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15話 砂糖は二つ、ミルクはたっぷり


「クラブハウスサンドのセットをブレンドコーヒーで」



メニューをさっと流し見し迷うことなく注文をする。


注文を取り終えた店員は一つお辞儀をすると席を離れていった。


メニュー表をテーブル脇のスタンドに戻し、俺は木製の椅子の背もたれに身体を預けた。



後輩たちからようやく解放され家に帰りつき、一眠りして目覚めたのがつい先ほど。昼時はとっくに過ぎ、太陽の位置も西寄りに傾き始めた頃であり、俺は遅めの昼食を食べるために外へと出た。


どこにしようかと考えを巡らせていた時にふと頭に思い浮かんだのがこのカフェだ。


大学生の時分何度も足を運んだ場所であり、思い出深い場所である。


パンが美味しく、それを使ってつくったクラブハウスサンドが絶品だった。


とは言え、ここしばらくは足が遠のいていたわけだが。


ここ最近なぜか昔のことを思い出す。そのためかこの店に思い当たり。久しぶりに来てみようと思うに至ったわけだ。



お昼時を過ぎているからか客はまばらで、店内は静かで落ち着いている。


勉強中の学生が一人と、年配の女性が数人、あとはサラリーマン風の年配の男性が一人いるだけだ。


店内の床や壁、椅子にテーブルと木製のもので統一されている。


アンティークの類には詳しくないが恐らくそういった類のものではない。ただそれでも木特有の色と質感は素朴で温かみのようなものを感じ、さらにしっかりと手入れが施されているのか目立った汚れもなく清潔感を感じる。照明は程よく暗くとても落ち着いている。そんな空間を居心地良く思った。


そんなところは以前頻繁に通っていた頃と変わっていない。


窓の外には店内同様木製のテラスがあり、椅子と机が何組か並べられている。ただ客はひとりもいない。


天気は晴れではあるが、この時期まだまだ外は寒い。加えて東向きにつくられたこのテラスは太陽の位置の関係で店の建物の、さらに近くに建つタワーマンションの影にすっぽりと入ってしまっているため余計に寒々としたように感じる。この寒空の下わざわざ日の当たらないテラスで食事をしようとする者もいないようだった。


もう少し暖かくなったら外で食べるのもいいかもしれないが。



「お待たせいたしました」



そんな風に考えていると不意に声がかかったため窓の外から視線を戻すと、注文の品が運ばれてきたところだった。


先程注文を取った店員とは違う人だ。


クラブハウスサンドがのった皿が丁寧に置かれ、続いてコーヒーのカップが置かれる。



「ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」


「はい」



俺は頷いて返す。



「それではごゆっくりどうぞ」



そう言ってその男性店員はテーブルに伝票を置くとお辞儀をする。


俺はテーブルの脇にある角砂糖の入った容器を引き寄せ、それを開けようとしたところで、ふと先程の男性店員がまだ傍らに立っているのに気付いた。


怪訝に思い顔を上げて見ると、男性店員がこちらの顔をジッと見てきている。



「あの、なにか?」



堪らなくなり思い切って訊ねた。


すると男性店員はハッとしたような素振りを見せると「あ、申し訳ございません」と言って頭を下げた。そして「あの……」と少し言いづらそうに恐る恐る口を開く。



「以前もこちらにいらしていましたよね?大分前だと思うのですが?」



ああ、なるほど……。



「ええ、頻繁に来ていたと思います。しばらくお無沙汰でしたけど」



毎日、とまではいかないけれどそれでもかなりの頻度で来ていた。常連客と言って差し支えないぐらいだっただろう。そのためこちらの顔を覚えられていたとしても何の不思議もない。

彼は恐らく当時からこの店におり、俺の顔を覚えていたのだろう。俺の方はまったく覚えていないのだが。


俺がそう言うと「おお、やっぱり!」と男性店員はホッとしたように胸を撫でおろし、顔を綻ばせた。



「見覚えのある顔でしたのでもしかしたらと思っていたのですか。やはりそうでしたか。よくいらしていたので覚えておりました。最近はお見えになっていなかったのでどうしたのかと思っていたんですよ」



