい。傍からも見れば俺もその誘蛾灯に引き寄せられ群がる蛾の一匹だろう。
俺は店の前に設置された自販機、その横に置かれたベンチに腰を下ろした。そして煙草を一本取り出し咥えると火を着ける。
駅周辺ということもあり馬鹿みたいに多い人が目の前を右から左へ、左から右へと行き交う。
その様子を眺めながら俺は煙を吸いそして吐き出した。
うっすらと漂い消えていく煙を追い見上げた空には微かに星が瞬くのが見えた。
「あんまり星見えないなぁ……」
俺はひとりそう呟く。
この町に住む人間にとってはこの星の見えない空は自然でごく当たり前のものなのだろう。当たり前すぎてわざわざ意識して見上げたりなんかしない。
けれど地方育ちの俺にとって夜空とはやはり数多の星が光り輝いているものなのだ。満天の星空なんて珍しくも何ともない。それこそが俺にとってはごく当たり前のものだ。
そんな俺だからこそこの星の見えない空が気になる。
この町の人間が気づかない、見向きもしないものが違和感と共に気になってしまう。
田舎だろうが、都会だろうが、星空は確かにそこにある。
明るすぎるからなのか、空気が汚れているからなのか、その様はとても見づらいが、それでも確かにそこに存在している。
存在しているのに……。
あって当たり前のものは、見づらいものには、皆気づけなくなっていく。どれだけ美しいかも忘れ去っていってしまう。どれだけ大切だったかも思い出せなくなる。
煙を吐き出しながらそんな確かに存在しているものを目を凝らして眺めていると、不意に扉が開く音がした。
そちらに目をやると同じゼミの男友達が出てくるところだった。
「あー…こんなところにいたのかよ」
彼はそう言うとこちらにやって来て俺の隣に腰を下ろした。
「一本貰っていいか?」
そう言って煙草を吸う仕草をする彼に煙草の箱を差し出すと、彼は一本抜き取り咥える。ライターで火を着けてやると先ほどの俺同様に彼も夜空に向かって煙を吐き出した。
微かに見えていた星々が煙によって掻き消された。
「急にいなくなったからどうしたのかと思ったよ」
彼が煙を立ち昇らせながら言う。
「タバコが吸いたくなっただけだよ」
「席、喫煙席だろ」
「じゃあ、外の空気を吸いたくなったのかな」
「こーんな排気ガス臭い空気をか?」
中の空気よりはマシだ。
口には出さずそう思っていると、彼も察しているようで
「まぁ…中の空気よりはマシか………お前にとってはな」
と呟く。
「そうそう、大勢でゴミゴミしているのはどーも……」
「いやいや、そっちじゃなくてさ」
惚けた俺にやはり彼は突っ込みを入れる。
ああ……わかっているさ。
俺は「はぁ……」と溜息をひとつつくと彼の方は見ずにベンチの背もたれに身体を預ける。
「やっぱり気づくか?」
「そりゃあねぇ……」
彼は苦笑した。
今日は学期末の打ち上げという名目で大学近くの居酒屋にゼミの人間で集まっている。
教授も何人か参加しており、そのためかゼミの人間のほとんどが参加している。
そして当然彼女も参加している。
「あれだけいつも一緒にいて仲良さそうだったからね。それが急に近寄らず、一切目も合わせずとなると逆に目立つってものだよ。きっとゼミのほとんどのやつが気づいてるんじゃないか?」
「ははは……」
乾いた笑みを漏らすことしか出来ない。
実際「あの日」以来彼女とは一切言葉を交わしていない。
たとえ会っても目を合わそうとせず、その露骨な様子には気づかない方がおかしいだろう。
彼女のその態度は勿論キツイが、周りの何かを伺うような、探るような視線もキツイ。
さっきもあまりの煩わしさにビールのジョッキを投げつけてやりたくなった。
「喧嘩か?」
彼の問いかけには答えず煙を吐き出す。意図してはいなかったがそれが答えとなった。
「はぁ……」と彼が溜息をつく。
「喧嘩の理由ってなんなんだ?」
「……………言いたくない」
「まぁ、何となく察しはつくけどな」
「……」
無言で彼の顔に振り向き「言ってみろよ」と視線を送る。
彼は一度煙草を吸い煙を吐き出すと、ベンチに寄り掛かった。
「大方お前が煮え切らない態度を取り続けた……とかだろ?」
「…………」
図星だった。
俺はそんなに分かりやすい態度をとっていただろうか?