そしてあくまで敬語は崩さずに話しかけてくる。それでも幾分かリラックスしているようで先程よりも大分口の回りがいい。


こちらとしては冷めないうちに食べたいところなのだが、話の切りどころを逃してしまいどうもそれができない。


どうにか話を打ち切りたいところだ、でないと……




「確か以前はもう一人女性といらしていましたよね?」




ほら。やっぱりこうなった。


顔を覚えられていたと知った時から予想できたし、懸念していたことだ。


正直触れられたくないところなのだが……



「あの方はお元気ですか?」



さて、どうしたものか……と内心頭を抱える。どうもこの店員さんは空気を読むことには長けていないようだ。察して遠慮してくれることには期待できないだろう。かと言って馬鹿正直に答えるつもりもない。



「はい、まぁ、そうですね。元気ですよ」



だから適当にはぐらかせてもらう。



「そうですか。何よりです。いつも一緒にいらしていてとても仲がよろしかったので、羨ましく思っていたものです。確か最後にいらしたときは引っ越しをする……なんて話をなさっていたような。あれからどういう……」



「おい!」



そこでカウンターの方から声が聞こえた。そちらに顔を向けると年配の白髪の男性が皿を掲げている。店長さんだろうか?



「注文の品だ。向こうのテーブルに運んで」



そう言って。男性店員に差し出した。


決して怒っている風には聞こえないのだが、その低音の声は有無を言わさぬ凄みを持っていた。


それを男性店員も感じ取ったのか背筋をピンっと伸ばし「は、はいっ!」と返事をすると俺に対し「どうぞごゆっくり」と一つお辞儀をすると、キビキビとした動きでその皿を受け取り、運ぶべきテーブルへと向かっていった。



男性店員が去ったところでその店長さんと目が合う。


店長さんは目を瞑りゆっくりとした動作で丁寧に頭を下げた。


釣られて俺も頭を下げてしまう。


頭を上げると店長さんはもう一度軽く頭を下げ、奥の厨房へと消えていく。その背中には何とも言えない威厳のようなものを感じた。


恐らく気を遣ってくれたのだろう。


有り難い。流石と言わざるを得ない。


俺は店長さんに感謝しながらブレンドに角砂糖二つとミルクを大量に入れ、スプーンでかき混ぜた。


そうしながら、それにしてもと先程の男性店員の言葉を思い出す。


当時の俺たちは傍から見てもやはり仲良さそうに見えていたらしい。俺自身その自覚はあったが、傍から見てどうかなんてことは当事者には分からないものだ。


実際仲は良かったしそのことに関して文句はないのだが。何とも恥ずかしいものだ。



それに



「引っ越しか……」



お俺自身忘れていた当時のことを思い出した。


そうだ、確かにそんな話を彼女とここでした覚えがある。


彼女の一人暮らしがようやく親御さんに認められたため、二人で大学近くに引っ越そうかという話になったのだった。


彼女はずっと一人暮らしを希望していたし、俺も彼女に会いやすいことを優先して部屋を選んでいたため異論はなく、二人にとって都合の良い話だった。


すぐにでも動ける彼女が先に引っ越し、後から俺も近くに引っ越すことになった。


これで二人でいる時間がもっと増える。そう思って喜んだのを覚えている。


時間を気にせず、自由に会え、一緒にいることができるとそう思っていた。



思っていたのだが。



結局俺は引っ越しをしなかった。


当時暮らしていた部屋に今も変わらず俺はいる。





ブレンドコーヒーを飲み干すと俺は席を立った。


勉強をしていた学生とサラリーマン風の男性の姿はすでに店内にない。年配のおばさん集団は未だおしゃべりに忙しそうだ。コーヒーのお代わりを注文している辺りまだしばらくは居座り続けるだろう。


椅子を元のように戻す。その際椅子の足が床と擦れ鈍い音をたて、店内に響いた。


出入口付近にあるレジの前に立つと、先程の店長さんが奥から出てきて会計をしてくれた。



「またお越しくださいね」



財布にレシートを仕舞う際にそう低く優しい声で言われたため顔を上げると、店長さんは彫りの深い顔により深くシワを寄せて笑みをつくった。ただの営業スマイルというわけではなく、心からの笑みのような気がし気持ちがよく、ほんの少しだけ心が楽になる。


だからこちらも素直に応えようと思った。



「はい。また来ます」



そう言うと俺もぎこちなくではあるが笑みを返し、扉に手をかけ開くと、店を出た。


扉が閉まる直前、店の中から「ありがとうございました」という低音の落ち着いた声が聞こえた。








ご覧いただきありがとうございます。

何かを感じていただけたら幸いです。


次回の更新は10/22(日)の予定です。

またお会いできることを願っております。

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