言い当てられた俺の態度が面白かったのか彼は「当たりだろう?」という顔でニヤニヤと笑う。
その様に腹が立ったが本当のことなので言い返せない。言い返せないから煙草の煙を思いっきり吹きかけてやった。
「うわっ!馬鹿、やめろよ!」と彼が抗議の声を上げながら煙を手で払っているのを見て、少し留飲を下げた。
大人気なくて嫌になる。
「図星つかれたからってカリカリするなよ」
「カリカリなんてしてねーよ……」
カリカリはしていないがぶすっとした態度なのは自分でも分かった。
……本当に大人気なくて嫌になる。
彼はヤレヤレと言った風に肩をすくめている。その仕草がいちいち癇に障る。
「でも、実際悪いのはお前だろー」
彼は煙草を携帯灰皿でもみ消すと懐から煙草を取り出し咥えると自ら火を着けた。
自分の持ってるんじゃねーか!
「普段のお前ら見てて思ったよ……。一見楽しそうで思い合ってそうなんだけど、なーんか噛み合っていないっていうか、ズレているっていうか」
「そんなことねーよ」
「いーーや!あるね!」
俺の否定に彼も否定で返す。
「俺たちの関係が紛い物だとでもいうのかよ」
俺は僅かばかりの怒気を孕んだ視線を彼に向けるが、彼は相変わらず飄々とした態度を崩さない。美味そうに煙草を吸う。
「いんや、そうは言わない。むしろお前たちの想いは本物だと思っているよ。そこは否定しない。お互いに大切に思っていて、もっと近づきたいと思っている。………けれど」
彼は細く長く煙を吐き出した。
「そこに行動が伴っているかは別だ」
「行動?」
そう訊き返すと、彼は無言でスッと自身の携帯灰皿を差し出してきた。
自分の手元を見ると吸わないままの煙草が大分短くなっていた。会話に夢中ですっかり忘れていた。
俺は彼の灰皿で煙草をもみ消す。
それを見届けて彼は灰皿を仕舞いながら「そ、行動」と再び口を開く。
「彼女は、まぁ……俺の目から見てだけど、お前のことを大切に想っている。もっと近づきたいと思っている、ずっと一緒にいたいと思っている、と思う。だから懸命にアプローチをかけて実際にお前に近づこうと、お前の中に踏み込もうとしている。周りから見ても分かりやすいほどに、いじらしいほどにね」
彼が横目でチラリとこちらを見た。
「けど、お前はどうだ?彼女が近づこうとしているのに対してお前はそうできているか?彼女に対して向き合えているか?」
心臓が激しく跳ねあがった。それに伴い肩もビクッと跳ね、身体は固く強張っていく。
彼の顔を見ることが出来ない。
「どういう理由かは分からないけどさ、お前は彼女に近づきたいと思いながらもその実全然近づこうとしていないんだよ。彼女から踏み込んでくるのをなあなあで躱し、かといって自分から踏み込むこともしない。そんな停滞した関係、前に進みたいと思っている彼女が納得出来るわけがないでしょ」
言葉を返すことが出来ない。
ただ頭では嫌というほど理解出来ている。
彼の言うことは恐らく正しいということを。
彼女が俺に対して近づこうとしていること
俺がそれを望みながらも拒んでいること
それに納得がいかない故にこうなっていること
すべて正しいのだろう。
原因は……………俺だ。
要するに俺は
「まぁ…?お前が彼女のことを大切に思っているのは分かるし、お前にもいろいろ事情があるのだろうということは酌んでいるけどさ、もう少し彼女の気持ちってやつも考えてやれよ?彼女にしてみればお前にそういう態度を取られ続けるのは流石に酷ってものだよ」
「ああ……」
俺は辛うじて頷いた。
正直気持ちの整理なんてついていない。
これから具体的にどうすればいいかなんて分からない.
………いや、はぐらかすのはよそう。
どうすればいいかは分かっている。流石にここでそれが分からないほど馬鹿ではない。分かってはいる。が、その踏ん切りがつかない。
ただ、このままでは駄目だということは確かなのだ。
この関係を続けたいであれば早々に何とかしなければならない。
何とかしなければならない。
ただ、取り敢えず今は
「……ありがとうな」
一応コイツに礼は言っておこう。
すっげー癪だけど。
俺の言葉を受けると彼はふーーっと煙を吐き出した後ニンマリと笑った。
その男友達と彼女が付き合いだしたと聞いたのはそれから間もなくのことだった。
ご覧いただきありがとうございました。
何かを感じていただけたら幸いです。
次回の更新は10/28(土)の予定です。
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